50代で生涯最多の勝ち星を挙げ、がんとの闘病を経た63歳で名人に挑戦――。
大山康晴十五世名人は、棋士として異例ともいえる長い全盛期を築きました。その強さは晩年になっても衰えず、68歳で谷川浩司十七世名人と戦った最後の対局でも鮮烈な一手を残します。本稿では谷川氏が、60代までトップ棋士であり続けた大山十五世名人の驚異的な足跡を振り返るとともに、自らの攻める望みを断ち切った「6七金」に込められた、相手に何もさせずに勝つ「大山将棋」の真髄を語ります。
※本稿は、谷川浩司著『名人論 稀代の天才たちはいかに戦ったか 』(PHP研究所)より、内容を一部抜粋・編集したものです。
50~60代でもタイトル戦に登場
大山康晴先生が晩年の50代、60代でもタイトル戦で活躍したことも特筆に値する。
中原誠十段から十段位を奪取したのは、50歳の時だった。その後も51~54歳にかけて棋聖位を7連覇した。さらに56~59歳まで王将位を奪取、防衛した。60歳の直前までタイトルを持っていたのだ。
なにしろ大山先生の生涯における年代別勝敗数を調べると、20代が141勝71敗、30代が293勝129敗、40代が304勝146敗、50代が404勝234敗、60代が203勝185敗となっており、50代で最多の勝数を上げている。
現在の将棋界における通算タイトル獲得期数は羽生善治九段が99期でトップ、大山先生は80期で2位だが、1962年までは将棋のタイトルは名人、九段、王将、王位の4つであり、現在の半分の数だったことを考えると、大山先生の80期は燦然と輝く記録であることは間違いない。
そして、60代になっても大山先生はトップ棋士であり続けた。1986年の第44期名人戦では誰もが予想しなかったことが起きた。
前年、がんの手術のために大山先生は1年間休場した。A級順位戦に復帰した大山先生に対する将棋界の関心は、引き続きがんとの戦いを続けていた大山先生が、まずはA級に残留できるかどうかだったように思う。
しかし、大方の予想を完全に覆し、大山先生は11人で戦ったA級順位戦を6勝4敗と勝ち越した。この年のA級順位戦は7勝以上がおらず、3人でのプレーオフとなった。そして大山先生は、プレーオフで加藤一二三九段、米長邦雄十段・棋聖に勝ち、63歳にして名人に挑戦している。結果は1勝4敗で中原誠名人に敗れるが、これは将棋界が実力制名人戦になって以来の歴史上最高齢の名人挑戦だった。その後も、南芳一棋王に0勝3敗で敗れるも、66歳11カ月で棋王位の挑戦者になっている。
最近では、2023年、羽生善治九段が52歳3カ月で王将位に挑戦し、藤井聡太王将に2勝4敗で敗退した例はあるが、50代でのタイトル戦出場は稀だ。さらに60代でのタイトル挑戦者は、大山先生以前にも以降にもいない。
真髄を見た最後の対局の「6七金」
大山将棋の真髄を見たのが、私との最後の対局で指された「6七金」だったと思っている。
1991年3月2日、第50期A級順位戦最終局。場所は東京・将棋会館だった。大山康晴先生は68歳、私は29歳で、当時は竜王、王位、王座、棋聖の4冠を持っていた。
大山先生はこの対局の四カ月ほど前、国立がんセンターに入院して手術を受け、肋骨1本と肝臓の半分を切除していた。2度目の大きな手術だった。体調が万全でないことは誰もが知っていた。それでも順位戦の終盤に復調し、高橋道雄九段、米長邦雄九段を破って、最終局まで名人挑戦の可能性を残していた。
その日の午前中だったと思う。大山先生は観戦記者の方に目をやりながら、独り言のようにつぶやいた。
「手術で肝臓を半分切って隙間が空いているから、横になると肝臓が動いて自分でもそれがわかるんですよ」
それを聞いた私は「すごい状態の人と対局するんだ」と恐ろしくなったことを覚えている。
この一局で大山先生は向かい飛車を採用された。私は居飛車穴熊に組み、固さを主張する展開になった。ところが、中盤から大山先生の指し回しが実に手厚かった。こちらが攻めの糸口を探しても、急所を外される。受けているようでいて、少しずつこちらの手段を消していく。攻め駒を攻めるだけでなく、攻めそのものが成立しにくい形に持っていく。大山将棋の特徴が、盤上にそのまま現れていた。そして終盤に現れたのが、大山先生勝勢の局面でさらに自陣の防御を手厚くする「6七金」だった。
この局面で、私はまだ何か攻めの形をつくりたいという気持ちがあった。私の竜は敵陣深く7九におり、敵玉の近くにも手がかりがある。穴熊側としては、たとえ苦しくても、どこかで駒を補充し、何とか一手違いに持っていけないかどうかを考えていた。攻め合いに持ち込めれば、穴熊の遠さが生きる可能性もある。
ところが、大山先生はそこで攻め合いに出なかった。守りを強化する6七に金を打たれたのである。実に大山先生らしい手だった。
ただ受けるだけなら、ほかにも手はあったかもしれない。しかし「6七金」は、こちらのさまざまな期待を一手で打ち砕く手だった。簡単に言えば、単に1カ所を補強しただけではなく、局面全体を「もう攻めが続かない形」に変えてしまったのである。
将棋には、相手玉に迫る派手な決め手がある。一手で詰み筋を生じさせる手、駒を切って寄せに出る手─そうした手は見た目にもわかりやすい。
しかし大山先生の「6七金」は、それとは違い、こちらの望みを絶つ手であり、相手に何もさせない手だった。大山先生側は、5筋、4筋にと金をつくっていけばよい。攻めを急がなくても勝ちになる。受けた瞬間に、勝ち方まで決まっているような一手だった。
最後の対局で、受けの深さをあらためて教えられた。攻めを受けるとは、単に守ることではない。相手の狙いを読み、その根を断ち、局面の主導権を静かに握ることである。
「6七金」は、そのことを一手で示していた。私はあの一手を、「最晩年に見せていただいた大山将棋の真髄」だと受け止めている。