「複雑系社会を生き抜くリーダー」の条件
2012年09月24日 公開 2022年11月14日 更新
「なぜ、日本の製造業は危機に陥ったのか」「なぜ、SNSを活用した企業が過去最高益を叩きだすのか」―― その問いに答えるカギは「複雑系」という概念にある。
夏野剛氏は、著書『なぜ大企業が突然つぶれるのか』(PHPビジネス新書)で、有史以来"最大の衝撃"であるIT革命が起こった背景、私たちが置かれている状況、今後の戦略のカギを握る「複雑系」について、詳しく解説している。
あわせて、これからのリーダーの条件として「方向性を示す」「ディテールを知る」「哲学を持つ」「昨日と同じことを疑う」の4つをあげた。ここでは、その一部をご紹介します。
※本稿は、夏野剛著『なぜ大企業が突然つぶれるのか』(PHPビジネス新書)を一部抜粋・編集したものです。
問われているのはリーダーの「哲学」
バブル崩壊以前の日本社会では、経済が一定のペースで伸びていた。誰が組織のリーダーになっても、そこそこの成果を上げることができた。
私は新入社員のころ、「誰がリーダーをやってもうまくいくのが、いい組織の条件だ」と聞かされて仰天したことがある。当時はほんとうにそうしたコンセンサスがあったのだ。
だからこそ、メンバー1人ひとりの判断力や人間性ではなく、「同じぐらいの学歴で、年数を重ねた人なら大丈夫だろう」という考え方がそこでは中心だった。
「誰がやっても同じなら、少しでも人当たりのよい人物を」ということで、競争を勝ち抜いて最終的に社長になるのは「誰にも脅威を与えない人物」「誰からも脅威と思われない人物」だった。
しかし、情報を集めて議論をするやり方が通じなくなったIT革命後の世界では、組織をどのようにしたいのか、というリーダーの「決断」が必要不可欠になった。その決断の基準になるのが、リーダーがもつ「哲学」や「主義主張」である。
ここでいう哲学とは、「この組織の社会的役割とは何か」「どのような競争優位をもっているか」「事業の成功率はどれぐらいか」「消費者は何を求めているか」「最終的にどこをめざすべきか」という問いを自分に投げかけた結果として出てくる、その人なりの「社会観」「組織観」とでもいうものだろう。
これらは論理的に証明できるものではない。だからこそ、そこでトップのオリジナリティが表われる。
哲学をもたない人物が意思決定権を握ったらどうなるだろうか。彼は画期的な製品やサービスを生み出せないだろう。いまはアウトソーシングが簡単に行なえるようになっていて、最先端技術の垣根も低くなっている。
そこで他社製品との差別化を達成し、ヒット商品を生み出せるかどうかは、リーダーの「消費者はどのようなモノにお金を出すか」という時代を読み取るセンス次第。そのセンスの根本にあるものが、哲学なのだ。
あるいは、ある社長が「不採算事業をやめるか、続けるか」という判断を迫られたとする。もし彼に哲学がなければ、右往左往し、部下に意見を求めるだろう。
もしかしたら、その事業を統括している取締役に「どうしたらいいだろうか」と尋ねてしまうかもしれない。もちろんその問いにまったく意味はない。自分の職掌範囲を「整理すべきだ」と言う人物など、どこにもいないからだ。
その社長よりも年次の高い役員が、整理されるべき部門を統括している場合はさらに質が悪い。社長が毅然とした態度をみせなければ、「君は先輩が育てた部門を売り払おうとするのか!」と批判する手合いが必ず出てくる。
従来型の日本の大企業は、複数の事業を傘下に収めるコングロマリットで、社長は各事業についての詳細を把超せず、全体の統率だけを行なう場合が多かった。
ただでさえ各事業の内容を正確には知らないため、いざというとき「選択と集中」がまったくできず、売上げがわずかしかない事業でも、経営判断として切り離すことができない。
昨今の日本メーカーの凋落をみると、事業再編のとき、こうしたドタバタ劇が起きているのではないか、と思ってしまう。
2012年3月、シャープはEMS(受託製造サービス)世界最大手の鴻海グループ(台湾)の出資比率を10%にする資本業務提携を発表した。
しかしこれは「応急処置」にすぎない。不採算事業を切る、人員を削減するといった抜本的な「大手術」に踏み切らなければ組織は立ち行かないことを、あの当時、多くの社員は感じとっていたはずだ。
その後、2012年度第14半期決算発表後の記者会見で、奥田社長はグループ従業員の1割にあたる5000人の削減を発表した。
経済が縮小している時代に「誰もが満足する選択肢」はありえない。企業が生き残るため、「何を切り、何を生かすのか」。それをトップが明確に判断しなければならない。
もちろん、切られた側の人間から恨みを買うかもしれない。「業界の慣行」や「名誉会長の意向」といったしがらみに足を引っ張られるかもしれない。そういう意味では哲学に加え、それを貫徹する「覚悟」がリーダーには不可欠だ。
日本型人事システムにおける「出世競争の勝者としての社長」のように、トップに就任してから「やりたいことを考える」といっているようでは、いつまでたってもその覚悟をもつことはできない。
惰性で動く組織を変化させ続けよ
次は「昨日と同じことを疑う」こと。
世の中が複雑系に変化する以前は、「昨年の延長線上に今年がある」「昨日の延長線上に今日がある」と過去の流れに沿って未来を考えることが可能だった。だからこそ綿密なロードマップを作成し、そのとおりにビジネスを行なうことに意味があった。
しかし再三にわたって述べてきたように複雑系社会とは、「物事が予測不可能に変化する」社会。事業が「計画どおり」にいくことはほとんどない。昨年と今年はまったくの別世界で、ロードマップに固執せず、それぞれのシーンで最適な判断を下していかなければならない。
ただ、多くの人間は「楽をしたい」と考える生き物。外からのプレッシャーがなければ、何も考えず昨日と変わらない仕事を行なおうとする。
組織は放っておくと同じことを繰り返すようになり、どんどん硬直化していく。そうなってしまったら最後、世間の変化とのギャップが日に日に広がって、業績が悪化していくことは目に見えている。
だからこそ第5章でみたように、リーダーたるもの部下に対して「昨日と同じことを行なってはダメだ」と発破をかけなければならない。もちろん組織は人間の集合体だから、惰性で動くのはやむをえない。それでもすぐには舵を切れない組織を少しずつ変化させ続けることに、腐心すべきだ。
社長はもちろん、部長、課長、各プロジェクトのチーフ...あらゆる階層のリーダーが1人も欠けることなくこうした意識をもってようやく、組織は激変し続ける環境にやっと対応することができるのである。
“私憤”ではなく“義憤”をもてるか
もう少し下のレイヤーにも話を広げよう。これから複雑系社会でリーダーをめざしていく、組織を率いた経験のない若手社員や中堅社員は、どのような心構えが必要なのだろうか。
何より大事なのは、「自分が意思決定者であれば、どうするだろうか」という視点をもって仕事に取り組むこと。リーダーになったつもりで、所属する組織が抱える問題の解決策を、真剣に検討してみる。
この本を読んでいる人のなかには、組織や上司に不満をもっているビジネスパーソンの人も多いだろう。自分を取り巻く環境に問題意識をもっているという意味で、それ自身はよいことだ。
しかし、不平不満を述べるだけではなく、そこから現状を打破する腹案を考える癖をつけなければいけない。
可能であれば、上司が何かの意思決定をしたとき、そのように決めた理由を尋ねてみてはどうだろう。そうすることで、これまでの自分になかった考え方や情報を知ることができる。意識の高い社員にとって、それは貴重なケーススタディになる。
もう1つ重要なことは、「知識をどう使うか」という問題意識。いまやその気になれば、知識はいくらでも入手できる。昔なら限られたビジネスエリートしかアクセスできなかった「経営大学院の講義録」も、グーグルで検索すれば簡単に無料で手に入る時代だ。
ただし、経営学や会計学といった「知識」をもっているだけでは、複雑系社会を生き抜くリーダーとしては物足りない。
むしろビジネスのヒントとなる幅広い知識を引き寄せる「幅広い関心」をもつほうが重要で、課題を自ら「想像」し、それに対する解決策を「創造」する。こうした広義での「考える力」が求められているのだ。
「問題意識をもつ」という行為の大切さは、企業のなかだけに当てはまるものではない。リーダーたるもの、社会全般にも問題意識をもってしかるべきだ。
これまで私は数多くのイノベーターをみてきたが、新しいビジネスを立ち上げたり、どこにもない製品を生み出す人たちに共通しているのは、社会に対する強い"義憤"をもっていることである。
義憤とは、道義に外れたことや不公正に対する憤りであり、「本来こういうシステムのほうが望ましいはずだ」「この仕組みが、世の中に害を及ぼしている」という、社会に対する問題意識のことである。
これに対して「上司が嫌だから、代えてほしい」「自分が仕事のしやすい職場環境にしてほしい」「給料を上げてほしい」というのは"私憤"。ほんとうのリーダーをめざすなら、自分の問題意識を、私憤から義憤のレベルに昇華させなければならない。
そうした義憤をもてるかは、個人の人間性によるところが大きい。もちろん、どうしても義憤がもてないからといって、その人が劣っている、ということではない。しかし「義憤のもてない人は、リーダーをめざすべきでない」ということは、はっきりいっておいてもいいかもしれない。
リーダーというのは、とてもたいへんな仕事だ。先にも述べたように経済が縮小していく時代では、全員の満足する判断をするのは不可能である。誰かを生かせば、誰かを殺すことになる。
24時間365日、組織のことを考えなければならず、労働時間も長い。家に帰れないために、家族から文句をいわれることもある。
ある人にとってはリーダ1をめざすのではなく、穏やかに生きていくほうが幸せかもしれない。これまで日本企業では、ある一定の年数を経れば、程度の差はあっても、誰しも無条件にリーダーになっていた。
しかしこれからの時代は、そうしたあり方自体が成立しない。そう考えれば 「リーダーをめざすべきか」という選択は、若いうちに行なったほうがよいかもしれない。
その選択の基準になるのが、まさにこの"義憤"の有無。義憤をもち、傷だらけになっても世の中を変えていこうとする覚悟がある人物こそ、複雑系社会のリーダーとしてふさわしい。
幸いにしてこの国にはまだ、クオリティの高い技術が残っている。しっかりした教育や、質の高いサービスもある。
まだまだ世界に対して多くの優位性が存在しているのだ。そこでどう行動するか、という決断1つで企業の存在感は一気に増す。グローバル市場がますます拡大するなかで、率先して変化を受け入れ、現状を改革し、突破していく力が求められているのだ。
慶應義塾大学政策・メディア研究科特別招聘教授
1988年、早稲田大学卒、東京ガス株式会社入社。1995年、ペンシルベニア大学経営大学院(ウォートンスクール)卒。ベンチャー企業副社長を経て、1997年、株式会社NTTドコモへ入社。1999年に「iモード」、その後「おサイフケータイ」などの多くのサービスを立ち上げた。2005年、執行役員、2008年に退社。現在は株式会社ドワンゴ、グリー株式会社、トランスコスモス株式会社、セガサミーホールディングス株式会社、ぴあ株式会社など複数の取締役を兼任。2001年、『ビジネスウィーク』誌にて世界のeビジネスリーダー25人の1人に選ばれる。
主な著書に『ケータイの未来』(ダイヤモンド社)『夏野流 脱ガラパゴスの思考法』(ソフトバンククリエイティブ)などがある。