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スキャンダルや炎上...揺らぎやすい「推しへの思い」を文章にして残すことの価値

三宅香帆(書評家)

2024年11月06日 公開

好きなもの、推しているものの良さを、言葉にして誰かに伝えたいという気持ちは多くの方が抱えるものです。

しかしそんな「推し語り」には、気持ちを人と共有するだけでなく、自分自身の感情を大切にする重要な意味がある、と書評家の三宅香帆さんは語ります。

※本稿は『「好き」を言語化する技術 推しの素晴らしさを語りたいのに「やばい!」しかでてこない』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)を一部抜粋・編集したものです。

 

「好き」は、簡単に揺らぐもの

なにが起きても絶対に変わらず好き、なんてほとんどあり得ません。

たとえば、あるアイドルがすごく好きでも、そのアイドルが自分の想像とはまったく違う行為をしていた。すると自分の「好き」がよくわからなくなってしまう、なんて体験もよく聞く話です。

スキャンダルはわかりやすい例ですが、人によっては髪型やメイクを変えるイメチェンや、あるいは意外な趣味を持っていたことすら、「好き」が揺らぐきっかけになり得るかもしれません。

または、すごく好きな映画があったけれど、他人が「駄作じゃん」って言ったのを聞いた途端、急に好きかどうかわからなくなってしまった。これ、映画に限らず本でも漫画でもアニメでも音楽でも、よくあることです。他人がNGをだしているのを見て、急に「好き」が色褪せた経験、あなたにも一度はあるんじゃないでしょうか。

大人になって「好き」が冷めてしまうこともありますよね。昔すごく好きだったキャラクターなのに、大人になるとその魅力がわからなくなる。思春期にハマっていたミュージシャンの歌詞が、社会人になってなんとなくピンとこなくなる。これもよくある現象です。

そう、「好き」って、揺らぐものなんです。揺らがない「好き」なんてない。

自分も生きて変化していくのだから、好みも変わっていくのは当たり前です。もしくは、好きな相手が生身の人間だとしたら、相手だって変わっていきます。自分の思う通りに存在するわけがない。

だから、絶対的な「好き」なんてほぼあり得ないもの。そして「好き」が揺らいだとしても、それを嘆く必要はまったくありません。だって当たり前だから。むしろ揺らがない「好き」なんて、盲目的な執着であって、本当の意味で「好き」なわけじゃないのかもしれません。

「好き」は、一時的な儚い感情である。そんな前提を内包しているんですね。それは悲しいことでもなんでもなくて、そういうものなんです。

 

「好き」を言葉で保存する

でも、たとえ「好き」が揺らいで消失したとしても、一度「好き」を言葉にして残しておけば、その感情は自分のなかに残り続けます。

たとえば、推しがアイドルの場合。ライブや新曲を追いかけて、楽しい日々を送っていた。でも、スキャンダルが発覚し、たくさんの人からそのアイドルが非難されて、自分もまたショックを受けた。そうするうちに、そのアイドルを好きではなくなってしまった。

こんな悲しい出来事があったとしましょう。

あなたは、そのアイドルを好きだったときに「好き」を言語化して、自分のスマホのメモ帳に残しておいた。スキャンダルから少し経って落ち着いて、そのメモを見返してみる。すると、もう存在しなくなった自分だけの「好き」が、そこに保存されているんです。

別に、それを読み返せばもう一度好きになることができる! と言いたいわけではありません。ただそこに、「好き」があったことを思い出せる。今はもう好きじゃなくても、いつのまにか自分の一部になっていた「好き」の感情が保存されている。これって意外と大切なことじゃないでしょうか。もちろん、写真を残したり、グッズを置いておいたりすることも「好き」を保存するいい方法でしょう。

でも、一番鮮明に残る「好き」は言葉です。「好き」は儚いからこそ、鮮度の高いうちに言葉で保存しておいたほうがいいんです。そして、言葉という真空パックに閉じ込めておく。

いつかやってくる「好き」じゃなくなる瞬間を見据えて、自分の「好き」を言葉で保存しておく。すると、「好き」の言語化が溜まってゆく。それは気づけば、丸ごと自分の価値観や人生になっているはずです。

誰かにけなされても、自分が変わっても、推しが変わってしまっても。自分の「好き」についての揺るぎない言語化があれば、自分の「好き」を信頼できるはずです。

自分の「好き」を信頼できることは、自分の価値観を信頼することにつながります。だって、好きなもので自分はできあがっているのだから。自分の「好き」を言語化していけばいくほど、自分についての解像度も上がる。だからこそ、自分の「好き」の鮮度が高いうちに言語化して保存したほうがいい──そう私は考えています。

そういえば、昔読んだ本のなかで、小説家の村上春樹さんがこんなことを言っていました。

走り続けるための理由はほんの少ししかないけれど、走るのをやめるための理由なら大型トラックいっぱいぶんはあるからだ。僕らにできるのは、その「ほんの少しの理由」をひとつひとつ大事に磨き続けることだけだ。暇をみつけては、せっせとくまなく磨き続けること。
(村上春樹『走ることについて語るときに僕の語ること』文春文庫版より引用)

これって「好き」についても同じことが言えると思うんです。もちろん好きなものや人との蜜月の間は、好きでい続ける理由がたくさんある。好きな理由で自分のなかが満たされる。

一方で、蜜月の期間が終わって、好きなものや人についていろんなものが見えてくると、好きでい続ける理由がよくわからなくなる。そんな時期が、いつかはやってくるのです。

そういうときって、好きであることをやめるための理由は、どこにでも──それこそ大型トラックいっぱいぶん──落ちているものです。

だからこそ、数少ない好きな理由を言語化して、保存することに意味があるんです。好きという感情の輪郭を、自分でなぞって確認しておく。いつか好きじゃなくなっても「ああ、たしかにこの時期、私はこういうものが好きだったな」と思い出せるようにしておく。これって割と楽しいことだと思いませんか?

また、推しへの感動を言語化した文章をブログやSNSで発信したら、不特定多数の誰かに伝えることができる、という利点もありますよね。自分の推しの魅力を発信することによって、それを見た誰かが自分と同じ推しを好きになってくれるかもしれない。推しを他人に好きになってもらうため、推しの仲間を増やすために「好き」を言語化してみる。

自分のためにも相手のためにも、「好き」を言葉にしておくことって、すごく意味のあることなんです。

 

著者紹介

三宅香帆(みやけ・かほ)

文芸評論家

文芸評論家。京都市立芸術大学非常勤講師。1994年生まれ。高知県出身。京都大学大学院博士前期課程修了(専門は萬葉集)。京都天狼院書店元店長。IT企業勤務を経て独立。著作に『推しの素晴らしさを語りたいのに「やばい!」しかでてこない——自分の言葉でつくるオタク文章術』、『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』など多数。

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