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生き方

なぜ、私だけが...心理学者が思う“幸せの波にいつも乗れない人”の共通点

河合隼雄(心理学者)

2023年06月22日 公開

 

「嘘」と「口実」は違う?

口実のためにうっかり噓を言い、この噓を守るために噓を重ねたりしているうちに、取り返しがつかなくなった、という経験をされた人はないだろうか。

ともかく、現代は表向きは「噓は悪い」ことになっているので、なかなか生きていくのが難しいのである。と言っても見えすいた噓ばかり平気で言っていると、だんだん信用を失うことも事実である。

平安時代には方違えなどという考えもあった。悪い方角に直接行くのを避けるためにまったく異なる場所に立ち寄ったり、寄留したりする。これも上手に口実に使われているのだ。

この時代の人は、夢も方違えも信じている。信じていながら上手に口実に使うことによって、人間関係を円滑にする知恵をそなえていたと思われる。なかなか大したものだ。

私も「サボりたい」会合などに、夢見が悪かったとか、そちらは方角が悪いなどと言って休みたいと思うが、まだしてみたことはない。現代は現代らしい口実を見つけるより仕方がない。

 

「自分だけが不幸」と訴える人々

いろいろと相談を受けているなかで、「なぜ、私だけがこんなに苦しまねばならないのか」と嘆く人は多い。ほとんどの人がこのような言葉を一度は口にされると言っていいかもしれない。

他の人が幸福そうに、あるいは無事に生きているのに、なぜ、自分だけがこのような不幸や災難に巻き込まれねばならないのか。考えてみても答えは出てこない。ともかくそれは理不尽である。そう思うと苦しみや悲しみが倍加されてくる。

苦しいときでも理由がわかっているときは、納得できる。自分の不注意で交通事故を起こしたときは、つらいことではあるが、自分が悪かったのだからと納得して、罰金を払う。

あるいは、他の人も自分と同じ苦しみを味わっていると知っている場合も耐えやすい。例えば、地震とか洪水などで、たくさんの人が被災したとき、苦しいことは苦しいが、多くの人が苦しみを共にしているということで、少なくとも心理的には耐えやすい。

自分だけが苦しんでいるときに、他の人はその道を楽しんでいるとか、喜んでいるとかわかるときは、苦しみがますますひどくなる。

話を聴いていても同情を禁じ得ないときがある。「なぜ、こんなにいい人が」とこちらも思ってしまう。こんなに気だてがよくて、正しく生きてきた人に、どうしてこれほど不運なことが襲いかかるのか。それも一度ではなく、二度も三度も、というときがある。

このような話を聴き、深く同情する気持ちをもちながら、へこたれることもなく、私はずっとその話を聴いている。そして、嘆きが続くのなら、1年でも2年でもそれをできる限り、そらすことなく、まっすぐに受けとめようとする。外見的には、それはその人の苦悩や不幸の深さを感じていないのではないか、と思われるほどである。

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「私だけが不幸≒個性」という考え方

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