平日の睡眠不足を取り戻そうと、休日は長く寝ている、という方は多いでしょう。しかし、長時間寝てもすっきりしないという人は「睡眠負債」を抱えているかもしれません。スタンフォード大学医学部精神科教授・西野精治さんによる書籍『スタンフォード大学西野教授が教える 間違いだらけの睡眠常識』より、睡眠負債の危険性について解説します。
※本稿は、西野精治著『スタンフォード大学西野教授が教える 間違いだらけの睡眠常識』(PHP研究所)の一部を再編集したものです
休日に長く寝てもすっきりしない人は......
いまだに多くの人は寝だめについて誤解しているようです。
「週末に寝だめする」などとよくいいます。しかし残念ながら、睡眠は"貯蓄"できません。
「来週忙しくて睡眠不足になる可能性があるから、いまのうちにたくさん寝ておきます」
こんなことは不可能なのです。プリペイドカードのように、「チャージしてあるので、ここから差し引いて」という気持ちでいても、脳も身体もそうは認識してくれないのです。
休日には、平日よりもいくぶん長く眠るという人が多いと思いますが、それは事前の寝だめではなく、すでに睡眠が不足している分を補塡しているのです。
眠りたいという欲求を「睡眠圧」といいますが、たとえば徹夜をした後は、睡眠圧が強い。目覚ましをセットしないでいい状態ならば、おそらく普段より睡眠時間は長くなります。睡眠不足分を補おうとするからです。
同様に、2〜3日ぐらいの睡眠不足でしたら、その後の休日に長めに眠ることで不足分を取り戻すことができます。つまり、清算できるわけです。
ところが、3週間、4週間と不適切な睡眠量がつづくと、取り戻せなくなります。睡眠不足が慢性化して、借金が雪だるま式にふくらんで返済のメドが立たなくなってしまう。そのにっちもさっちもいかなくなってしまう状態が、「睡眠負債」なのです。
ただ、脳がどうやって「睡眠が足りている」とか「不足している」というのを測っているのか、またその代償機序(不足を満たすための仕組み)はあるのかなどは、まだわかっていません。ですから、どうしたら睡眠負債を代償できるか、という根本的なところもわからないのです。
したがって、いまいえることは「とにかく眠るしかない」ということです。
休日に普段よりも長く寝ても、疲れがとれた感じがしない、すっきりしないという人は、すでにかなり睡眠不足が累積している可能性があります。
普段よりよけいに眠らずにはいられない......、その状況がすでに慢性の睡眠不足、睡眠負債の兆し。自分では貯蓄のつもりでとっていた週末の長寝、じつは膨大な借金を一部返済しているに過ぎないのです。
こんなに危険な「睡眠負債」
「睡眠負債(sleep debt)」という表現を用いて、積み重なる睡眠不足に警鐘を鳴らしはじめたのは、アメリカ人のウィリアム・C・デメント教授です。
私も籍を置くスタンフォード大学睡眠研究所の創設者で、今日の睡眠研究を牽引してこられた第一人者。米国では「睡眠医学の父」とよばれています。レム睡眠を発見したシカゴ大学のクライトマン研究チームのひとりでもあり、急速眼球運動のある睡眠のことを「レム睡眠」と呼びはじめたのもデメント教授でした。残念なことにデメント教授は2020年6月に92歳で逝去されました。
「ヒトは一定の睡眠時間を必要としており、それより睡眠時間が短ければ、足りない分がたまる。つまり眠りの借金が生じる」
デメント教授はこれを「sleep debt」と呼び、「借金がたまると、脳や身体にさまざまな機能劣化が見られる。睡眠不足は危険である」と呼びかけたのです。1990年代のことです。アメリカでも、日本と同じように「睡眠不足(sleep insufficiency)」という言葉は一般によく使われています。
では、睡眠不足と睡眠負債はどう違うのか。
いうなれば、「手持ちのお金が足りず、借りをつくるものの、すぐに返済できる状態」が「不足」、「借金に次ぐ借金で、借りがどんどんふくらみ、返すあてもなく、にっちもさっちもいかなくなる」のが「負債」。こう考えると違いがわかりやすいでしょう。睡眠不足が積み重なり、慢性化してしまうことで、睡眠負債に陥るのです。
日本で「睡眠負債」という言葉が流行語になるほど広まったのは、2017年にNHKの番組が取り上げたことがきっかけでしたが、睡眠研究に携わっている人たちは以前から使っていた言葉でした。
ただ、睡眠不足の累積を意味する比喩表現として用いていたので、睡眠負債の概念そのものを議論し、医学的に定義づけするようなことはあまり行われてきていません。そのため、睡眠負債についての認識は、研究者によって微妙にニュアンスが違うようなところもあります。
しかし、睡眠不足の蓄積が、がん、糖尿病や高血圧などの生活習慣病、うつ病などの精神疾患、認知症など、さまざまな発症リスクを高めることが、各方面の研究結果から明らかになってきており、睡眠負債の増大に歯止めをかけなくてはいけないという共通認識は、研究者の間で非常に高まっています。
4週間におよぶ実験でわかったこと
デメント教授が睡眠負債について説明するときに、よく用いていた実験結果があります。1994年に行われた4週間におよぶ睡眠時間計測の実験です。
若く健康な8人の被験者に、毎日同じ時間にベッドに入り、好きなだけ眠ってもらいます。ルールとして、眠れても眠れなくても、必ず毎日14時間ベッドで横になっていることを課しました。そして4週間にわたっての睡眠時間の変移を調べたのです。
もっとも典型的な被験者の場合、実験前の平均睡眠時間は7.5時間でした。はたして睡眠時間はどう推移するのか。
実験初日は、ベッドにいなければいけないと決められた14時間のうち、13時間眠れた。2日目も、13時間近く眠れた。ところが、日を追うごとに睡眠時間は減少し、1週間ぐらいすると、ベッドに入っても4〜5時間は眠れないようになった。
これをつづけたところ、3週間後に、睡眠時間が8.2時間になり、それ以上睡眠時間が減ることはなくなりました。そこで固定したのです。このことから、この被験者が生理的に必要とする睡眠時間は、8.2時間であろうと判定されました。
健康で睡眠に特に問題はないということで実験に参加した人にも、じつは約40分(実験前平均7.5時間→実験後平均8.2時間)の眠りの借金がありました。本人の自覚がないなかで借金はたまっていたのです。
さらに見逃せないのは、その約40分の睡眠不足状態から、自分にとって適正な睡眠時間に戻るためには、毎日好きなだけ寝ても3週間もの時間を要したことです。
たまった睡眠不足は容易に取り戻せない。だから負債になっていきやすいのです。そこに留意してほしいと、デメント教授は一般の方向けの講演でよくこの実験のことを語っていました。