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大森貝塚だけではない!? モースが見た明治初期の日本の風景

エドワード・S・モース(動物学者、大森貝塚発見者)

2018年11月15日 公開 2018年11月19日 更新

四季と自然の愛し方

この地球の表面に棲息する文明人で、日本人ほど、自然のあらゆる形況を愛する国民はいない。嵐、凪、霧、雨、雪、花、季節による色彩のうつり変り、穏かな河、とどろく滝、飛ぶ鳥、跳ねる魚、そそり立つ峯、深い渓谷――自然のすべての形相は、単に嘆美されるのみでなく、数知れぬ写生図やカケモノに描かれるのである。

東京市住所姓名録の緒言的各章の中には、自然のいろいろに変る形況を、最もよく見ることの出来る場所への案内があるが、この事実は、自然をこのように熱心に愛することを、如実に示したものである。(同書p125)

我々は多くの美しい生垣を通過した。その一つ二つは、二重の生垣で、内側のは濃く繁った木を四角にかり込み、それに接するのは灌木の生垣で、やはり四角にかり込んであるが、高さは半分くらいである。これが町通りに沿うて、かなりな距離並んでいたので、実に効果的であった。

日本の造園師は、植木の小枝に永久的の形がつく迄、それを竹の枠にしばりつけるという、一方法を持っている。私の見た一本の巨大な公孫樹は、一つの方向に、少くとも四十呎、扇のように拡りながら、その反対側は、日光も通さぬくらい葉が茂っていながらも、三呎とは無かった。樹木をしつける点では日本人は世界の植木屋中第一である。(同書p38)

 

日本人の「ものづくり」

鼠の玩具(エドワード・モース筆)
明治初期の鼠の玩具(エドワード・モース筆)

維新から、まだ僅かな年数しか経ていないのに、博覧会[上野公園で開かれた内国勧業博覧会]を見て歩いた私は、日本人がつい先頃まで輸入していた品物を、製造しつつある進歩に驚いた。

一つの建物には測量用品、大きな喇叭、外国の衣服、美しい礼服、長靴や短靴(中には我々のに匹敵するものもあった)、鞄、椅子その他すべての家具、石鹸、帽子、鳥打帽子、マッチ、及び多数ではないが、ある種の機械が陳列してあった。海軍兵学寮の出品は啓示だった。

(中略)学校用品は実験所で使用する道具をすべて含んでいるように見えた。即ち時計、電信機、望遠鏡、顕微鏡、哲学的器械装置、電気機械、空気喞そく筒とう等、いずれもこの驚くべき国民がつくったものである。(p126)

機械的の玩具は、常に興味を惹く。構造はこの上もなく簡単で、その多くは弱々しく見えるが、しかも永持ちすることは著しい。図の鼠は皿から物を喰い、同時に尻尾を下げる。横にある竹の発ば条ね は、下の台から来ている糸によって、鼠に頭と尾とを持上げた姿をとらせているが、発条を押す瞬間に糸はゆるみ、頭と尾がさがり、そして頭は皿を現す小さな竹の輪の中へはいる。鼠には色を塗らず、焦した褐色で表面をつくってある。

日本人はこの種類の玩具に対する、非常に多くの面白い思いつきを持っている。それ等の多くは棒についていて糸で動かし、又は我が国の跳びはね人形のように動く。(p223-224)

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