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危険な空気が渦巻く韓国、パキスタンでアントニオ猪木は...? 伝説の海外遠征に同行した永源遙が目撃した光景

永源遙,Gスピリッツ編集部

2024年07月23日 公開 2024年08月05日 更新


1976年12月、アントニオ猪木のパキスタン遠征に同行した永源遙(右後方)

アントニオ猪木は現役時代に数々の海外遠征を行ない、予期せぬ事態に遭遇することもあった。特に1976年12月のパキスタン遠征は現地の英雄であるアクラム・ペールワンに急遽「リアルファイト」を挑まれ、相手の腕を折って返り討ちにしたことで知られている。当時、新日本プロレスの中堅選手として猪木に同行した永源遙(※2016年11月28日に逝去)が至近距離で目にした光景とは?

※本稿は、『Gスピリッツ選集 第一巻 昭和・新日本篇』(辰巳出版)より、内容を一部抜粋・編集したものです。

 

反日感情の渦巻く韓国での喧嘩マッチに同行

――1976年10月9日、韓国の大邱で猪木さんがパク・ソンナン(朴松男)の目に指を突っ込んだとされる伝説の喧嘩マッチに永源さんは同行されていますね。

テレビ中継をストップして、遅れて試合をした時の?

――それは翌日にソウルの奨忠体育館で行われた同じカードによるNWFヘビー級王座の防衛戦です。この一戦は日本でも放送されましたが、同じく遠征に同行した坂口征二さんは「現地では生中継なのに、2人が控室から出てこないから試合が遅れた」と言っていました。

それも俺は行ってますよ。前日のひどい試合の時もセコンドに入っていましたね。向こうが「猪木を倒したら人気が出る!」という感じで来たから、猪木さんはやっちゃったんでしょう。そういうことがあっても乗り越えちゃうんだから、猪木さんは凄いですよ。お客さんには何があったのかはわからないだろうけど、異様な雰囲気は伝わったと思いますよ。やっぱりアマチュア(サブミッションレスリングの意味)で入っていったら猪木さんは強いからね。

――永源さんは、猪木さんとスパーリングしたことは?

もちろん、ありますよ。強い。すぐに腕を極められたり、足を極められたり。東京プロレスに入ってすぐに俺はまあまあ身体もあったし、ちょうどいい相手だってことでガンガンやられて。猪木さんは若い頃からいろいろな技を知っていたけど、特に腕を極めるのが巧かった。で、関節が柔らかいし、身体自体が柔らかい。だから長年、ガイジン選手や異種格闘技の選手に攻撃されても、やっていられたんですよ。あれで身体が硬かったら無理ですよ。

――話を戻すと、当時の韓国は反日感情が強かったでしょうから、猪木さんがパク・ソンナンをやってしまった後は大変だったのでは?

そういう時に猪木さんを守るのが俺の役目だからね。やっぱり一番守ったのがパキスタンですよ。あれは終わったらイチ、ニ、サンで控室に戻って、すぐにホテルへ逃げましたからね。で、そのホテルから出られなかったから。

 

伝説のパキスタン遠征 本当に7万人もの観衆が詰めかけたのか?

――その有名な76年12月のパキスタン遠征で、永源さんが同行メンバーに選ばれた理由は何だったんですか?

猪木さんと新間(寿=当時の新日本プロレス営業本部長)さんが選んだと思うんですよ。あとは藤原(喜明)と小沢(正志=キラー・カーン)がいたけど、3人ともそれなりに身体が大きくて年齢も同じぐらいだし、頑丈な人間が選ばれたのかもねえ。VIP待遇でしたよ。

行く時はパキスタン航空で猪木さん、奥さんの倍賞美津子さん、新間さんはファーストクラスでね。俺たちは後ろの方に乗ったんだけど、ビックリしたのはファーストクラスの方には寿司が入った大きな桶が3~4個用意してあって、「食べてください」って。だから、それを食うために俺たちもずっとファーストクラスにいましたよ(笑)。

あとは機長室で副機長のイスに座らせてもらったりね。あれは快適な旅でした(笑)。カラチ空港に着いた時には、深夜にもかかわらず3000~4000人が見に来ていましたからね。モハメド・アリ戦の後だったから猪木さんは向こうでも有名人でしたし。

――そして、決戦場のカラチ・ナショナル・スタジアムには7万人の大観衆が詰めかけたと言われています。

ホントに凄かった。警察官も2000人以上いたと聞いたから。リングから見渡すと、何キロも先の山の上に人がいっぱいいて、試合を観戦してるの。でも、見えるわけないでしょ、そんなもん(笑)。リングサイドの一番前の席は、金のある人しか座れないですよ。確か料金は100ドルとか言ってたから。

 

アントニオ猪木意外に唯一試合をした永源遥が振り返る「危険な対戦相手」

――その大観衆の中で、猪木さん以外に試合をしたのは永源さんだけなんですよね。ボル・ブラザーズの六男で末弟のゴガ・ペールワンと対戦されましたが、彼はどんなレスラーだったんですか?

俺より一回りぐらい大きかったねえ。力も強い。だけど、技は何もなくて、組んだらもうボディスラムで投げたりとか。それしかできない。ホントに技なんか何もないよ。それで俺が悪いことをして、向こうが一発殴ったら、7万人が「ウワーッ!」って。「何でこんなに騒ぐのかな?」と思ったけどね(笑)。向こうの選手への声援は凄かったですよ。俺が「待て、待て」とロープに逃げたら、7万人が沸くんですよ。日本人の弱い奴が逃げたと思って(笑)。

――ということは、永源さんはヒールなんですね。

そうそう。首を絞めたり、アメリカでやっていたのと同じようなことをやりましたよ。相手はどんな技をやるのかもわからないし、寝技、立ち技…何にもないし。しかも組んだら、もうガッチガチに力が100%入ってるしね。こっちが投げようと思っても、引っ繰り返ることはあるけど、踏ん張っちゃうんですよ。

――そういう訳のわからない選手と試合をする場合、不用意に相手の技を受けて様子を見ることもできないですよね。

危なくて下手に受けられない。怪我したら、どうしようもないからね。でも、力が強かった。俺が踏ん張っても上げちゃうんですよ。だから、何とか受け身を取って。結局、ボディスラムを何発か食って負けちゃいましたよ。リングの状態も悪いし。土の上にマットを敷くんですから。ロープも緩いしね。

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