「いじり」と「いじめ」の境界は? 漫才作家・本多正識さんが考える、お笑いに不要な言葉
2025年03月12日 公開 2025年03月12日 更新
漫才作家の本多正識さんは、長年にわたりお笑いコンビのオール阪神・巨人の漫才を書かれていました。さらにNSC講師として、ナインティナインやキングコングなど、多数の売れっ子お笑い芸人の指導もされてきたといいます。
そんな本多さんは、子供の頃に体が弱く学校にあまり通えなかったことから、いじめを受けた経験があるそう。いじめに関する学校での講演も行っているという本多さんに、ご自身のいじめられ体験や、いじめに対する思いを語っていただきました。
過激な言葉は、漫才に使わせない
――数年前に「誰も傷つけない笑い」という言葉が話題になりました。例えば、差別につながるボケやツッコミ、過度な罰ゲームなどに対して、世間の目が厳しくなったのではないかと思います。そんな中、本多先生が若手を指導する上で意識されていることはありますか?
【本多】基本的に好きなようにやってもらうスタンスではありますが、「殺すぞ」とか「死ね」といったネガティブでインパクトの強いセリフは使わせないようにしています。よく「そんなことで殺さんといてよ」って言いますね。
もっと面白く笑わせられる言葉があるはずなんです。「殺す」「死ね」なんて言葉を使わなくても、別の表現で笑いは取れるんです。
――なぜそういった言葉が軽々しく使われるようになったと思いますか?
【本多】私はテレビゲームの影響が大きいんじゃないかと思います。例えばゲームのキャラクターが「死んで」もライフが残っていれば復活できる。バーチャルな世界では「死」が軽く扱われるんです。でも現実の死は取り返しがつかない。その区別があいまいになってきているように感じます。
子供の頃からそこを履き違えて、おふざけの一環としてそれらの言葉を使ってしまう人が、芸人以外でも沢山いると思うんです。
「いじり」と「いじめ」の境界線はある?
――本多先生は子供の頃、いじめられたご経験があると聞きました。
【本多】私は小学生の頃に重い気管支喘息を患って、学校に通えない時期がありました。それで小学3年生を2回やっているんですが、2回目の3年生の始業式の日、もちろんクラスメイトは1歳下の子たちのみで。自己紹介をすると「お前なんか知らんわー」って言われて、それからいじめられるようになりました。
私は67歳ですが、60年近く前でも「死ねよ」なんて言われることがありました。当時の私は病気と闘っていたこともあり「僕は必死で生きてんねん。ほっといてくれや」と思える子供だったから良かったものの、そういった言葉を真に受けてしまう子供にとっては、とても重いものになる。できれば幼稚園くらいから、そういった言葉を使わないよう指導すべきだと思います。
――いじりで笑いを誘うなんてことは、お笑いに限らず様々な場面で見受けられます。「いじり」が過激化すると「いじめ」にも発展することがあると思うのですが、「いじり」と「いじめ」の境界線はどこにあると思いますか?
【本多】境界線なんてないと思います。言われる側が不快に感じたら、それはもう「いじめ」です。
どんなに軽い気持ちで言っても、相手が傷ついていたらいじめになる。「いじめられる方にも原因がある」なんて言う人もいますが、それは絶対にない。いじめる側が100%悪いんです。
強いて言うなら、いじられる方も含めて、みんなが楽しい気持ちであれば良いと思います。
――なぜ、そうお考えになるのでしょうか?
【本多】人はひとりひとり違います。顔も、体の大きさも、性格も、運動神経も、頭の良さも違う。みんな違うから面白いんです。自分の価値観だけで、「他より劣っている」などと思って何か言うのは、明らかな差別です。
私は、いじめに関する講演に呼ばれたりもするんですが、その時は必ず「あなたたちは、ひとりひとりが奇跡の人間です」と伝えます。みんなそれぞれ、いろんな奇跡が重なって存在する命なんです。それなのに、誰が偉くて、誰があかんやつかなんて決めないでほしいんです。
文科省は「個性を大事にした教育」と言いますが、学校は一定の枠の中に生徒を入れようとする。もちろん基準を設けないと、何百人といる児童、生徒たちを見ることはできないでしょうから必要なことだとは思います。でも、その基準に満たなかったり、はみ出したりしている子供たちをダメだと決めつけないでほしい。
例えば、数学の問題を5分で解ける子と1時間かかる子、どちらが偉いわけでもない。正解にたどり着ければ、それは十分な能力があるということです。100メートルを15秒で走ろうが30秒かかろうが、走り切れれば二重丸じゃないですか。
それを親御さんや先生、周りの大人がわかっててあげてほしいんです。とくに、親御さんは自分の子供とよその子供を比べないでほしいんです。よその子の方が成績が良かったとしても、あなたのお子さんとその子は、まず親が違うんですから、違っていて当然なんです。
先ほどお話ししたように、私は重い気管支喘息で小学校低学年の頃はほとんど学校に行けなかったんです。だから、人と比べたら生きていけなかったんです。体育の授業も小6まで一度も出たことがなかった。それなのに走るのはなぜか速かったんですが(笑)。
体育の授業は見学するしかなくて、元気に走り回ってる子たちと比べても落ち込んでいくだけでした。だからこれは喘息のおかげだとも思っているんですが、子供の頃から「彼らと僕は違うねん」ってずっと思っていました。
本多先生のいじめられ体験
――いじめに遭われたときも「ほっといてくれ」と思える子供だったとおっしゃいましたが、あまり周りのことを気にしない性格でいらっしゃったんですね。
【本多】「勝手に言うといて。僕は生きるのに必死だから」って思ってましたね。
ものすごい捻くれた小学生だったと思います。当時アレルギーがあって、給食で食べられないものがありました。今なら配慮していないと結構な問題になりますが、60年前は違いました。
病院で「食べてはいけない」と言われている食材でも、学校の先生からは「なぜ食べないんだ」と叱られる。でも「病院で食べないように言われています。食べて喘息の発作が起きたら、先生が責任取ってくれるんですか?」って言い返していました。こう言うと先生はたいてい不機嫌になってどこかへ行かはるんですよね。
病気があって生きることに必死だったからこそ、自分の命は自分で守らないといけないという意識が強かったんです。
――本多先生はご病気、いじめに加えて、家庭環境も大変だったとご著書『笑おうね 生きようね』に書かれていましたね。
【本多】父親がもう滅茶苦茶な人でした。短気ですぐに怒り出す父の顔色をいつもうかがっていました。今ならおそらく児童相談所が介入するレベルでしたね。
だから、学校での出来事なんて、家庭で起きていることに比べればぜんぜん大したことではありませんでした。テストの点が悪かったぐらいで悩んでいる場合じゃない。とにかく生きることが最優先でした。
今、いろんなことで悩んでいる子供が居て、自ら命を絶ってしまうことを考えている子供もいるかもしれません。
でも、学校は人生のほんの一部です。特に今の時代は、ネットで資格を取ることもできる。100年という長い人生から見れば、義務教育の9年間なんてほんの一部。自分を追い詰める必要はないんです。
目の前のことに悩んでいるのだとしたら、ちょっと横を見るようにしてほしいです。まったく別の世界がありますから。命を絶とうなんて考えないでほしい。
私は子供の頃、病気がしんどくて、朝起きたらまず「今日は生きてた」と思っていました。だからこそ、自分のレベルでいいから毎日一生懸命に生きることが大切だと思うんです。
――ここまでお話しを聞いていて「生きること」に強いお気持ちがあるように感じました。
【本多】生きていれば何とかなりますから。悪いことも起こるでしょうが、必ずいいこともあるんです。こうして今取材を受けられているのも、生きているからこそなんです。一生懸命生きていれば自分の居場所が必ず見つかります。
(取材・執筆:PHPオンライン編集部 片平奈々子)
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