パリパラリンピックの開幕は目前。50歳にして東京パラリンピックで二冠を達成したパラ自転車選手の杉浦佳子氏は、53歳となった今大会でも代表に選ばれている。『THE21』2024年9月号では、昨年の世界選手権でも優勝を果たし、パリでもメダルの期待がかかる杉浦選手に、これまでの活動の軌跡と現在の原動力を聞いた。(取材・構成:横山瑠美)
※本稿は、『THE21』2024年9月号掲載「私の原動力」より、内容を一部抜粋・編集したものです。
同じ障害を抱えた人の 「希望の星」になれたら
事故に遭ったのは、薬剤師として働いていた2016年、45歳のときでした。趣味だった自転車レースで落車し、頭蓋骨の骨折、脳挫傷、外傷性くも膜下出血など、深刻なケガをいくつも負ってしまったんです。
「他人と会話したり、一人で出かけたりできるほど回復するかさえ怪しい。少なくとも、自宅での生活には戻れないだろう」
それが、当初の医師の見解でした。数日後にどうにか意識は取り戻したものの、高次脳機能障害が残り、簡単な漢字さえまともに読めない状態。記憶も10分ほどしかもちません。右半身にもマヒが残り、歩くのも難しくなりました。意識が戻って間もない頃、認知症テストでほとんど点が取れなかったときのショックは今でも覚えています。
その一方で、「もう一度自転車に乗りたい。薬剤師にも復帰したい」という思いだけははっきりしていたんです。リハビリを重ねる中で、私と同じ高次脳機能障害を負ったにもかかわらず、医師に復職した女性がいることを知り、その気持ちはますます強固になりました。
そんな"希望の星"となる方がいるなら、自分もそうなれるかもしれない。再び自転車に乗り、薬剤師に復帰して、この障害を抱える人にとって2人目の"希望の星"になってやる。それがリハビリ中の目標でした。
懸命なリハビリを経て、競技にも薬剤師にも復帰
この身体で再び自転車に乗るなら、簡単には転ばない力を身につけねばなりません。医師やコーチとも話し合い、周囲の状況や他選手との距離を見極めて冷静に走るスキルや、三半規管の損傷で弱ったバランス感覚を補うための動体視力、体幹などを鍛えるトレーニングに重点的に取り組みました。
並行して、薬剤師に復帰するためのリハビリもスタート。言語聴覚士の方に診ていただきつつ、小学生レベルの漢字ドリルや計算ドリル、クロスワードに取り組みました。ちょうどその頃、私が薬剤師復帰に向けてもがいているのを知った同僚が、自作の「お薬クイズ」を差し入れてくれたことにも、本当に励まされました。
そうした結果、最初は人の言葉が単なる「音」にしか聞こえず、簡単な漢字も読めず、ロキソニンすら思い出せなかったところから、少しずつ回復。周囲の方々の多大な支援のおかげで、一時は薬剤師として復帰し、実際に薬局で勤務することができました(現在は競技に専念)。
1年足らずでレースへ復帰 東京パラリンピックが目標に
パラ自転車との出合いは、息子もお世話になった自転車競技の実業団で代表を務める方からの紹介です。事故から半年ほど経った頃でした。最初は「私が出たいのは健常者のレースなのに」と思いましたが、パラ自転車のレベルの高さを見てすぐ考えを改めました。
よく「自転車競技に復帰することに怖さはなかったのか」と聞かれますが、事故の瞬間の記憶が完全に飛んでいるおかげで、怖さは感じませんでしたね。 その後もリハビリとトレーニングを続け、2017年にパラ自転車の選手として、レースに復帰することができました。
東京パラリンピック出場を意識したのは、同年に初めてワールドカップに出場したときです。そこでは1位とはだいぶ差のある3位でしたが、だからこそ「もっとやってやる」という気持ちになれたんだと思います。コーチとも相談し、まずは東京パラリンピックへの出場を目標にしようと決意しました。その年の後半からは世界選手権やワールドカップでもある程度安定して勝てるようになり、次第に自信も生まれてきましたね。
つらかったのは、コロナ禍で東京パラリンピックが1年延期になったことです。あのときは「終わった」と思いました。伸び盛りの若手たちは、1年で急激に成長します。しかし、私はその1年で、49歳から50歳になってしまう......。きっと何人もの選手が、私を追い抜いていくだろうと思ったのです。
そんな悲壮感を軽くしてくれたのが「49も50も誤差の範囲でしょ」というコーチの言葉でした。この言葉で肩の力が抜けて気持ちが前向きに。1年の間に私も記録を伸ばそう、それで負けたら、勝った選手をリスペクトだ──そんなふうに気持ちを立て直すことができたんです。
結果、1年の間に私自身も記録を伸ばし、2021年の東京パラリンピックでは「ロードタイムトライアル」と「ロードレース」の2種目で金メダルを獲得。日本人最年長の金メダリストになることができました。
諦めずにいられるのは 周囲が支えてくれるから
昔から、何かをやり遂げたときの達成感が大好きです。練習やレースを経て「過去の自分を超えられた」と感じるときほど嬉しいものはありません。
こういう話をすると「どんな困難にも挫けないポジティブな人」なんて褒められたりもしますが、とんでもない。スランプに陥ることもありますし、弱気になることもあります。
今も競技を続けられるのは、客観的な視点から改善点を教えてくれるコーチや仲間がそばにいてくれるからです。私一人では、きっと「もう年だし」などと「できない理由」を探して、どこかで諦めてしまっていたと思います。でも今は、不調に陥るたびコーチがその原因を特定し、改善策を考えてくれる。いつも助けられてばかりです。
そうした支えのおかげで、パリパラリンピックでも代表に選ばれることができました。目標は、東京で果たせなかった「トラック種目」でのメダル獲得です。深刻な障害を負った私を信じて育ててくれた方々に、喜んでもらえる結果を出したい。何とかメダルを獲って、トラック種目でお世話になった方々の首にかけてあげよう、という気持ちをとても強く持っています。
パリが終わったら、今度はまた薬剤師の経験を活かす仕事にも注力したいですね。特に、生活習慣病や認知症の「予防」につながるような活動を始められないかと考えています。事故前に薬剤師だったとき、生活習慣病がもとで寝たきりになった患者さんが、口々に「こうなるとわかっていたら、もっと気をつけて生活した」と言っていたのが、今も胸に残っているんです。
例えば、参加するだけで運動になるイベントとか、人と交流するモチベーションが高まるようなイベントとか......。薬剤師の仕事を熱心にしてきたからこそ、その経験を活かして、病気に苦しむ人を減らすことに貢献していきたいなと思います。
【杉浦佳子(すぎうら・けいこ)】
1970年生まれ、静岡県出身。北里大学薬学部卒。2016年、自転車レース中に落車し、高次脳機能障害と右半身マヒが残る。17年にパラ自転車競技の選手となり、同年の世界選手権ロードレース部門で優勝。18年には同年開催のワールドカップ全戦で優勝する偉業を成し遂げた。21年、東京パラリンピック自転車競技で二冠。2024パリパラリンピック女子自転車競技代表。総合メディカル/TEAM EMMA Cycling所属。