BTSのRMも読んだエッセイ 「死」をきっかけにみつめた喪失と悲しみ、そして小さな希望
2026年03月13日 公開
人は生まれ、老い、病気になり、やがて死ぬ。それを知っていても、喪失はいつも不意打ちのようにやってくる。 BTSのRMも読んだ韓国の作家ファン・ギョンシンさんのエッセイ『夜11時』(&books/辰巳出版)より、友だちの父の死をきっかけに見つめ直す、人生の「どうしようもなさ」と、小さすぎる希望についてのエピソードを紹介します。
※本稿は、ファン・ギョンシン著『夜11時』(&books/辰巳出版)より内容を一部抜粋・編集したものです
絶壁
久しぶりに会った友だちとコンサートに行き、ビールを1、2杯飲んで、にぎやかな通りを抜け出して着いた我が家で、水キムチやレンコンの煮つけみたいなものを手当たり次第に出して、チャーリー・ヘイデンを聴きながらマッコリを飲んでいた土曜の夜。
"父が亡くなったの。"
あなたのメールを見てしばしぼんやりした。中学校1年生、つまり14歳で出会い、今までこれといったケンカのひとつもしたことがない、会えばとにかくうれしくて、ずっと会えなくても思い浮かべるだけで頼りになるあなたは
"平気だよ。心配しなくていいよ。"
と、その状況でもわたしが心配することを心配していた。かなり煩雑な仕事とお酒の席が夜遅くまで続く日々のせいで、頭の中にも心にも体にも、べったりと倦怠感がまとわりついていたけれど、幸い日曜日は一日空いていたので、わたしは大急ぎで釜山行の往復チケットを入手した。
あなたの友だちとして出会い、わたしの友だちになったSと一緒に汽車に乗り、うとうとしては目を覚まし、釜山駅に到着したのは5時頃だった。電車に乗りタクシーに乗って、釜山医療院を訪れ、黒い韓服を着たあなたに会った。
あなたのお母さんはわたしの手を握り、「面影があるわ。子どもの頃と同じ」と言い、わたしたちが中学生の頃、高校生だったあなたの2番目の兄さんは、悲しい笑みを浮かべてうなずいた。そして、遺影の中からわたしを見つめるあなたのお父さん。口数の少ない、わたしが遊びに行くと「ゆっくりしていけ」と言って席を外してくれた人。
長すぎた月日が一度に押し寄せ、つぶれそうな心をあなたとわたしは必死で隠し
"大変だね。来てくれてありがとう。"
しっかりと大人の挨拶をした。
飾り気のない大きいだけの葬儀場のちゃぶ台で向かい合い、ごはんとみそ汁を食べて、自販機のコーヒーをひとつずつ手にして外に出たとき、すでに穏やかな夜のとばりが下りていた。熱くてまぶしい昼が去り、もう夜が長い日々だけだね。そう思ったけれど、声には出さなかった。
あなたとS、そしてわたしが毎日一緒だった頃があった。9時に出勤して7時に退勤し、夜遅くまで学生街を歩き回った。永遠に続いて果てしなく繰り返されるはずだったあの頃は、しかし今、どこに行ったのか。
あなたは結婚して子どもを育てながら仕事を続け、Sは事業をしながらローンを返して彼氏と暮らし、わたしは、そうわたしは、物書きをしながら独りで生きて、その気になればいつでも会えるつもりで、たまにメールで連絡を取り合っているうちに、予期せぬ運命がわたしたちをこの場に呼び寄せ、なじみのない病院の前で自販機のコーヒーを飲みながら、泣けもせず、心置きなく悲しめもせず。
いっそおいおい泣けばよかったのにと、帰りの汽車の中でチカチカする窓の外の明かりたちをたしなめる。日曜の午前0時のソウル駅から終電に乗り、夜の南大門を過ぎて家に帰る途中、人生はどうして絶壁みたいなのか、と考えた。一歩前に何があるのかわからず、苦痛で寂しい青春を耐え抜いたのに、相変わらず一歩前に何があるのかわからない日々。だったら月日が教えてくれたのは、反抗しても無駄で、逃げても道はないということだったのか。
望まないことが人生には多すぎる。もっと悲しいのは、予測できないことではないということ。生まれて年老いて病気になって死ぬこと。変わって消えて破壊されること。そして、永遠にそこに根を下ろす喪失がある。だけどわたしたちが頼れるのは小さすぎる明かりたちだけ。いつ変わって消えて破壊されるかわからない小さすぎる心たちだけだ。
そうして小さな手がかりを追いかけて、絶壁の端っこを踏もうとしている。それぞれ自分の取り分の喪失を抱きしめて、歩いては休み、眠っては起きて、笑って泣いて、危なっかしく切実に、人生の端っこをつかもうとしている。だから悲しいこともなく、腹も立たない。
その日々をその記憶をその喪失を、忘れて生きろと、いや、忘れるなと、心臓の中で生きている悲しい鳥は悲しい歌を歌うけれど。