なぜ、私だけが...心理学者が思う“幸せの波にいつも乗れない人”の共通点
2023年06月22日 公開
「私だけが不幸≒個性」という考え方
なぜ、そんなことをするのか。話を聴いて、それに対する慰めや解決法などを与えることができないのに、どうして話を聴き続けようとするのか。そこにはいろいろの答えがある。しかし、私はまず思うのはどんな不幸であるにしろ「私だけが」と言えるのは素晴らしいと思うからである。
現代は個性が大切といわれる。「個性を伸ばそう」などという言葉は日本中の学校や会社に行けば聞くことができる。しかし、実際は自分の「個性とは何か」と考えても、なかなかわからないものである。とすると、内容はどんなことであれ、「私だけが」と言えるとは、大したことである。
つまり、「なぜ、私だけが不幸なのか」という問いは、個性発見への切り口を提供している。それならば、その切り口をもっと広げ、そこから見いだされてくるものに、いかに苦しくても、注目してゆこうではないか。私はこんなふうに考えるのである。
「平等」ということは、現代人が非常に大切にしていることである。同じく人間として生きてきたものが、できる限り平等であるように努力しよう。このような考えに立って、われわれは生きているし、これからもそうしてゆくだろう。
人間の平等への努力を評価しつつ、それが平板化したり、脱個性になってゆかないように、神様は人間の運命に対しては、途方もない不平等を与えているのかもしれない。
神から与えられた不平等と、人間の平等への努力がぶち当たって、散った火花のなかに、その人だけと言える個性が輝くのではないだろうか。
私がお会いした人たちが、本当に気の毒としか言いようのない不運、不幸に見舞われながら、確かに長い年月や深い苦しみを必要とはしたが、それぞれの個性の輝きを見いだしていかれたのには頭の下がる思いがする。