自分には「本当の友だち」と言える人がいない――そのように感じている人は少なくないのではないでしょうか。友人と一緒にいても疲れる、ひとりでいるほうが気が楽......そう思ってしまう自分は「ダメな人間」なのではないか、と落ち込んでしまうこともあるかもしれません。しかし、人にはそれぞれ性格のタイプがあります。「ひとりでいる=不幸」ではありません。自身が「ひとりで過ごすのが好きな性質」と語る脳科学者の中野信子さんが、ユングの性格型やマインドフルネスの視点から、自分を大切にするための心の整え方を解説します。
※本稿は、中野信子著『「さみしさ」に負けないための脳科学』(アスコム)より一部抜粋・編集したものです。
無理に別のタイプを演じて生きる必要はない
なかなか他人と本音で話せず、本当の友だちがいないと思ってしまいがちな人は、内向的なタイプかもしれません。
そんな人は、そもそもひとりの時間を有効に過ごすほうが向いているといえるでしょう。
そういう人が、外向的で人と接することが得意な人たちのなかにいると、疎外感や孤立感を抱いてしまうこともあるかもしれません。
でも、嫌われたくないので誘いを断れなかったり、無理に話を合わせたりして、かえって疲れてしまう。
それを繰り返す自分にまた嫌気がさして、暗い気持ちになってしまうということもあるでしょう。
神経をすり減らす人付き合いで疲弊しきってしまい、「自分には本当の友だちがいない」「誰からも理解してもらえない」と勝手に落ち込んで、必要以上にさみしさを感じてしまうことにもなります。
自分がダメだと思ってしまう前に、まずは、自分が内向的なのか外向的なのかを見極めておくことも有益です。
スイスの精神科医・心理学者であるカール・グスタフ・ユングは、人は自分の興味や関心がどこに向いているかで性格が異なるとしています。
興味や関心が自分の内側に向いていれば内向的、自分以外の他人など外側に向いている場合は外向的であるということです。
もちろん、性格が内向的であっても、外向的であっても、人との交流がうまいか下手かはまた別の問題です。
それぞれの性格に応じた、人との付き合い方を考えていきましょう。
もちろん、外向的な人も気をつけていかなくてはならないことがあります。
自分の内面にあまり目が向かないので、楽しく過ごせているつもりでいてもいつの間にか疲れが溜まって、心がぽきりと折れてしまうということもあるのです。
外向的な人も、人と交流する技術、そして、自分と向き合う技術を意識的に身につけていく必要があると思います。
内向的であれば、無理に交流しようとするのではなく、自分の性格に合った付き合い方を探すのがいいでしょう。
大事なのは、ひとりでいることは、まったく不幸でも、同情されるようなことでもないということを理解することです。
勘違いされがちなところかもしれませんが、人は、決して誰かの期待に応えるために生きているわけではありません。
期待に応えることができたほうが、より将来的に誰かの助けを得やすくなる、と思うかもしれませんが、人間には意外とフェアでない部分があるものです。
助けの手を差し伸べたくなる相手については人それぞれに類型があるので、自分が心地いい環境で、自分の人生を自分のために生きればそれでいいのです。
試行錯誤しながらも、自分の心が安心できて満たされる居場所を見つけられれば、さみしいという気持ちも減っていくはずです。
そして、さみしいという感情は、自身の危険、種の継続の危機から来るアラートだということも忘れないようにしましょう。
そのことを理解し、「大丈夫。わたしはいま安全な状況にいるし、それほど孤独ではない」、あるいは「それほど問題でもない」と認識し理解できさえすれば、さみしさも一過性のものとなるはずなのです。
自分のタイプを知り、無理に別のタイプを演じて生きていくことがないようにしたいものです。
「心が傷ついた」という状態をそのまま受け入れる
社会から断絶されることに対して強い恐怖やストレスを感じるのは、人としてあたりまえの反応です。
また無意識に社会的なつながりを求めてしまうのも、人間として当然の欲求です。
「これは、脳が社会的つながりを奪われることに対して、ネガティブに反応しているだけなのだ」と認知して、過度にその原因をなんらかの出来事に帰因させようとするのを抑えることで、その情動に振り回されることも少なくなるのではないかと考えられます。
ひとりでいることに不安を抱くのはあたりまえのことですが、その不安が誰かへの敵意や必要以上の依存心などに変わってきた場合は、「ひとりでいても大丈夫」などと捉え方を変え(これをリフレーミングといいます)、自分の行動を制御するという方法があります。
たとえば大切な人を失い、心のなかにぽっかりと穴が開いてしまったようなとき。
そんなときわたしたちは、その穴を誰かに、あるいはなにかに埋めてもらおうと考えがちです。
しかし、「誰か」といっても、その人にはその人の都合があり、「なにか」といっても、そう簡単に失った人の代わりになるようなものを見つけることは難しいでしょう。
なかなか都合よくいかないことは、多いはずです。
そんなときは、まず「自分にとって大事な人を失ってしまった」「それによって自分の心が深く傷ついてしまった」という状態を、そのまま受け入れるように努めてみることです。
これは、「マインドフルネス」と呼ばれています。
ほかのもので埋めることができないのは、それくらいかけがえのない大事な人だったからです。
心はひどく傷つき、痛みを感じているはずです。
簡単に気持ちを切り替えられるはずがありません。
このとき、「こんな自分はダメな人間だ」などと自分を否定し、さらに傷つけてしまうことがあるかもしれませんが、そんな気持ちさえも、自分の心に起こったこととして受け止めていくのです。
タイパ重視の風潮に自分を売り渡さない
「自分の心に起きたことをまず受け止める」というのは、自分を大事にするということでもあります。
現代社会では、「タイパ(タイムパフォーマンスの略)」という言葉が頻繁に聞かれることに象徴されるように、感情をいかに迅速に処理できるかがその人の価値を決めるとでもいうような、根拠のよくわからない価値観が広がっています。
けれども、そういったはっきりしない基準で自分を切り分け、大切な自分を売り渡したり、振り回されてしまったりするような愚を犯すことは、ぜひとも避けていくべきだと強く訴えたいところです。
迅速な処理よりも、自分の気持ちとじっくり向き合うことのほうがずっと大切です。
自分の気持ちと向き合えない人が、他者の気持ちに向き合うことなどできるはずがありません。
自分を大切にできる人でなければ、まわりにいる人の気持ちを理解したうえで受け止めて、ともに歩んでいくのは難しいでしょう。
自分の心としっかり向き合い、それを受け止めて、自分を育てていく。
その人の内面が豊かであればあるほど、相応の時間も必要になります。
「いま、また自分はひとりぼっちだと思ってしまったね。あの人を失ったことを悲しみ、喪失感を抱え、ひどく落ち込んでいるんだね」と、自分の隣にもうひとりの自分がいて、その人が自分を見つめているかのように感じてみる、というのがマインドフルネスで取られる方法です。
「このさみしさをどう自分の人生に活かしていけるかな」と、もうひとりの自分に相談してみるのもいいかもしれません。
「時間がかかるだろうね」「さみしいのはあたりまえだよ」
このように自分に語りかけていくことができれば、それは自分を大切にするためのプロセスの第1段階のクリアといっていいでしょう。
さみしさに耐えて生きていくことは、自分がそういう局面にいなければ、想像がしづらいものです。
自分が、「さみしいと訴えている人」にかつて向けていた冷たい視線を想起する人もいるかもしれませんが、だとすれば、それはさらにつらく感じられることでしょう。
だからこそ、ただ耐えようとしたり、目を背けようとしたりするのではなく、よくよく向き合ってその姿を受け止めたうえで、どう付き合っていくのかを考えていくことが賢明なやり方です。
これは決して特別な、選ばれた誰かにしかできない方法ではありません。
少しずつ時間をかければ、誰でもできるやり方です。
ときどきフラッシュバックするように強い喪失感が襲ってくるかもしれませんが、年齢を重ねれば出会いよりも別れが多くなるのは当然のことですから、その人のことを大切に思うことができた時間の豊かさをしみじみと思い出して、じっくりと向き合っていくのがいいでしょう。
さみしさに蓋をするのではなく、その感情をどのように見据え、付き合っていくかを工夫していくのです。
さみしさは、人間であれば誰しもが経験する感情です。
これを抱えているのは自分だけではないというのはあきらかなのですから、その気持ちをなにかに綴るというのもいい方法のひとつです。