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生き方

うつ病を経験したからこそ感じた「他人との比較はやめるべき」論への疑問

よでい

2025年03月17日 公開

X(旧Twitter)にて「日々の生きづらさのモヤモヤを言語化」するポストが注目を集める、よでぃさん(yod_blog)。大学卒業後、フリーランスとして働く中でうつ病を発症し、人生のどん底を経験されたといいます。

ご著書『明けない夜があるのなら夜更かしを楽しめばいい』では、生きづらさを感じる読者に向けて、つらい時期を乗り越えたよでぃさんならではの言葉が並びます。本稿では同書より、ネガティブなりの人づきあいのコツについて書かれた一節をご紹介します。

※本稿は、『明けない夜があるのなら夜更かしを楽しめばいい』(KADOKAWA)の内容を一部抜粋・編集したものです。

 

人に「嫌われた」ではなく「縁がなかった」と考えよう

人に嫌われるのは、誰だって怖いことだろう。

誰にも嫌われたくない。誰からも好かれていたい。

そう願ってしまうのは、人間である以上、仕方のないことなのではないかと思う。人に嫌われないように、自分なりに努力をしている人もいることだろう。

常に周囲に気を配ったり。

常に笑顔で明るく振舞ったり。

にもかかわらず、一人また一人と自分のもとから人が去っていく。誰にも嫌われないようにと一生懸命に努めても、いつかは誰かに嫌われてしまう。

自分が誰かに嫌われるたびに、悲しい気持ちが押し寄せてくる。

自分は人に好かれる価値のない人間なのだと、自己否定してしまう。

そして、人に嫌われるのは、自分の頑張り不足だと思い込む。そうして気が付けば、自分で自分のことを嫌いになってしまう。

しかし、僕はこう思うのだ。

どんなに頑張っても嫌ってくる人は、「そもそも自分とは縁のない人」なのではないだろうかと。

もし仮に頑張った自分を好きになってもらえたとしても、その人から好かれ続けるためにずっと頑張らなければいけないことになる。

そんな関係性を長続きさせるのは、きっと苦しいことだろう。

人に嫌われたくないと思うこと自体は、人間として正しいことだ。そのために努力をすることも、決して間違っていることではない。

それでも、自分のメンタルを疲弊させてまで、嫌ってくる人から好かれようとする必要はない。

あなたの魅力に気付けない人は、こっちから願い下げでもいいのだ。反対に、好かれる人からはどんな自分でいようとも好きになってもらえるというのもまた一つの事実だ。

嫌ってくる人から好かれようとするのは、思っているよりもエネルギーを消費する。

その時間と労力を、あるがままの自分を好きでいてくれる人に使った方が、人生はきっと豊かになる。

僕は、人間関係は「縁」がすべてだと考えている。自分の人生に必要な人とは、出会うべきタイミングで出会うべくして出会うようになっている。

だから自分のもとから去っていく人は、最初から縁がなかった人だ。

もし本当に縁がある人ならば、いつかまたどこかで巡り会う。自分の人生の貴重な時間を棒に振らないためにも、去る者は追わずの精神は重要なのだ。

あなたらしいあなたを大事にしてくれる人こそ、本当にあなたと縁がある人だ。その縁を手放してしまったら、後できっと悔いることになる。

あなたが本当に大事にしたい「縁」とは何か。今一度、よく考えてみてほしい。

<「誰かに嫌われてもいっか」と思えるようになってからが人生の本番>

 

つらいときもそばにいてくれる人を大事にしよう

ある日、友人にこう質問したことがある。

「本当に大切にすべき人って、どんな人だと思う?」

友人から返ってきた答えはこうだ。

「人生がうまくいっているときだけじゃなくて、つらいときにもそばにいてくれた人じゃない?」

僕はその回答を聞いて、なるほどと納得した。

人生がうまくいっているときだけではなく、つらいときもそばにいてくれる人。もしあなたがそんな人に巡り合ったら、ぜひとも大切にしてほしいと思う。

僕は大学時代、交友関係が広い方だった。

暇な時間があれば友人と会い、食事に行ったり、遊びに出かけたりして過ごしていた。心から楽しいと思える瞬間も確かにあり、客観的に見れば充実した日常を送ることができていたと思う。

しかし、大学を卒業しメンタルダウンを経験したとき、僕は誰にも悩みを打ち明けることができなかった。

浅く広くの友人関係を形成してしまったために、心から信頼することができる相手が思いつかなかったのだ。

一緒にいて楽しいと思えていたはずの友人達も、連絡を取らなくなったことでだんだん疎遠になっていった。

そのときに感じた「あっ僕ってひとりぼっちなんだ......」という孤独感は、今でも鮮明に覚えている。

そんな中、人生のどん底にいる僕を心配して、連絡をくれた友人がいた。悩みを親身になって聞いてくれて、それでいて変わらない距離感で接してくれた。

「ずっと待ってるよ。元気になったらまた遊ぼう」

友人がくれたその一言に、当時の僕がどれだけ救われたことだろうか。

何かしらの生きづらさを抱えている人にとって、人間関係は量より質だと僕は思う。どうしようもなくしんどい状況に陥ったときに頼ることができる人がいるかいないかで、日々の安心感の度合いがまったく違う。

人生がうまくいっているときだけではなく、つらいときもそばにいてくれる人。

そんな人の存在こそが、人生の緩衝材となってくれるのだ。

でも中には、寄り添ってくれる人に甘えてしまうのは迷惑なのではないかと考える人もいることだろう。かつての僕もそうだったから、その気持ちは非常によくわかる。

けれど、今の僕は「他人に迷惑はかけてもいい」と考えている。そもそも、他人に迷惑をかけられたくないと思っている人は、あなたが悩んでいるときに声をかけてくれたりはしないのだ。

だけど、一方的に相手に甘えてしまうだけでは、その関係はフェアではない。

大切なのは、相手に迷惑をかけてしまった分だけ、相手からの迷惑も許してあげること。頼り頼られの相互関係こそが、人間関係の本質であると僕は思う。

あなたがつらいときにそばにいてくれた人が悩んでいるとき、今度はあなたが隣で話を聞いてあげよう。

<本当に大切にすべき人は、意外とあなたのすぐ近くにいるかも?>

 

他人と自分を比較しないためには、自分の人生に集中すること

「メンタルを病まないためには、他人と自分を比較しないこと」

最近、本やSNSなどでこういった言葉をよく見かける。

他人と自分を比較することで生じる劣等感が、精神を不安定にさせてしまうのだとか。

でも他人と自分を比較するなと言われても、どうしても「それができたら苦労しない」と考えてしまう人も中にはいると思う。僕自身、そのように考えてしまう人間の一人だ。

きっと、「比較」という行為は人間にとっての性のようなものであり、逃れることのできない運命なのだろう。

僕も大学を卒業して、フリーランスとして活動しようと奮闘していた当時、まわりの成功している人達を目の当たりにするたびに、自分と比較してしまっていた。

「あの人はうまくいっているのに、どうして僕はこんなにもダメなんだろう......」

そのような劣等感からくるマイナス思考に、何度も頭の中を支配された。

最初のうちはその悔しさをバネにして「僕ももっと頑張ろう」と心にやる気の炎を灯すことができていたが、幾度となく劣等感に打ちのめされることで、すべてを投げ出してしまいたくなる気持ちが強くなっていった。

それでも「他人と自分を比較しちゃダメだ!」と自分に言い聞かせ、半ば強引に前を向いて活動を続けた。だけど、少しでも気を抜くとやはりうまくいっている他人の影が脳裏にちらつき、集中力が損なわれて気分がガクンと落ち込んだ。

今思うと、あのとき抱いていた劣等感によるストレスも、僕がうつ病を患った原因の一つだったのだろう。

そんな経験を経てたどり着いた僕の答えは、「他人と自分は比較してもいい」ということだ。

他人と自分との比較はメンタルを不安定にさせる原因ではあるが、無理に「他人と自分を比較しないようにしよう」と気を張っているよりも、「他人と自分を比較しちゃうときがあってもいっか」くらいに考えておいた方が、肩の力が抜けて劣等感は薄まっていく。

そのうえで重要となってくるのは、自分がとる行動を決定する際に、他人の存在をあまり意識しすぎないことだ。

僕もそうだったが、他人と自分を比較してしまいがちな人の多くは、「他人よりも高く評価してもらうためにもっと頑張ろう」「他人よりも充実した人生を送るためにもっと予定を詰め込もう」といったように、「他人よりも優れた自分でいたい」という思いを基に自分がとる行動を決めてしまっている。

しかし、上には上がいるのが現実で、隣の芝生は青く見えるのが真実だ。

他人という存在を強く意識している限り、どうしても人生に劣等感という負の感情は付きまとってくる。

だから大切なのは、自分がとる行動は、自分の中の信念に基づいて決定することだ。

仕事や夢、恋人や友人などの対人関係、趣味や娯楽。

自分は何をやりたいのか。自分は誰といたいのか。自分は何を成し遂げたいのか。自分はどう頑張りたいのか。

「他人と比べてどうか」ではなく、「自分がどうしたいのか」という本心を常に意識して生きることで、自然と他人と自分を比較することは少なくなっていく。

他人と自分を比較してしまう瞬間はあってもいい。

けれど、自分の人生に集中して、できる限り他人と自分を比較する暇をつぶしていこう。

<「他人軸」ではなく「自分軸」で生きることが、生きやすさへの近道>

 

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