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くらし

末期がん告知から9ヶ月…自分の名前が書けなくなった

刀根健(とね・たけし)

2020年03月09日 公開 2020年07月04日 更新

 

自分の名前の文字が思い出せない!

ある日、宅配便のお兄さんがやってきた。
「お届けものですー」それは頼んでおいたサプリだった。

「ありがとうございます。お疲れ様です」嗄れ声で玄関に出た。
「サインお願いします」お兄さんは紙とペンを僕に渡した。
「ここですね」

僕はペンを受け取って自分の名前を書き始めた。

刀…根…っと。あれ? ペンが止まる。根ってどういう字だっけ?

「木」の横がどうしても思い出せない。おかしい、何十年も書いてきたのに何で思い出せないんだ。

「ちょっと待ってください」僕はごまかすと、表札を見上げた。そっか、思い出したぞ。木の右側を書いた。

しかし思い出しながら書いたせいか、その字は初めて漢字を習った小学生の書いた文字のようにバランスがおかしかった。

「ありがとうございますー」お兄さんは紙を受け取ると、足早に去って行った。僕は呆然とした。自分の名前が書けなくなった!

なんだ? 何が起こってるんだ?

しばらくするとひらがなも忘れてしまった。「く」はどっちに曲がっているのかが一瞬わからなくなる。「き」がどっちにふくらんでいるのか覚えていない。

いちいち思い出しながら文字を書いていたので、文章を書くのに時間がかかるようになってしまった。それ以降、なるべく文字を書くのはやめた。文字を忘れてしまった自分に直面するのが怖かった。

スマホの打ち込みも極端に遅くなった。指の動きと文字の関係を忘れてしまったのだ。

 

会話をすることも困難な状態に

そしてやがて、動物園のナマケモノのように、全ての動きがスローになった。

5月下旬、咳をした衝撃でぎっくり腰になった。立ち上がるとき、歩くとき、何かにつかまっていないと体勢が維持できない。よろよろと30m歩くだけでひどい息切れがする。

股関節は常にズキズキと痛み、坐骨は座ってもいないのにジンジンとうずいていた。胸の中は常にチクチク・ズキズキと痛み、もう深呼吸もあくびもできず、浅い呼吸しかできなくなった。声を出そうとすると声帯の横から空気がスカスカ漏れていき、息苦しくなる。

したがって、単語しか話せなくなったのでジェスチャーが多くなった。

漢方クリニックに行くとき、地下鉄銀座駅から地上に出るのがかなりキツくなった。

手すりにつかまりながらよろよろと階段を登り、途中で何度も休み、地上に出てからは息を数分整えないと歩けなくなった。もう、階段は無理かもしれない。弱気になった。

急に気道が閉じて呼吸困難に陥る回数も増えた。血痰がひどくなり、痰の中に血が混じるというレベルではなく、もはや赤黒い血の塊を吐き出すようになった。

右手が痺しびれてきた。指先が常にピリピリとしている。明らかに左手よりも右手が重く、動かしにくい。この痺れはなんなんだ? 僕は無意識に左手を使うようになった。

この頃から、肋骨の痛みで横を向いて寝られなくなった。体重は52キロ台に突入した。

10キロ以上減ったことになる。歩くことも不自由になり、階段を登ることは諦め、エスカレーターを探すようになった。身体がだるくて起き上がることもおっくうになった。それは掛川医師が言っていた通りの状態だった。

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朝起きると、視野が狭くなっている

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