「145時間Uberをして、ばあば(82歳)をハワイに連れていった話」——Xに投稿されたそのエッセイは810万インプレッションを超え、大きな話題を呼びました。投稿したのは、吉本興業所属の芸人・るん(篠原光)さん。笑えるのに、家族のことが頭をよぎってうるっとくる。そんな声が多数寄せられました。そんな篠原さんのエッセイを特別にお届けします。
※本稿は、Xに投稿された記事を転載・編集したものです。
母が亡くなる前に僕に伝えた言葉「ばあばのことを...」
145時間Uberをしてばあば(82歳)をハワイに連れてった。雨の日も、クリスマスも自転車を5ヶ月間、漕ぎ続けた。ハワイのホテルに着いた、ばあばの第一声は「部屋から海が見えないなんて話にならないわね」だった。
小さい頃から「ばあばっ子」だった僕は、ばあばの家によく遊びに行き、実家に戻ろうとすると泣いていたらしい。よくこのことをばあばはいじってくる。初任給が入った時は両親とばあばに焼肉を奢ってあげた。ばあばはフードファイターの小林尊みたいに水で肉を流し込んでいてすごく嫌な気持ちになったことを覚えている。
誕生日にお寿司を奢ってあげたこともある。ばあばは、そのお返しに僕の誕生日にスーパーで卵1パックを買ってくれた。ばあばは等価交換を知らない。鋼の錬金術師だったら、両腕両足、真理の扉に持っていかれてただろう。家ではいつも、僕がばあばをからかい、ママお(母)が「やめなさい」と笑いながら僕らのやりとりを見ていた。あの明るいリビングの笑い声が、僕の原風景だ。そんな僕にだけ、ママおは亡くなる前こう言った。
「ひかる、ばあばのことを、よろしくね」
その言葉が、ずっと僕の背中に張り付いている。ハワイの話をしないと...
ばあばの誕生日に「旅行でどこでも行けるならどこに行きたい?」とほぼバーソロミュー・くまみたいな聞き方をしたら、「ハワイに行きたいわね」と言ってきた。ハワイは物価が高いと聞くし、2人分はさすがに僕の給料じゃキツイと思った。だけど、ばあばが今みたいに自分の足腰で歩けて楽しめる時間は、そんなに長くないんじゃないかと思い、半年後に無理やりにでもハワイに行くことを決めた。
30万を稼ぐため、Uberで走り回った
予算は60万(エコノミーでごめん)。毎月5万の貯金に加え、残りの30万をUberで稼ぐことにした。そこから平日18時に仕事を終えて帰宅し、19時から深夜まで自転車を漕ぐ生活が始まった。初めてUberをした感想は、「ごはんをA地点からB地点に運んでお金を稼いだ」という事実が意味不明すぎて笑ってしまった。そして、僕は異常にケチになった。常に「Uber換算」をしてしまうのだ。大好きなハーゲンダッツのバニラ味も「これ配達1回分か」と棚に戻すようになった。
Uberで一番きつかったのは、渋谷のポーカールームに配達した時のことである。エレベーターでお店に上り、扉が開いたら一面ポーカールームだった。エレベーターからUberのバッグを抱えた男が現れた瞬間、店内の全員が一斉にこちらを見て、またゲームに戻った。一刻も早く立ち去りたくなりながら受付の人に「すいませんUberです」と伝えたら、「わからないです」と言われた。「わからないです?」と思いながら、注文した人が名乗り出てくるのを入り口で待った。
そうすると一番近い卓のチャラい男が「だれー?Uber頼んだの」と大きな声を出した。ものすごい嫌な予感がした。「Uber頼んだのお前だろ」と隣のプレイヤーに声をかけはじめ、隣が「誰がUber顔だよ!」と世界で一番つまらない会話が始まった。僕がプロポーカープレイヤーの「世界のヨコサワ」だったら、今この場でポーカーでぼこぼこにできたのにと思ったが、僕は「Uberのシノハラ」なので「へへっ」という惨めな苦笑いを浮かべエレベーターに逃げ込むことしかできなかった。
他にも、人生初の夜勤の肉体労働にも行った。平日働いた後に深夜24時から地下鉄のトンネルに入り除去作業を行った。そのことを自撮り付きでXにあげたら、ゲイの人たちに見つかり、大量にフォローしてもらった。一瞬、OnlyFansで稼ごうかと思ったが、孫がOnlyFansで稼いだお金でハワイに連れていっても、おばあちゃんは嬉しくないと思い、次の日も自転車を漕いだ。(※個人の意見です!僕は裸で稼いだお金でエルメスを買っても、それは努力の結果だと思います!)
「部屋から海が見えないなんて話にならないわね」
12月に「ハワイに連れていくためにUberを始めたこと」をばあばに報告した。孫の優しさに感動して号泣したらどうしようと心配しつつ伝えると、ばあばは肘をつきながら「ハワイもいいけど、温泉にも行きたいのよね」と言ってきた。強欲すぎてめちゃくちゃ笑った。思わずデッキからカードを2枚ドローしかけた。
お金が徐々に貯まっていき、1月に飛行機、2月にホテルを予約した。着実にハワイに近づいていることにワクワクしたのを覚えている。ハワイが近づくにつれ、必然的にばあばとのLINEも増えた。ばあばのLINEはとにかく誤字が多く、平気で既読無視してくる。返信を催促した時も「ごめん、忘れてた」と脈無しみたいな返信をしてくる。でも、ばあばとのLINEは予想外だから楽しい。「ハワイ楽しみだね?」と送ったら「BYE!」というスタンプを送ってきた。意味が分からない。
僕がばあばを好きなのは、その遠慮のなさだ。ハワイのホテルに着いた瞬間の第一声は「部屋から海が見えないなんて話にならないわね」だった。初日の夜には「物価が高い、飯がまずい、ぼったくりだ」とハワイの悪口を並べ立てた。1ドルも払っていないのに。最高だった。
ハワイはかなり物価が高く、チャーハンと海鮮焼きそばで1万円超えたりして、やりたいこと全部はできなかったけど、行けてよかった。最終日のホテルの部屋だけは、オーシャンビューとダイヤモンドヘッドが見える部屋に事前にアップグレードしていたので、ばあばが「ひーちゃん、ありがとね」と話になったのもよかった。射撃場で僕が撃ちまくった服を部屋着として着ていたのも、帰りの飛行機で『TED』のHなシーンを顔を隠しながら笑って見ていたのも、全部が最高だった。
ハワイに着いたら感極まったりするのかと思ったが、意外とそんなことはなかった。実際、こうして文字に起こすのもハワイのことよりその前のプロセスのほうが多い。こういうことは、目標に向かってるときが一番ピークだったりする。「道草を楽しめ。大いにな。欲しいものより大切なものが、きっとそっちに転がってる」ハンターハンターのジンが言ったこの言葉は、僕の人生そのものだ。
ハワイの絶景よりも、深夜の肉体労働、ポーカールームでの屈辱、泥だらけでチャリを漕いだあの無様な道草の中にこそ、思い出が詰まっていた。
ただ、帰りの飛行機で、「楽しかった?」と聞いたら、「幸せだった。」と返ってきて泣いてしまった。
帰国してから思い出すのは、ふとした会話だったり、寝る前のダンスだったり、日本でもできるようなことが多い。けれど、これが旅行の本質だと思う。正直、人生でトップクラスに疲れた。もうばあばに合わせて歩く必要はないし、重いスーツケースを2つ持って移動することもない。
ハワイから帰ってきた次の日、自分の歩幅で歩けることに感動すらした。でも、年に1回ぐらいはまたあの歩幅で歩きたいな。
ママお!俺はばあばをハワイに連れてったぞ!!