迫りくる日中冷戦の時代
2012年09月25日 公開 2024年12月16日 更新
《PHP新書 『迫りくる日中冷戦の時代』 まえがき より》
日本は大儀の旗を掲げよ
2012年の7月から8月にかけ、日本の周辺では、この国の存立を脅かすような出来事が、立て続けに起こった。
7月3日、ロシアのメドヴェージェフ首相が日本の北方領土、国後島に、再び上陸してロシアによる不法占拠の永続を誇示した。これを見た韓国の李明博大統領は、ロシアに対する日本政府の微温的対応を踏まえ、8月10日、日本領土の竹島に不法上陸を敢行した。続いて、8月15日の終戦記念日には、中国が「香港の活動家」を使って、やはりれっきとした日本領土である尖閤諸島への強行上陸をさせたのであった。さらに、その12日後、北京市内で日本の丹羽大使の乗った車が襲われ、大使公用車に取り付けられた国旗・日の丸が奪われる事件が発生した。
これら一連の出来事をどう見たらよいのか。日本の世論だけでなく、日本政府も定見を持たないため、これまでのところ、ただ感情に左右された場当たり的反応に終始しているように見える。そもそも、わずか2年前にも、これと酷似した一連の経験をこの国はしているのである。
2010年9月の尖閤周辺での、あの「漁船衝突事件」に始まり、やはりロシアのメドヴェージェフ(当時は大統領)による国後島への不法上陸や、朝鮮半島で突発した北朝鮮軍による延坪島砲撃事件が、わずか3カ月の間に連続して起こっている。日本領土への不法な侵害事件と韓国領土での武力衝突の違いはあっても、日本の主権侵害や安全保障への脅威として、いずれも日本という国の存立に関わる深刻な「危機の連鎖」が、この2年足らずの間に、繰り返し起こっているわけである。
その背後にはいったい何があるのか、日本人はいまこそ冷静に、そして深く腰を下ろし眼をこらして、このような流れを引き起こしている大きな構図に目を向けねばならない。
端的に言えば、これらはあることの「結果」であって、決して「原因」ではない、ということである。その根底にあって、これらのどの出来事よりもはるかに重要な原因を指し示しているのは、次の2つの「重要な事実」である。
1つは、2011年11月にアメリカのオバマ大統領が、訪問先のオーストラリア議会での演説で、アメリカの世界戦略を「対中国抑止」へと転換することを宣言したことである。膨張する中国に対し、アメリカが従来の「関与」政策から「抑止」政策に転じたことを内外に明らかにしたもので、これによってニクソン訪中以来、40年ぶりに米中両国の関係は再び対立に転じたことを意味する。少なくとも、後世の歴史家はこれをもって、21世紀の米中冷戦の時代が始まった、と評することになろう。
2つめの「重要な事実」は、日本で 2012年5月に発表された1つの世論調査の結果である。それは、日本のシンクタンク・言論NPOが中国の中国日報社と共同で行った日中両国における相手国への好感度調査であった。
それによると日本人で中国に対し悪い(良くない)印象を持つ人は 84パーセントにのぼっており(中国では 64パーセントが日本に悪い印象)、しかもこれは前出の「尖閣漁船衝突事件」から相当間をおいた、日本政府周辺では“日中修復”が進んでいるかのように思われた時点での調査であったから、この結果は多くの関係者に、ひときわ大きな衝撃を与えていた。84パーセントもの日本人が「中国嫌い」になっているわけで、この変化は端的に言って、もう元に戻るものではない。
つまりこの水準は、こうした調査では、ポイント・オブ・ノーリターンをはっきりと超えていると見ることができるからである。「日中国交正常化 40周年」にして、“日中友好”の時代は終わったのである。
では、われわれは今後、中国とどう対してゆけばよいのか。依然として多くの日本人が立ちすくんでいるのが現状だ。そこでは特に、「経済」をめぐって日本人をいまだに支配している「将来の中国像」が大きな役割を果たしているように見える。作家の深田祐介氏によれば、前出の丹羽宇一郎大使は、大使に就任する前、深田氏に対し次のように語ったという。
「将来は大中華圏の時代が到来します」「日本は中国の属国として生きていけばいいのです」「それ(中国の属国になること)が日本が幸福かつ安全に生きる道です」(『 WiLL 』2012年7月号)
にわかには信じ難い発言だが、その当人がいま、駐中国大使の任にあることは皮肉を通り越して、心底、気の毒でさえある。しかし、ここで丹羽氏が口にしている言葉は、多少ニュアンスが違っても、実は多くの日本人がたとえ口にせずとも、心のどこかに抱いている「見通し」あるいは「恐怖」であるかもしれない。この「日本の宿命」を受け入れるほかない、と積極的に感じている人 ― 日本のエリート層にはけっこう多い ― は、いきおい「東アジア共同体」という想念に引きつけられている。
しかし、はたしてそうなのか。そもそも「大中華圏」なるものが現出するだろうか。そんなことは、この地上ではありえない、たとえ22世紀になっても。私は、この20年ほど、ずっとそう言い続けてきた。詳しくは、 『迫りくる日中冷戦の時代』の中で(あるいは過去の拙著の中でも)論じているが、ここで重要なことは、丹羽氏に代表されるような中国への見方が、実は目下の「日中緊張の時代」を招いているということである。
日中関係が今日の状況に行き着いたのは、この 40年間、あるいはさらに遡って 60年間、終始一貫して日本人の中国観にこそ大きな原因があったのである。共産主義の「一党独裁」というイデオロギーの持つ深刻な意味を、日本人は、中国に関してだけは終始一貫、軽視してきた。また、「戦わずして勝つ」という孫子の謀略の哲学、毛沢東・周恩来の対日戦略からも終始一貫、なぜか目をそらして、情緒的な“日中友好”の交流を手放しで推進してきた。ここまで日本人の眼を狂わせたもの、それは歴史の「贖罪意識」以外にはない。
この10年間、中国の国力は飛躍的に膨張し、国際秩序そのものに大きな衝撃をもたらしている。冒頭で触れたロシアや韓国(そして北朝鮮)などの激発的な対日行動も、大きく言えば、すべてこの「中国の膨張」という原因に由来して起こっているのである。
それゆえ、いまわれわれにとって重要なことは、現象面だけ見て、ロシアや韓国を、中国と同列に置き、「日本の主権を脅かす存在」と、等し並みに見なしてはならないということである。とりわけ、韓国と中国を決して同列視してはならないのである。
それは、「敵はいっときには、1つに絞る」という戦略的要請のみならず、ロシアや韓国はやがて必ず、「一党独裁の孫子国家・中国」とは国益とともに価値観の上でも対峙し、そのとき日本の大切なパートナーとなりうる、あるいはなるべき存在であるからだ。
言うまでもなく、私とて日中がやみくもに対立することを望む者ではない。しかし天安門事件以来、この20年あまり、日本人の多くは「豊かになれば、中国は必ず民主化する」、あるいは「北朝鮮の拉致問題や核問題の解決のためには中国の協力が不可欠だ」と言い続けてきた。しかしいまに至るも何の成果もなかった。それは日本政府と日本人の多くが、中国の政治体制あるいは価値観が内包する深刻な問題を一切捨象して、中国を「普通の国」である(になりつつある)と錯覚してきたからである。
では、これから日本は、中国にどう対すればよいのか。それには、まず、あまりにも希薄化した日本人の国家観を再建するとともに、何よりも世界が共有する普遍的な価値観という「大義の旗」を掲げること以外にはない。これが 『迫りくる日中冷戦の時代』 の中で私が最も訴えたい趣旨である。
いま、このことに目覚めなければ、いったいいつ目覚めるというのか。この思いを少しでも多くの人に伝えられればと思い、あえて世に問う次第である。
中西輝政
(なかにし・てるまさ)
京都大学名誉教授
1947年、大阪府生まれ。京都大学法学部卒業。ケンブリッジ大学大学院修了。京都大学助手、三重大学助教授、スタンフォード大学客員研究員、静岡県立大学教授を経て、京都大学大学院教授。2012年退官して京都大学名誉教授。専門分野は国際政治学、国際関係史、文明史。
1997年『大英帝国衰亡史』(PHP研究所)で毎日出版文化賞・山本七平賞を受賞。2002年正論大賞受賞。
著書に『日本人として知っておきたい外交の授業』(PHP研究所)『なぜ国家は衰亡するのか』『日本人としてこれだけは知っておきたいこと』(以上、PHP新書)『国民の文明史』(扶桑社)『帝国としての中国』(東洋経済新報社)『日本の「岐路」』(文藝春秋)など多数。
◇書籍紹介◇
日本は大義の旗を掲げよ
中西輝政 著
本体価格 760円
日本は中国にいかに対峙してきたか? 今後どのように付き合うべきか? 歴史的考察を踏まえた国際政治学者からの提言。