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生き方

「死にたくないよ」死亡率7%の母の大手術 待ち時間に向かった意外な施設

岸田奈美(作家)

2025年02月24日 公開

「死にたくないよ」死亡率7%の母の大手術 待ち時間に向かった意外な施設

作家・岸田奈美さんの母・ひろ実さんが、長引く高熱を出し、検査で感染性心内膜炎という診断がくだります。難易度の高い手術を受けなければ、1週間以内に心不全で命を落とすと医師はいいます。コロナ禍で手術の付き添いもできず、遠くから手術が無事に終わることをただ祈るしかできない。無力感と恐怖の中、時間が過ぎるのが永遠に感じます。 

※本稿は、岸田奈美著『もうあかんわ日記』(小学館文庫)から一部抜粋・編集したものです。

 

死亡率7%の手術 12年ぶり、2度目の生還

検査の結果、母は感染性心内膜炎だった。

感染性心内膜炎は、歯や傷口から入ったばい菌が、血液で運ばれて、心臓に巣をつくる。

12年前に母は大動脈解離の手術で、心臓の弁と血管を、人工のものに取り替えた。その弁が、ばい菌に食い荒らされて、グズグズに壊れてしまった。エコーっていうのかな、心臓がばくんばくん動く白黒の映像を見たんだけど。血液がすごい勢いで逆流してて。

ここからは、先生から受けた説明。

手術しなければ1週間以内に心不全で亡くなってしまう確率が100%。病院に来るのが、あとちょっと遅かったら、もうだめだった。手術の死亡率は7%。手術中に脳梗塞や脳出血を起こす危険もあって、そうすると上半身にも重い麻痺が残る。

「12年前の大動脈解離の手術と、どちらがむずかしいですか」

と母が先生に聞いた。

先生の返事は、

「ほぼ同じくらいです」

でした。

ゴリッゴリに追い詰められるあの状況をまた味わうのか。ふたりで昔を思い出して、気が遠くなった。大動脈解離の手術のときは、命が助かり、重篤な後遺症もない成功確率は20%だった。

説明の場が設けられたので、入院したきり会っていない母と、3日ぶりに顔を合わせることができた。
それが、生きている母との、最後の会話になるかもしれなかった。
説明が終わって、ふたりで会話できたのは、3分もなかった。

「これが最後かも」と言う母と先生を見て、なにも言えなかった。

ここで泣いたらダメだ、母を不安にさせちゃう、と思ったけど、泣くのを我慢すると声って出なくなる。うまく笑えない。

「パパが向こうで呼んでても、絶対に行ったらあかんで」

心筋梗塞で亡くなった父は母のことが大好きだったので。

茶化して明るく言ったつもりが、ダメだった。ぼろぼろ泣いてしまって、母の背中をさすりながら、「大丈夫」としか言えなかった。そのまま母は、病棟の向こうへと、看護師さんに連れられて、消えていった。

最後の言葉なんか、なんも出てこない。
死んでほしく、ない。

家に帰ってから、母と電話をした。

「わたしは、死んだらもう、なんもわからん。手術中は意識もないから、痛くもない。でも、残される人のつらさはよくわかる。だから家族を残して、死にたくない」
「うん」
「死にたくないよ」
「......うん」

父と会話できずに死に別れた経験と、母が死にかけた経験の両方あって、「もうあんな後悔するか!」って心に決めていても、こんなもんだ。気の利いた言葉なんて、なんも言えん。

最後の言葉なんか、なんも出てこない。
死んでほしく、ない。

手術は朝10時に始まって、夜21時に終わった。待ってる時間が、途方もなく長い。前は、病院の待合室で、祈りながら待っていたけど。いまは、病院に行ったらダメなので、家でじっと待つしかない。

死んだらどうしよう、まだあれできてないこれ言えてない、っていう後悔と恐怖でグルングルンになる。でも、ふと顔を上げれば、テレビやスマホの画面にも、窓から見える景色にも、ほかの人にとっては日常でしかない日常が流れてる。

キツイ。自分の心とかけ離れてる日常って、めちゃくちゃキツイ。寝ようと思って目を閉じると、どうやっても母が浮かぶ。

いい想像ばかりしようと努めるけど、いい想像の裏にはかならず、悪い想像がある。手術が成功しなかったら。後遺症で目が覚めなかったら。

布団のなかにくるまって、いやだ、なんで、やめて、と声に出して泣いた。
家にいる、ばあちゃんと弟の前では、絶対に泣けない。

弟は状況がよくわかっていない。わかるとしたら「ママが病院にいて、手術」という最低限の情報くらいだ。そんな弟の前で泣いたら、弟の方がパニックになってしまう。

おばあちゃんは、母が手術するって言うと、泣きそうにアワアワしたかと思えば、2時間後には「ママはいつ仕事から帰ってくるんかなあ?」と忘れていた。もう一度説明して、またアワアワオロオロさせるのは、寿命を削るだけだ。なので、できるだけ部屋にこもり、ひとりで泣いていた。

遅すぎるほど遅く過ぎていく時間をやりすごすために、わたしがやったこと。最初に手をつけたのは、マンガとか、ドラマ。でも、不意打ちでけっこうリアルな怪我や死の描写が出てきちゃうので、やめた。

次にやったのが、ドラゴンクエストⅣ。スマホでできるやつ。奮発して買ったんだけど、これはよかった。
頭を使ってダンジョンをクリアする気概はなかったので、ひたすらマップをうろうろし、雑魚の敵を倒して、レベル上げ。それだけ。

クリフトのレベルがひたすら上がり続けてキアリー覚えたけど、キアリーが必要な敵なんて、序盤のマップに出てこない。クリフトを強く育てすぎてしまった。なにも考えず、無になれた。スマホでできるファミコンやプレステのなつかしゲームは、おすすめだ。

 

ハラハラしても、ドキドキしても、手術の結果は変わらない

お昼ごろ、編集者の佐渡島さんと、オンラインで打ち合わせがあった。

いつもは小説やエッセイについて話し合うけど、そんな余裕はないので断ろうとしたら、「雑談でいいんだよ、雑談しよう。それだけで時間が過ぎるから」と言ってくれた。

案の定わたしは、最初から最後まで泣きっぱなしだった。佐渡島さんはもらい泣きしたり、過剰に励ましたりせずに、静かにどっしりと構えて、ただただ聞いてくれた。ここでわたしより動揺して心配されてしまったら、たぶんわたしは「申し訳ない」と思って、なにも吐き出せずに強がってしまったはずだ。

コルクという作家の事務所に所属していて、よかったと思う。思考停止しているわたしの先まわりをして、執筆や取材のスケジュールを調整してくれ、お金の相談までのってくれた。

「岸田さんがきっと消耗してるだろうから」と言って、手術が終わったあとに信頼できる心理カウンセラーさんとの面談も入れてくれた。

打ち合わせの終わり際、佐渡島さんに「強制的にでも眠らせてくれるところに行った方がいいかもよ」と言われて、それって手刀してくれるHUNTER×HUNTERのキルアみたいな暗殺者のところかなと思ったけど、どうやらリラクゼーションサロンのことだった。

しばらくお風呂にも入ってないのを思い出したので、病院から近いところにある、仮眠所がついている温泉施設に行ってみた。炭酸泉にゆっくり浸かって、出たら、1時間だけだったけど深い深い眠りに落ちて、起きたら頭がすっきりさっぱりしてた。

「......あ、もう1時間過ぎてる」

時間が過ぎ去っていったのが、なによりうれしかった。家族が手術してるのに、温泉行くなんて、わたしだけじゃ思いつかなかった。そんなことすすめてくる人も、行く人も、不謹慎だって言われそうじゃん。

でも、それは違うね。行った方がいいね。ハラハラしても、ドキドキしても、手術の結果は変わらないのだ。

わたしはメスもにぎれないし、神通力ももっていない。無力だ。無力だからこそ、無駄に消耗するより、少しでも楽でいられるように時間を過ごすべきだ。

温泉にあった足湯つきの屋上から、夜景が見えた。高速道路を行ったり来たりする車の明かりが、ちょうど手術前に見せてもらった母の心臓の動きに似ていた。

あんな複雑な動きを24時間年中無休でやってる心臓って、本当にすごい。どうなってんだ。心臓としゃべれるのならば、自分の心臓にしこたまお礼を言いたい。途中で、家で待っているばあちゃんに電話した。

「ママ、どんな手術してるんやろか?」
「胸を切って、心臓の血管やらを取り替える手術やで」
「ええーっ! 切るって、縦に切るんやろか、横に切るんやろか」
「......縦ちゃうかな」
「ほんまかいな」
「わからん、そんなん聞いてないし」

これでまた2時間後に忘れられるから、おばあちゃんはお気楽でいいなあ。

 

「お母さん、がんばりましたよ」手術が終わった瞬間

家に戻り、やらなければいけないこと、特に母から頼まれた事務作業を、すべて終わらせようと思った。

生活費の入った通帳を持ち出すとか、保険会社から借りたドライブレコーダーを送り返すとか、弟の通ってる作業所に連絡とか、足りてない生活用品はどれかとか、ヘルパーさんに来てもらうにはどうしたらいいか、とか。
母に聞かないと連絡先すらわからない件もけっこうあって、かなり苦労した。

父が亡くなったとき、これを母はひとりでこなしていたんだな。しかも、わたしや弟の前でくじける様子なんて一切見せなかった。

あのとき、この人はきっと、こうしてわたしたちのことを思って、がんばってくれてたんだ。
そういう想像がぶわっと頭のなかに広がったとき、言葉にできない感謝と愛しさが、体中を埋め尽くす。忘れたくない感覚だ。

「お母さんとお父さんが、実はサンタクロースだったんだ」とかと似てるね。

しかし、感謝したいときに、それを伝える相手がすぐそばにいないこと、けっこうあるね。そういうメッセージをいつも見逃さないように、気をつけて生きていきたいよ。

電話が鳴った。

「お母さん、がんばりましたよ。いま手術が終わって、集中治療室です」

先生だった。

気が抜けすぎて、なんて返事したかわかんなくて、逆にものすごく一本調子で「ありがとうございます、はい、ありがとうございます、そうですか」としか言ってなかった気がする。

「いまから8時間くらい......そうですね、明日の午前中になったら目が覚めると思います。脳梗塞がないかは、意識が戻ってからじゃないとわからないのですが」

そうか、まだ終わってないんだ。こわい。

電話を切った1時間後。また先生から電話があった。ドキッとした。わりと最悪の状況も覚悟していた。手術1時間後に主治医から電話って、絶対、急変やないか、と。

ふたを開けてみれば、想像と違った急変だった。

「お母さん、もう目が覚めはったみたいで! 脳梗塞もいまのところなさそうです、つばも自分で飲み込めてるし、両手も動いてますよ」

先生は、あまりにも早すぎる母の目覚めに、思わず噴き出していた。

「でもね。あまりにも早かったから、なんか傷跡が痛いみたいで。痛い痛いって泣きそうに言ってはるんですけど、鎮静剤で寝かせてもいいですか?」
「寝かせてやってください!」

電話口で、わたしも泣きそうになった。

 

母が死んだら、自分も死んじゃう気がしてた

翌朝、先生のPHSから母の「ただいまあ」と言う弱々しい声が聞こえた。「おかえりい」と返した。

実は、温泉に向かう車の道中で、わたしは10分ほど眠りに落ちてたらしい。運転してくれた人が言うには、「寝言で何回も『おかえり』って言ってたで」と。

母におかえりって、なんとしてでも、言うつもりだったんだな。よくできてるな、わたしの頭は。父が言わせてくれたのかもしれないな。

わたし、母が死んだら、自分も死んじゃう気がしてた。

でも、「もし母が死んでも、向こうに父がおるんや。きっとふたりは楽しく暮らせるんや」って気づいたら、死ぬほどつらいわけでもないなって。だって、母はどっちに転んでも、幸せは幸せだから。わからないけど。そう信じたいだけだけど。

どうなったって、父がいい方向に転ばせてくれるんだよな。結局、心配していた後遺症も、なにひとつなかった。奇跡だった。

ここまでの母のことを、振り返ってみる。

発熱してるだけでコロナのリスクがあり、心臓の基礎疾患もあるので、何件もの病院から診察を断られたけど、1件だけすぐに診てくれる病院があった。そこでPCR検査をしてもらえた。これがなかったら、大学病院へスムーズにかかれなかった。

大学病院では尿検査、血液検査、カメラを飲み込んでの心エコーといった、ありとあらゆる検査を試して、いろんな科の何人もの先生が原因菌を探ってくれた。

一刻を争う状況で、集中治療室のベッドも、手術のスケジュールも空きがない。だけど、手術の当日、事情があって手術をキャンセルした軽症の患者さんがいらっしゃって、母はすぐに手術をしてもらえることになった。

今回の手術では、どの病院のどの先生に聞いても、「ああ。今回手術をする先生たちほど、信用できる人はいないわ」と太鼓判を押されるような先生たちが、執刀してくれた。10時間以上、立ちっぱなしで。先生は翌日、強烈に集中したので目と腰が痛くてしかたなかったと、笑っていた。

不運と幸運の奇跡にまみれている岸田家は、また、奇跡に助けられたのだ。
そして奇跡は、神様が起こすんじゃなくて、人が起こすんだと。

 

著者紹介

岸田奈美(きしだ・なみ)

作家

1991年生まれ、兵庫県神戸市出身。大学在学中に株式会社ミライロの創業メンバーとして加入、10年に渡り広報部長を務めたのち、作家として独立。 世界経済フォーラム(ダボス会議)グローバルシェイパーズ。 Forbes 「30 UNDER 30 JAPAN 2020」選出。

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