大森貝塚だけではない!? モースが見た明治初期の日本の風景
2018年11月15日 公開 2024年12月16日 更新
寺て見つけた「本当の基督教的精神」
薄暗い寺院の隅々では、涼しそうな服装をした僧侶が動きまわり、人々があちらこちらにかたまって祈祷をしていた。日本人は、私が今まで見たところによると、祈祷をする時以外に熱心そうな表情をしない。寺院の内にある奇妙な物象は、屡々人を驚かし、軽蔑の念をさえ起させる。
この問題に関して米国の一宣教師雑誌は、この宗教的建築物の壁にかかっているある品物――太平洋の便船「シティ・オヴ・チャイナ号」の石版画を額に入れたもの――を捕えて嘲弄の的にした。私はこれを信じることが出来なかった。
それで初めてこの寺院に行った時、特に探したところが、なる程、他の記念品や象徴物の間にはいって壁を飾っていた。それは記叙してあった通り、蒸汽船の、安っぽい、石版の色絵で、よごれた所から見ると何年かそこに掛っていたものらしい。硝子板の横の方に何か五、六行縦に書いてあった。
数日後私は学生の一人と一緒にまた浅草寺へ行って、そこに書いてあることを翻訳して貰うと、大体以下のような事が書いてあるのであった――「この汽船は難船した日本の水夫五人を救助して日本へ送り届けた。外国人のこの親切な行為を永く記念するために、当寺の僧侶がこの絵を手に入れ、当寺の聖物の間にそれを置いた。」
これは日本人が外国人に対して、非常な反感を持っていた頃行われたことで、僧侶達が本当の基督教的精神を持っていたことを示している。そして日本人はこの絵画を大切にする。(同書p83-34)
寛容さと行儀のよさ
蟹の甲羅をかぶる日本人(エドワード・モース筆)
大人が寛容で子供が行儀がいい一例として、どんなに変った、奇怪なみなりをした人が来ても、それに向って叫んだり笑ったり、何等かの方法で邪魔をしたりしない。私は帽子として大きな日本の蟹の甲羅をかぶっている人を見たことがある。
これは日本の近海でとれる巨大な蟹で、胴体の長さが一呎以上に達し、爪は両方へ四、五呎もつき出している。この男が歩いて行くのを多くの人が眺め中には微笑した人もあった。殆ど全部の人々が頭を露出しているのに、これはまた奇妙な物をかぶったものである。(同書p.84)