「なんとなく居心地が悪い職場」が改善されない決定的な要因
2021年12月02日 公開 2022年12月27日 更新
本当に怖いのは「怒られること」ではない
かつて土居さんが『「甘え」の構造』を著した昭和40年代の中ごろは、甘えは決して悪いことではなく、少なくとも必要なものでした。
――要するに人間は誰しも独りでは生きられない。本来の意味で甘える相手が必要なのだ。自分が守られていると感じることができなければ、ただの「甘やかし」や「甘ったれ」だけでは、満足に生きられない――
この一節は、まさに現代の「繊細さん」について述べられていることのように思います。土居さんは「甘やかし」も「甘ったれ」も、「本来の甘え」とは似て非なるものであって、相手の好意こそが肝腎なのに、それが欠けているから無理やり好意があるかのように見せかけようとするときに出てくるものとしているのです。
こうしてみると、徐々に明らかになるとおり、本当に怖いのは「怒られること」ではないのです。本当に気にしていることは「所属しているはずのコミュニティにおいて、自分が守られているとは感じられない」という不安なのです。
そう考えれば「ピリピリした職場の雰囲気」「ドアをバタンと閉める大きな音」「隣の同僚が怒られていること」までも「不快で不安にさせられる」理由が見えてくるでしょう。
これらのいずれも「自分が怒られている」わけではありません。雰囲気や音によって直接の被害をこうむることもないはずです。ピリピリした雰囲気などに居心地の悪さを感じてしまうのは「甘えられない場所」だからです。
職場の同僚すべてと相互に好意があることがわかっていて、たとえば年度末などで追い込みが必要だというのであれば、むしろ「ピリッとした雰囲気で仕事がはかどる!」と感じることもできるでしょう。空気そのものの問題ではなく、コミュニティと自分との相互の関係こそが大事なのです。