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「3.11」 動揺する楽天ナインに、名将・星野仙一が放った “冷たい一言”の真相

喜瀬雅則(スポーツライター)

2021年03月11日 公開 2022年10月14日 更新

 

楽天の顔・山崎武司

山崎武司というプレーヤーは、まさしく「楽天の顔」だった。2004年(平成16年)の「球界再編騒動」。その引き金を引くことになったオリックスと近鉄の球団合併構想が進行する中、山崎は合併前のオリックスで戦力外通告を受けた。

当時36歳。現役引退も脳裏にちらついたという山崎だったが、己の持てる最後の可能性にかけ、仙台に発足した新球団・東北楽天への移籍を決めた。ベテランの飛躍は、名将・野村克也との出会いにあった。

綿密なデータを生かし、相手の作戦や心理を読む"野村ID野球"を吸収した山崎は、2007年(平成19年)、自身39歳のシーズンにして、本塁打・打点の2冠王に輝いた。セ、パ両リーグでの本塁打王獲得は、史上3人目の快挙でもあった。

戦力外通告からの華麗なる復活は「おじさんの星」と称えられ、楽天の押しも押されもせぬチームリーダーとして、山崎の存在感は光り輝いていた。

2011年(平成23年)からは、中日時代の恩師でもある星野仙一が、その前年に最下位だった楽天を建て直すべく、新たに監督に就任していた。

 

山崎武司の「あの日」

その幕開けとなるシーズン直前に、東日本大震災が発生した。あの日、山崎は兵庫・明石にいた1軍本隊とは別行動で、埼玉・戸田で行われたファームの教育リーグ、対東京ヤクルト戦に出場していた。

ベテランにのみ許されていた、開幕へ向けての独自調整の最終段階だった。戸田での試合を終えると、兵庫・明石から横浜に移動してくる1軍に合流する予定になっていた。その戸田での試合中に、グラウンドが大きく揺れた。

「震度2、3くらいなら、外にいたら地震ってあまり感じないじゃないですか? あのときは、長かったんです、揺れが。最初、だらだらっという感じで、なんかなげーな、すごいのが来るんじゃない? って思ったら、ズドズドって感じで……」

グラウンドにいた山崎は、信じられない光景を目の当たりにした。外野スタンド奥に張られたネットが波打つように揺れ、ネットを左右から支えていた鉄柱もそれに引っ張られ、互いにぶつかりそうになるくらいにまでしなっていたという。

さらには外野席後方に停車していたバスが、そのままひっくり返るのではないかと思うほど、縦に、そして横に揺れ動いているのも視界に入ったという。これは、とんでもないことが起こった……。

戸田から車で横浜へ向かった。いつも混雑しているはずの首都高速道路には「車が一台も走ってなかったんです」。

「テレビで、津波の状況をリアルタイムで見たんです。仙台の空港から、自分が住んでいるホテルまでの動線も分かるじゃないですか。これはえらいことになったぞと」

驚き、そして戸惑う山崎のもとに、明石から移動してきた仲間たちが合流してきた。仙台にいる家族と連絡がつかない選手や関係者も多く、その表情は一様に憔悴していた。

「おい、どうする?」

山崎に声をかけられた平石洋介も、現状を把握し切れず、困惑の渦の中にいた。

「ああいう大きな津波は、想像もしていなかったですから……。これは、すごいことになってしまっていると……」

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