2026年4月10日に、第60回吉川英治文学賞の贈呈式が開催されました。受賞したのは、朝井まかてさんの『どら蔵』(講談社、2025年9月刊)です。朝井さんは2014年に『恋歌』で直木賞を受賞して以来、数多くの文学賞を重ねてきた作家で、今回の吉川英治文学賞はその集大成ともいえる受賞となりました。贈呈式では、選考委員を代表して浅田次郎さんが選評を述べ、続いて朝井さんが受賞スピーチに立ちました。
「本賞」が意味するもの 浅田次郎さんによる選評
登壇した浅田次郎さんは、まず吉川英治文学賞の位置づけについて説明しました。
「俗に私たちの業界では、この吉川英治文学賞のことを本賞と通称します。これは他の賞と比べてこれが本賞だという意味ではなくて、数多ある文学賞の中から一歩ずつ段階を踏んでいって、極まった賞がこの吉川英治文学賞であるという意味だと私は捉えています」
そのため選考も、候補作一作のみを評価する場ではないと浅田さんは語ります。「その方が今までに書いてこられた作品の実績や、文学界に対する功績を加味して討論を重ねる」といいます。今回はそのような協議を経て、朝井まかてさんの『どら蔵』に票が集まりました。
浅田さんが特に高く評価したのは、朝井さんの時代小説が持つ「読者を昔の世界に誘う力」です。
「『どら蔵』のお話は、現代から見た江戸時代の話ではなくて、読者を昔の世界にすっと抵抗なく誘ってくれる。時代小説の読者は、それを望んでいるんですよね」
その具体例として浅田さんが挙げたのが、一つの言葉の使い方でした。
「作中の人物は「行ってきます」とは言わず、「行って参じます」と言うんです。この言葉一つで江戸時代の世界にすっと読者を連れて行ってくれる。これが「行ってきます」ではダメなんです」
こうした言葉の選択が作中のいたるところに細かく配置されており、しかも膨大な資料調査を背景にしながらも「資料の影がない」と浅田さんは述べました。
「これは小説家の一番優れた書き方だと感じました。これからも一読者として作品を楽しませていただこうと思います」と締めくくりました。
一つの人生の原風景を誰かと共有できる幸せ
朝井まかてさんのスピーチは、賞の名を冠する作家・吉川英治の幼少期の情景から語られました。
「吉川英治が子供時代を過ごしたのは、現在の横浜市南区にあたる高台です。そのなだらかな丘陵には、かつて一面の百合畑が広がっていたといいます。毎朝、桜やユキヤナギが波打つ坂道を駆け下りて学校へ向かう少年の姿を、母は門の前に立って見送っていたそうです」
朝井さんはそう語りました。
吉川英治の晩年の随筆には、次のような言葉があると朝井さんは紹介しました。
「毎日を、花の香に染められて通った頃の童心の幸福感が、老いたる今もどこかに潜んでいるものだろうか。以後、長じて人生の辛酸な道へ出てゆくほど、そのなつかしみは深くなっていた。」
受賞の知らせを受けた当初は驚くばかりだったという朝井さんですが、少し落ち着いてきてから脳裏に浮かんできたのが、百合畑の中に立つ少年と母の姿だったといいます。
「文章はこのように、一つの人生の原風景を誰かと共有できる。今、つくづくとその幸運を思います」
「運だけで生きてきました」
「今更ですが、本当に私は運だけで生きてきました」と朝井さんは語ります。ただしその運は、多くの人に支えられてきたものだという自覚があるとも述べました。
デビュー以来ともに走ってきた担当編集者、本づくりに関わるすべての人々、書店員や読者、作家仲間への感謝を述べたうえで、朝井さんはこう続けました。
「こんなドラ娘を、もうドラおばさんですけれども、ずっと応援し続けてくれている友人たち、ヒヤヒヤしながら見守ってきてくれた夫と母と妹にも感謝します」
スピーチの最後、朝井さんはこう語りました。
「受賞者のお言葉としては相応しくないかもしれませんが、この世界に生きている人間の一人として、あの戦争、この戦争が一日も早く終わることを願います。支配欲によって、誰かの命や人生や誇りが奪われる、そんなことが一日も早く終わりますように心から祈ります」