迫りくる米中衝突の真実 ~ 覇権はどちらの手に?
2013年01月24日 公開 2024年12月16日 更新
《『迫りくる米中衝突の真実』 序章 より》
「米中衝突」か? 「覇権争い」か?
21世紀の米中間係
21世紀が「中国の世紀」であるのか、あるいは依然として「アメリカの世紀」であり続けるのかをめぐって、内外の関心が高まっている。
ヒト、モノ、カネが国境を越えて移動するボーダーレスな国際社会にあって、世界各国の指導者は、「冷戦時代」の過去の遺物を次々に打ち壊してはみたものの、「冷戦後」の混沌とした状況をくぐり抜け、そこから21世紀における世界新秩序を創出することの難しさに直面している。
そこではむしろ、国境なき世界に逆行するかのように、自国の国益のみを重視し、自己の政治的・文化的ルーツに先祖返りする「新しいナショナリズム」が生まれている。あるいはまた、今日の世界は、大国も小国も、国境線の線引きと組み替えを、それぞれの内部事情に合わせて模索する「分離と統合」の時代に入ったとも言えるが、いまは亡きイギリスの歴史家E・H・カーによれば、世界史はもともと、国家の最適規模を求める作業の繰り返しであったという(E・H・カー『ナショナリズムの発展』1952年)。
さて、2012年は、中国の胡錦濤国家主席から習近平国家副主席への政権移行期にあたり、アメリカでもオバマ大統領の2期目の大統領選挙の年であった。米中関係は「冷戦後」の多極化の時代のなかで、「米中衝突」もしくは「米中覇権争い」の行方が注目されている。
ところで、冷戦後から21世紀に入った今日国際環境には、グローバルな2つのベクトルが存在する。その1つは、イギリスから欧州、大西洋を越えてアメリカ大陸に伝搬したのち、そこから太平洋を渡ってアジア地域や中国大陸に波及してきた工業化と民主化の波である。
これに対して、もう1つの工業化と民主化の波は、イギリスからドーバー海峡を経て、英米が推進するNATO(北大西洋条約機構)の「東方拡大」によって、EU(ヨーロッパ連合)内部のドイツ、フランスに関わり、旧東欧諸国とロシアに出合いながら、ユーラシア、中央アジアを経てこれまた中国大陸内陸部にぶつかるというベクトルとして誕生した。日本ではこれを、一時期「平成のシルクロード」と呼んでいたが、これら2つの波は、双方ともに21世紀の米中関係の行方に重要な影響を与えることとなった。
では、そうした米中関係の一方の極であるアメリカの対中政策を、われわれ日本人はどのように認識しておくべきなのであろうか。1970年代初頭の「ニクソン・ショック」に表れたように、日本の頭越しに米中開係が進展するとき、われわれ日本人は、アメリカの対中政策を一抹の不安を抱きながら観察せざるを得ない。日本の指導者たちは、アメリカがアジア太平洋に「関与」し、日米同盟によって日本を守ってきたことをあたかも自然で当然のことであったかのように思い込み、ここ数年になって日米同盟の存在や沖縄の基地問題で探刻な困難に直面している。
だが、そうした状況のなかで、今後もし、「ニクソン・ショック」のような米中間の頭越し外交に出合うならば、日本人はまたもやはたと困惑し、焦慮と不安感に陥り、改めて「米中関係がいかに重要であるか」に気づくことになるのではないか。このことは、アメリカにとって中国がいかに「特別な国」であり、米中間係にある種の言いしれぬ「特殊性」が存在するということに日本人の理解が及んでいない証左でもある。
米中の「文化覇権」
ところで、先のE・H・カーは、その著『歴史とは何か』において、「歴史は、歴史家と歴史的事実とのあいだのたえざる相互作用の過程であり、現在と過去との終わりなき対話である」と述べている。また、別の歴史家は、『ギボン自叙伝』に寄せた序文のなかで、「歴史は、究極的にはある人間の過去についてのイメージであって、そのイメージはそれを形成する人間の心理と経験によって規制される」と述べていた。
このことは、人間のイメージが、歴史家によって綴られる過去のイメージだけではなく、現在の事象への認識、さらには未来への計画といった、過去、現在、未来の事象の相互作用に深く関わり、そうした人間の心理環境によって大きく規制されることを意味している。人間は、現在起きている事象を観察、認識するに際して、過去からの「経験」に強くひきずられたり、未来の変化への「期待」をもって眺めたりするために、現在の事象を曲解してしまうことが多いのである。「米中グローバル衝突」を吟味するにあたって、このことへの理解を忘れてはならない。
一方、人間は、その実存する同時代的背景という横の時代環境ないしは空間状況にも大きく規制されるため、人間の抱くイメージも、そうした実存的時代空間の拘束からも逃れることができない。ケネス・ボールディングの古典的著作『ザ・イメージ』によれば、人間の「行動」は、「刺激」ではなく「イメージ」に依存し、「イメージは、それを所有する
人の過去の経験の総合結果としてできあがる」とされる。そして、個人の「世界についてのイメージ」は、他の人にも一部「共有」され、そこに「個人」の知識に対する「公的」な知識としての「共有されたイメージ」ができあがる。
すなわち、ここで指摘したいのは、社会内存在としての人間のイメージが、その人間の置かれた社会成層や時代環境と不可分であり、大きな「拘束」を受けているがゆえに(丸山眞男の言う「存在被拘束性」)、「米中グローバル衝突」を語るにあたっても、そうした点に留意しておかねばならないということである。
言い換えれば、カール・マンハイムの労作『イデオロギーとユートピア』における試みが、両大戦間期にマルクス主義やその他のさまざまなイデオロギーが蔓延するなかで、そうした「イデオロギーの徹底的相対化」によって、それらの「信憑性と虚偽の暴露」を行うことであった点を見逃してはならない。
周知のように、世界史をリードしてきた支配的なイデオロギーや思想は、18世紀フランスの啓蒙思想、19世紀イギリスの自由主義、そして20世紀アメリカのリベラル・デモクラシーといった形で、いずれもその時代の「覇権国家」の「パワー(権力)」を背景にして世界に大きな影響を与えてきた。それは、サイード流に言えば「ヨーロッパのオリエントに対する文化的支配」という意味において、米中「覇権争い」を引き起こすある種の「エスノセントリズム」(自民族中心主義)をむき出しにしてきたことになる。
したがって、西側の自由民主主義に目が行くことに慣らされてきたポール・コーエンが、その労作『中国における歴史の発見』において、アメリカ人の西洋中心的思考に由来する近代中国史の歪みを問題にし、その呪縛から少しでも解放されるよう試みたことは、それをアメリカ知識人の「知の帝国主義」とでも言うべき「自民族中心主義」への自己批判として捉えるとき、重要な意味合いをもってくる。
筆者はここで、そうした「欧米中心主義」の「文化的覇権」や「米中衝突」に対する強烈な批判に関して、そのすべてをそのまま肯定するつもりはない。だが、ここに示された「知と権力」の結びつきと両者の相関関係を見逃すことはできない。それは、戦後アメリカの「覇権」的地位やそのパワーの低下と無関係ではなく、米中は「覇権争い」の渦中にあると言えなくもない。人権、安全保障、「核なき世界」、環境、貿易、文化覇権といった「さまざまな側面で角逐している米中」というリアルな問題がそこに存在するからである。
「アジアへの回帰」
本書はアメリカのオバマ政権が中東、アフガンで疲れはて、「アジアへの回帰」を決断し、「関与(engagement)」と「ヘッジ(hedge)」政策にシフトした点と中国の反応を分析対象とする。「関与」とは、中国の「和平演変」という言葉があるように、中国をある程度の圧力をもった「関与」政策によって西側の先進民主国のように変化させ、ひいては「軟着陸」させることを意味している。
しかしながら、近年の中国の海軍力の増強を見ていると、アメリカとしても一定の圧力を加える「関与」政策だけでは不十分で、それに保険をかけてその政策がうまくいかない場合はいつでも退散する「ヘッジ」政策との組み合わせが必要となっている。いまの日本に必要なのは日本の周辺隣国・アジアの国々との多国間の友達づくりであり、それによって日本の外交上の選択肢を増やすことができる。これは二国間対話を重視する中国の政策とは異なる。
たしかに、近年の中国の軍拡は著しい。そして、アメリカのアジア政策に対して応じようとする中国は、「地域覇権」国家の道を歩み始めており、その「意図」ははっきりしている。また、中国は、ポスト胡錦濤をめぐって熾烈な権力闘争を行いながら、昨年(2012年)11月に開幕した中国共産党第18回全国代表大会において習近平体制を発足させた。
そして、その後の第18期党中央委員会第1回全体会議(1中全会)において一連の人事を決定した。その点については、本書の第7章において詳しく分析する。
本書はまず、21世紀は「アメリカの世紀」であるのか、あるいは「中国の世紀」であるのかといった大きなフレームワークに基づく問題を明らかにしながら、「戦略的機軸」をアジアに移しつつあるアメリカの対中政策と中国の反応が具体的にどのようなものであるのかについて検討していく。また、まずは第1章で「米中間係変遷史」を述べたのち、21世紀の「米中衝突」と米中「覇権争い」のいずれが現実として妥当なのかを課題としながら、その実態はどうなっているのかについて、以下の各章において考察する。
【第1章】 米中関係変遷史――現実主義者のロマンス
【第2章】 「アメリカの世紀」か? 「中国の世紀」か?
【第3章】 「核安全サミット」と人民元改革
【第4章】 南シナ海をめぐる米中関係
【第5章】 「ワシントン・コンセンサス」と「北京コンセンサス」
【第6章】 長期予測と中期予測、短期予測
【第7章】 オバマ大統領の再選と習近平新体制下の米中関係
【第8章】 「賭け」に打って出た世界の指導者たち
【終 章】 日本の役割と暫定的結論
井尻秀憲
(いじり・ひでのり)
東京外国語大学大学院教授
1951年福岡県生まれ。東京外国語大学中国語科卒業。同大学大学院を経て、カリフォルニア大学バークレー校政治学部大学院博士課程修了。政治学博士(Ph.D.)。神戸市外国語大学助教授、外務省在北京大使館専門調査員、筑波大学助教授などを経て現在、東京外国語大学大学院教授。
著書に『アメリカ人の中国観』(文藝春秋)『李登輝の実践哲学――五十時間の対話』(ミネルヴァ書房)『中台危機の構造――台湾海峡クライシスの意味するもの』(勁草書房)などがある。