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「定年廃止」「解雇規制緩和」「完全能力給の導入」が日本の雇用を救う

冨山和彦(経営共創基盤[IGPI]代表取締役CEO)

2012年06月22日 公開 2024年12月16日 更新

日本の雇用制度は不思議なまでに特殊である。解雇4要件というものが存在し、雇う側は人員を容易に解雇できない。そのため採用自体も慎重になってしまうという傾向があり、近年叫ばれている“人材の流動化”を実現させづらくしている構造だ。

そうした雇用関係に詳しい富山和彦氏は、そもそも「定年制度」自体が年齢に対する差別であり、本人の能力を無駄にしかねないと主張している。ますます雇用に関して“変革”が求められる時代、具体的にどのような施策が有効なのだろうか。

※本稿は、冨山和彦 著『30代が覇権を握る!日本経済』(PHPビジネス新書)より、内容を一部抜粋・編集したものです。

 

定年制は年齢による差別だ

次は働き方への提言だ。そもそも私は、定年制を廃止すべきだと考えている。

日本には、解雇4要件(〔1〕人員整理の必要性、〔2〕解雇回避努力義務の履行、〔3〕被解雇者選定の合理性、〔4〕手続きの妥当性、の4つの要件を満たさなければ整理解雇は無効だとする判例)の縛りがあるため、一度正社員として雇うと、なかなか辞めさせられない。

しかもこの要件には、不思議なことに解雇に対する金銭的補償については、何ら触れていない。雇用されている状況自体に、金銭では絶対に代替できない特別の価値を認めているのだ。

後述するように、私は日本の会社の仕事の多くは長期雇用に比較優位があると考えているし、雇用には人間にとって金銭的価値を超えた意味があることも認める立場だ。しかし、雇用されている状態自体にここまで絶対的な価値を認めてしまうのは、雇用契約の本質を逸脱している。

このようなことがあるから、逆に日本の各企業は、正社員をエグジットさせるほとんど唯一のメカニズムとして定年制を導入しているのだが、これは明らかに年齢による差別である。

一定の年齢に達したことのみを理由に雇用契約を解除する、あるいは延長しないというのは、何ら合理性がない。なぜ誰も憲法訴訟を起こさないのか、不思議なくらいだ。少なくとも米国では、こんなことは認められない。

採用時に年齢を聞くことすらできないのだ。雇用継続の可否はもちろん、採用においても年齢による差別は、憲法第14条(法の下の平等)に反し、許されるべきではない。雇用契約が立脚すべきは、あくまでも当人の適性、能力である。

その意味で、日本の裁判所は、解雇4要件であそこまで厳格に解雇を規制するくらいだから、定年制も違憲無効にしないと、判例政策的には一貫性がないことになる。

じつは同じ問題が年功給にもある。年功と生産性の間に合理的な相関があるならともかく、単に社歴が長いだけで賃金が上がるとしたら、これも実質的に年齢による差別になる。

だから私は、「解雇規制を緩和して、解雇自由の原則に戻る代わりに、定年は廃止する」ことを主張したい。もちろん解雇自由の原則というのは、いつでも好きなように解雇できるということではない。

裁判所の言う解雇四要件はそのままでいいから、そこに金銭的補償の程度を加味して、総合的に解雇の正当性を認めるべきということだ。要するに雇用契約の根本は、やはり経済的な契約なのだから、最終的にはお金で解決することを認める世界である。

正当な事由がある場合、もっと自由に解雇できるなら、企業にとってはそもそも定年制は必要ないし、人を雇うときも躊躇しないだろう。正規雇用と非正規雇用の間にある、絶対的とも言える壁も相対化する。

必要なときに必要な人材を必要な分だけ雇い入れる。それも仕事の特性と働く側のニーズの組み合わせに応じた多様な雇用形態で。そして、その仕事が必要でなくなったら、しかるべき補償を払って辞めてもらう。

そうすれば、企業が人件費の調整弁を新卒採用数のみに依存し、景気によって新卒採用が異常に上下する不幸な事態も避けられる。

その結果、中途採用市場が活発になり、人材が流動化する。企業もムダな人員を抱え込まずに済み、働く人もリストラの恐怖におびえなくて済む。いまのシステムでは、一度、正社員の地位から滑り落ちたらそれまでとなり、実際、生涯賃金でも大きな格差がついてしまう。

しかし、そんな身分制がなくなれば、1つの会社に正社員としてしがみつかなくても、辞めて次の会社に移ればいいからだ。要は老若男女に関係なく、また雇用契約上の身分に関係なく、能力、生産性こそが、労働市場における圧倒的な評価基準になるのだ。

ただ、定年制をやめた結果、高齢者が会社で幅を利かせて、「老害」を垂れ流すことになったら問題だ。そこで、能力給の導入も同時に行う。年功給も一種の年齢による差別として禁止し、能力に応じた給料にする。

年を取って生産性が落ちたら、その分、給料もしっかり下がるようにすればいい。

もちろん生産性の低下は、解雇自由原則の下では、立派な雇用契約の解除事由になるし、経営者や役員の場合は、そもそも委任契約型の有期契約なので、ガバナンスさえちゃんと機能していれば、能力の落ちた人物はいつでもクビにできる。

 

労働市場の三位一体改革で若年層雇用の再生を

解雇規制緩和(解雇は正当な経済的補償をすれば原則自由)、定年制廃止(年齢による差別の禁止)、完全能力給の導入(年功給廃止)、これら3つはセットで考えなくてはならない。

この中の1つだけをつまみ食いすると、最悪の結果を招いてしまう可能性がある。

たとえば、定年制を廃止したのに能力給を導入しなければ、生産性が落ちた中高年の高給取りのために、若い人たちの労働環境がいま以上に悪化する。いや、そもそも給与水準や労働条件だけでなく、新卒の正社員採用そのものを絞り続けてきたのが、バブル崩壊後20年間の日本の実態だ。

いくら景気が悪くなったといっても、この20年間、ちょうど中高年正社員だった団塊の世代と比べ、少子化によって半分くらいの数しかいない若年層が、これだけ就職に苦労するという事態はあまりにも異常である。この間、日本のGDPが半分になったわけではないのだから。

解雇規制を緩和したのに年功給が残っていれば、こうして新卒時に正社員になれなかった人々が中途で会社に入ろうとしても、上の世代の高人件費に頭を抑えられて、求人は増えず、あっても給料は低いままとなり、人材の流動化は進まない。

解雇規制緩和、定年制の廃止、完全能力給化の3点セットは、立場によっておいしい話と辛い話の両方が混じっており、それぞれに賛成・反対が分かれ、ついついつまみ食いをしたくなる。

しかし、もう一度繰り返すが、これらは全部セットにして同時に導入しなければ、体系として機能しない。一部だけをつまみ食いして、おいしいとこ取りを狙うと、逆に辛いとこ取りになり、皆が不幸になる。その典型が最近の派遣労働の規制強化だ。

本来、若年層に多い非正規労働者を保護するための規制強化のつもりだったようだが、その後も非正規雇用の賃金が上がったわけでもなく、非正規労働者比率の増加傾向も止まらず、若年層失業率も高止まりしたままだ。

同じ脈絡で、継続雇用の義務づけのような、高齢者の働く場を規制で強制的につくる施策もナンセンス。そんなものは人工的な窓際族の生命維持装置みたいなもので、真の雇用創造にはつながらない。

押し出される若年層の失業率をさらに押し上げるだけである。その場しのぎの人気取り、表面的なきれいごとのパッチワークでは、労働市場の本質的な問題は解決しない。

 

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