現代は大量の情報があふれ、いつでも手軽に知識を得ることができます。しかしそれだけで本当に物事を理解しているといえるのでしょうか。実際に行ってみたり、実物を見てみることで、得られるものは違ってきます。右脳を働かせ、感覚的に理解することの大切さを説きます。
※本稿は、枡田智著『右脳におまかせ! 見える世界が変わる「5日間レッスン」』(大和出版)より一部抜粋・編集したものです。
右脳的理解と左脳的理解はこう違う
「本質を捉える」とは、物事を表面的に理解するのではなく、その奥にある意味や構造を、より深いレベルで感じ取り、理解することです。こうした深い理解は、右脳が得意とする領域です。「腹でわかる」「感覚で理解する」とも言われます。
たとえば、フランスのパリを例にして、説明してみましょう。
パリに行ったことのない人が、ガイドブックを読んで「エッフェル塔があって、美術館が多くて、おしゃれな街なんだな」と思う――これはあくまで左脳的な理解、情報としての理解に過ぎません。
一方で、実際にパリに行って1週間ほど滞在し、現地の人々と会話をし、カフェでコーヒーを飲みながら街並みを眺め、パリの空気感や匂い、音、雰囲気を五感で体験し理解した――これは、頭で得た情報だけでは届かない、身体感覚に根ざした右脳的理解です。
このような体感を伴った右脳的理解こそが、本質に迫る理解だと言えるでしょう。
それは、ガイドブックから得られる情報だけの理解とは、まったく違った次元のものです。
現代のように大量の情報が溢れる社会では、「ただ情報を知っている」ことと「本当に理解している」ことの違いを忘れがちです。
もしパリについて知りたいと思ったら、家から一歩も出ずに、いくらでもパリの情報を調べられます。そして、パリに行かなくても「パリを知った気になってしまう」こともあるでしょう。
しかし、それはあくまで"知った気になっているだけ"であり、本質的な理解とは違います。そのような左脳的理解には、限界があるのです。
「腹落ち」していれば行動につながる
ビジネスなどのシーンをイメージすると、左脳的理解と右脳的理解の違いがわかりやすいかもしれません。
たとえば、仕事で取り組む課題があったとします。その答えとなるような情報は、世の中に溢れかえっています。
AIに質問すれば、何かしらの答えが返ってきます。インターネットで検索しても、何かしらの答えが得られます。情報はいくらでも手に入ります。
しかし、情報を得ただけでは何も進みません。
本当に自分が行動を起こし、その仕事を進めていくには、「右脳的な理解」が必要なのです。
たとえば、インターネットで「これをやるといい」と紹介されているのを見たり、誰かから「これをやってみたら?」とアドバイスされることもあるでしょう。
でも、それだけで本当に自分が「やろう」と思えるでしょうか?
それだけで、本気で取り組むことはできるでしょうか?
おそらく、なかなかできないはずです。
ただの情報やアドバイスを聞いただけでは、それを自分のものとして本気で取り組むのは、なかなか難しいのです。
しかし、もしその提案やアイデアが自分の中で「腹落ち」していれば――つまり、体感や感覚を通じて深く納得できていれば、そこには大きなエネルギーが生まれます。自然と「やろう」と思えますし、実際に行動に移すこともできます。
そのような本質的な理解があれば、知識を「知っている」状態にとどまらず、それを「生きた行動」として活かすことができるようになります。
その結果、仕事だけでなく、人生そのものがより深く、豊かなものへと変わっていくでしょう。
「わかっている」と思うと、理解はそこで止まってしまう
本質を捉えた右脳的理解に至るためには、ポイントがあります。「頭だけで理解した気にならない」ことです。
たとえば、パリのガイドブックを少し読んだだけで、「ああ、パリってこういう街なんだね、わかった、わかった」と思ってしまうと、それ以上理解が深まりません。「もうわかったからいいや」となり、それ以上見ようとしなくなってしまうからです。
こうしたことは、日常でもよく起こります。
たとえば、美術館でゴッホの有名な絵画『ひまわり』を鑑賞したとしましょう。
そのときに、
「ああ、これがゴッホのひまわりか。有名だよね。知ってる、知ってる」
と一度思ってしまうと、それ以上絵をじっくり見ようとしなくなります。少し眺めただけで、次の作品へと移ってしまうでしょう。
それでは、単に「ゴッホのひまわりを見た」というイベントが起きただけです。その日のスケジュールが、ひとつ消化されただけです。それでは絵の本質を味わったとは言えません。
このように、一度「知っている」「わかっている」と思ってしまうと、理解はそこで止まってしまい、それ以上深めることはできなくなります。
深い右脳的理解に至るには、「これは有名なゴッホの絵だよね」という頭による理解をいったん脇に置き、できるだけ感覚で、体で、絵を体験する必要があります。
そうした見方をするには、数十秒眺める程度では足りません。5分、10分と、その絵の前に立ち、じっくりと鑑賞するのです。
すると、最初に絵を見たときとは異なる印象が、自分の内側に現れてきます。絵を見たときの体や心の反応が、より繊細に、はっきりと感じられるようになります。
そして徐々に、自分の体がその絵に馴染んでいき、ようやく「本当にその絵を見る」という体験をすることができます。その絵を深く理解するプロセスが、そこで動き出すのです。