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「これが私だ」と思い込むほど苦しくなる 自己否定を生む“仮の自分”の正体

武末有希子(「そとがわメソッド」開発・講師)

2026年02月18日 公開

「これが私だ」と信じてきた体や性格、思考や人生。その正体を問い直したことはあるでしょうか。「そとがわメソッド」を開発した武末有希子さんは、多くの人が"仮の姿"にすぎないものを自分の本質だと思い込み、可能性を狭めていると語ります。

本稿では、「アバター」という視点を通して、自己否定や不安が生まれる仕組みと、「本当の自分」に立ち戻るための考え方をひも解きます。

※本稿は、武末有希子著『自分を否定しない練習』(インプレス)より、一部抜粋・編集したものです。

 

あなたが「自分」だと思ってきたもの

私たちは日常の中で、当たり前のように「これが私だ」と思い込みながら生きています。

・「この体が私」
・「この性格が私」
・「この思考が私」
・「この人生を生きている私」

ほとんどの人は、こう信じて疑いません。

たとえば、鏡に映る顔を見れば「これが私の姿だ」と思う。誰かに「あなたって几帳面だよね」と言われれば、「それが自分らしさなんだ」と感じる。日々浮かんでくる思考や感情を「自分のもの」と捉え、過去の出来事を「自分の歴史」として積み重ねていく。こうして「私」という感覚は、ごく自然なものとして心に根を下ろしていきます。

 

本当にそれだけが「私」なのか?

ここで少し立ち止まって考えてみましょう。

・もし体が「私」なら、髪を切った瞬間に「私」は減ってしまうのでしょうか?
・もし性格が「私」なら、環境の変化によって「穏やか」だった人が「短気」になったとき、それはもう別人になったことを意味するのでしょうか?
・もし思考が「私」なら、眠っている間に思考が止まっているとき、あなたは「存在していない」ことになるのでしょうか?

あるいは、こんな場面も思い浮かびます。

病気や事故で体の一部を失ったとしても、その人の「存在」そのものが消えるわけではありません。

引っ越しや転職といった環境の変化で性格が以前と大きく変わっても、「あなたはあなた」のままです。夢を見ているとき、現実とは違う物語が頭の中で展開しても、目覚めたあなたが「存在していなかった」とは誰も言わないでしょう。

こうして見ていくと、私たちが「これこそ自分だ」と信じてきた拠り所は、意外なほど不確かだと気づきます。

結論を先に言えば、私たちが「自分」だと思い込んでいるものは、すべて「仮の姿」にすぎません。 体は年齢とともに変わり、性格や思考も経験や状況によって揺れ動きます。人生のストーリーも、あくまで一つの解釈や切り取り方にすぎません。

にもかかわらず、私たちは「これが本当の私だ」と頑なに信じ込んでしまいます。

その結果、

・「私はこういう人間だから」
・「私の人生はこういうものだから」

と自らに制限を課し、小さな枠の中に閉じ込めてしまうのです。

 

思い込みという鎖

・「私は人見知りだから挑戦できない」
・「私は不器用だから愛されない」
・「私はこういう人生を送るしかない」

こうした思い込みは、一見すると自分を守っているように見えます。けれど実際には、不安や自己否定を強め、可能性を縛る鎖となってしまうのです。

あなたが「これこそ自分だ」と信じてきたその姿は、本当に不変の本質なのでしょうか。もしそれが「仮の姿」にすぎないのだとしたら?あなたの奥には、まだ出会えていない「本当の私」が静かに潜んでいるのかもしれません。

 

アバターという仮の自分

ここで登場するのが「アバター」という考え方です。

アバターとは、この世界を体験するために私たちが使っている肉体+思考+性格の総体を指します。まるでオンラインゲームでキャラクターを選び、操作するように、私たちは「アバター」という仮の自分を通して現実を生きているのです。

アバターがあるからこそ、私たちはこの世界で活動できます。

言葉を話し、人と会話し、感情を分かち合えるのも、アバターを介して体験しているからです。

・肉体= 五感を通して外の世界とつながるための「窓口」。
・思考= 情報を整理し、未来を計画するための「ツール」。
・性格= 人と関係を築き、役割を果たすための「インターフェース」。

これらが組み合わさることで、私たちは「ひとりの人間」として社会の中で存在できるのです。つまりアバターとは、現実を体験するためのとても便利な「装置」だといえます。

 

ゲームのキャラクターに例えると

想像してみてください。ゲームをプレイするとき、プレイヤーはキャラクターを通じて冒険し、戦い、達成感を味わいます。けれど、それは「キャラクターの経験」であって、プレイヤーそのものが傷ついたり成長したりするわけではありません。

同じように、私たちが日常で体験していることも、アバターを通じて起きているにすぎません。アバターが失敗することもあれば、成功することもある。喜びも悲しみも、すべては「アバターを通じた出来事」なのです。

ところが、多くの人はアバターを「本当の自分」だと思い込んでしまいます。

・「私はこの体だから価値がある/ない」
・「私はこの性格だから好かれる/嫌われる」
・「私はこの思考だから不安になる/安心できる」

そう信じることで、本来の自分を見失い、アバターの評価に振り回されるようになります。本当は、アバターはあくまで「現実を体験するための仮の姿」にすぎません。にもかかわらず、私たちはアバターに完全に同一化し、「私はアバターそのものだ」と錯覚してしまうのです。

この錯覚、つまり「同一化」こそが、自己否定や不安の根本原因となっていきます。

一時的な性質や単なる道具であるはずのアバターを、自分の本質と取り違えてしまう。その瞬間から、私たちは「アバターの評価」に自分の価値を左右され、振り回されてしまうのです。

 

アバターと同一化する罠

ここからは、先ほど触れた「同一化」の問題を詳しく見ていきましょう。同一化とは、アバターの性質や反応を「これが私だ」と思い込んでしまうことです。

たとえば、

・「怒りっぽい私はダメだ」
・「人とうまく話せない私は価値がない」
・「弱い私を変えたい」

こうした思い込みは、アバターが持つ性質や特性を「自分の本質」だと信じ込んでしまった結果です。 本来はアバターの一時的な特徴にすぎないのに、それを自分そのものだと錯覚し、まるで存在価値そのものを否定されたように感じてしまうのです。

 

アバターの性質と「本当の自分」の違い

・怒りやすいこと
・人とうまく話せないこと
・臆病であること

これらはすべてアバターの性格や思考パターンにすぎません。環境や経験によって形づくられた反応であり、固定された「本質」ではないのです。けれど多くの人は、こうした特徴を「私はこういう人間だから」と決めつけます。その結果、本当は状況次第で変わる性質に、自分の存在価値を結びつけてしまうのです。

この混同こそが、自己否定や生きづらさの根本原因になります。

・人前でうまく話せなかったとき、「話すのが苦手な私は価値がない」と自分を責める。
・怒りの感情が湧いたとき、「感情をコントロールできない私はダメだ」と落ち込む。
・弱さを見せたとき、「こんな自分は受け入れてもらえない」と不安になる。

本来は一時的な反応にすぎないものを「存在全体の欠陥」として抱え込んでしまうことで、苦しみはどんどん増幅されていきます。

大切なのは、「アバターの性質=本当の自分」ではないと気づくことです。アバターはあくまで「現実を体験するための道具」であり、性格や思考は変化していくもの。そこにあなたの存在の本質があるわけではありません。

・「私は怒りっぽい」のではなく、「今のアバターは怒りの反応をしやすい」
・「私は人とうまく話せない」のではなく、「この場面でアバターが会話を苦手と感じている」

こう捉え直すだけで、自分を丸ごと否定する必要がなくなるのです。それは、アバターの一時的な状態と「本当の自分」を切り分ける第一歩となります。

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