成功者たちは30代でどのように行動したか
2012年10月31日 公開 2022年12月27日 更新
自転車にエンジンを付け、大ヒット商品に
しかし、昭和21年9月、39歳の本田に転機が訪れる。たまたま友人の家を訪れていた本田はそこに置いてあった小さなエンジンに目を留めた。旧陸軍の無線機発電用エンジンだった。ここで本田がひらめいた。自転車に動力として付ければ便利に使えるのでは。
自転車に補助エンジンをつけるアイデアは昔からあり、外国でも製品化された。しかしヒット商品はなかった。日本人の暮らしは貧しく、食料難は続いていた。
食料を買い出しに行くにも、動力付きの自転車なら便利に違いない。本田は陸軍の払い下げエンジンを利用し、自宅にあった湯たんぽを燃料タンクとして使って、自転車用補助エンジンを開発してみたところ、これはいけると手ごたえをつかんだ。
その後、改良を加えていったのち、後輪の横に自社製のエンジンを取り付け動力を伝える構造を生み出した。これが自転車補助エンジン「カブ」である。
本田はアルミ鋳物などを使って軽量化をはかることで、当時としては最軽量の製品に仕上がり、白い燃料タンクと「Cub」と書いた赤いエンジンカバーのデザインは人目を惹いた。ちなみにCubとは、熊など猛獣の子供の意味である。
自転車用補助エンジン「カブ」は製品としての魅力に加え、パートナーの藤沢武夫の独創的なアイデアで販売が加速していった。日本全国の自転車屋にダイレクトメールで販売勧誘を行ったのだ。しかも心をくすぐるこんな文句から始まっていた。
「あなたがたの先祖は日露戦争の後、勇気をもって輸入自転車を売る決心をした」
自転車は日本に入ってきたころはまさにハイテクで時代の最先端をいく製品だったが、それだけに世間に受け入れられるか疑問視されていたのだ。藤沢の文面はこう続く。
「それが今日あなたがたの商売になっている。ところで、戦後、時代は変わってきている。エンジンを付けたものをお客さんは要求している。本田は今、そのエンジンを作った。あなたがたは興味があるだろうか。返事をもらいたい」と誘った。
すると思いのほか数多くの返事が来た。藤沢は返事をくれた自転車屋にもう一度手紙を出すことにした。「小売価格は 25,000円だが、卸価格は 19,000円。代金は前金で願いたい。郵便為替でも結構だし、三菱銀行京橋支店に振り込んでいただいてもよい」
聞いたこともない本田技研なんて会社から送られてきたダイレクトメールを信用する自転車屋は少なかっただろう。それゆえに、「三菱銀行京橋支店」という表記は信用を授けてくれた。
キーマンを味方につけろ
しかも、三菱銀行京橋支店からだめ押しの手紙を自転車屋に出してもらった。そこには支店長名でこう書かれていた。
「わたしの取引先である本田技研への送金を、三菱銀行京橋支店へお振り込みいただきたい」
三菱銀行の効果は満点だった。最初に全国55,000店の自転車屋にダイレクトメールを出し、興味をもって返事をくれたのが30,000店、実際にお金を振り込んでくれたのが5,000店であった。
三菱銀行の名前がなければ、5,000店もの自転車屋が振り込んでくれることはなかっただろう。その後も、本田技研に追加注文が続々とやってきた。カブの成功は新たな販売網の構築ももたらした。
藤沢が実行した奇抜な方法の意味は、信用の裏書をいかに取り付けるかということだ。藤沢流は現代でも通用する。たとえば、新しいアイデアや製品を会議で提案する場合だ。新たなアイデアをいきなり会議にぶつけても頭の固い古参社員たちから賛成を得ることは難しい。それどころか、あっけなくボツとなってしまうことの方が多い。
ならば、会社のキーマンにねらいを定め前もってアイデアを説明し、会議までに味方に引き込んでおくことだ。そうすれば会議の席で、まずその人物から賛同の意見を出してもらってムードをつくる。信用の裏書をやってもらうわけだ。そうすれば、他の参加者から賛成を引き出すことは格段にやりやすくなる。中堅社員であればこのような戦術も駆使して自分のアイデアを通していくことが必要だ。
さて、本田の下積みのような30代は無駄だったのだろうか? そんなことはない。人生に無駄な時間はない。不本意なときを過ごしていても、流れに身を任せているかに思えても、転機は潜んで近づいてくる。自分を変える機会はきっとくる。重要なことは、その転機に気づくかどうかだ。
それにはどうすればいいか。
自分が一番興味を持っていること。人生の時を最も多く費やしたこと。自分がなにより得意なこと。こういった視点を通して見ることだ。すると、本田が、中古のエンジンを見てひらめいたように、転機は浮かび上がって見えてくる。