終末期の選択「いつまで点滴を続けますか?」
なぜ、そんなに自信をもって言い切れるのかというと、私の夫の旅立ちが、まさにそうだったからです。
死とは「生の延長線上にあるもの」「日常の地続きにあるもの」なのだとすんなり納得させてくれました。
がんが再発した後、余計な闘病をせずに自宅での"自然死"を選んだ夫は、「ほどよくドライ」に、枯れていくように旅立っていきました。
映画やドラマでよく描かれるような「激しい死」「苦しい最期の瞬間」というイメージとは無縁。呼吸も穏やかで、体からは何も流れ出てきませんでした。
「人間は自分でちゃんと自分自身の後始末をして、きれいになって、死ぬようにできてるんだなぁ」
私はそう身をもって実感することができました。
「妙憂さんは看護師なんだから、それまでに死に際の光景なんて、病院でたくさん見てきたでしょう?」
そう不思議に思われるかもしれません。
たしかにその通りです。
でも、私が「夫の看取り」より前に見てきた死は、あくまで病院で迎える「患者さんの死」です。
体にとっては、もはや不必要な点滴のおかげで、サードスペース(細胞と細胞の間)に水分が染み出し、パンパンに皮膚がむくみあがった手足。そのため、少ししただけで、皮膚がペロリとむけてしまうご遺体に、私はこれまで何度も向き合ってきました。
誤解を恐れず言うと、末期の患者さんへのほとんどの点滴とは、医学的に見て、何かの症状を改善してくれたり、痛みをやわらげるような効果は、ほぼありません。
「水分補給」などという"正義の"のもと行われるわけですが、実際はむくみの原因となり、患者さんの体に負荷を与えるだけです。
さらに言うと、点滴の弊害は、むくみだけにとどまりません。
旅立ちのあとに、いろんな体液が体中からもれ出てしまうのも、実は体が処理しきれなかった点滴のせいです。
けれども、夫は点滴をしていなかったため、ほどよく枯れ、死後に体液がもれ出すことなんて、まったくなかったのです。
そんなことを、"自然死"というう形で身をもって教えてくれた夫に、私は今でも感謝をしています。
「体にとって余計なことはしないほうが、きれいに旅立てるよ」
彼は私に、そう教えてくれたのです。このような旅立ち方について、ひとりでも多くの人に知ってほしいと思えてなりません。
ですから、どうか先々のことを心配しすぎないでください。
誰もがいま、「万事、うまくいっている」のですから。(了)