『PHPビジネスレビュー松下幸之助塾』2013年7・8月号 Vol.12
【特集・哲学ある人づくり】より
<取材・構成:川上恒雄(本誌編集部)/写真:永井浩>
コミュニケーション活発
寮生活は楽しい!
閑静な住宅街が広がり、多摩美術大学のキャンパスや五島美術館のある、東京都世田谷区の上野毛。東急大井町線沿線のその落ち着いたエリアに、東京急行電鉄(以下、「東急電鉄」と表記)の「上野毛慎独寮」は建っている。大卒新入社員(大学院卒含む、総合職)が全員、1年間の生活を送る寮だ。ここ数年は毎年、40名前後の新人が入寮しているという。
こうした大卒新入社員の全寮制を採用している企業はほかにもみられ、東急電鉄に固有のことではない。しかし同社の場合、寮内にセミナールームを完備して、実際の職場での研修とも併せ、1年間びっしりと体系的な教育を実施している。同社のような大手でここまでやっている企業は珍しいのではないか。「少なくとも首都圏の鉄道会社では、当社だけだと思います」と、経営管理室人材開発部キャリア開発課の朝倉敦子課長は言う。東急電鉄の新入社員教育に対する力の入れようの大きさが伝わってくる。
さて、同社の大卒新入社員は、入寮すると、2人で共有の相部屋に住む。筆者はこのことを知って、素朴な疑問が浮かんだ。いくら同社の全寮制教育が立派だとはいえ、小さいころから1人部屋を与えられている温室育ちの若者が多い昨今、寮生活を1年間、しかも相部屋で送りたいと積極的に思っている人はどれだけいるのだろうか。
五十嵐さんの「寮は楽しい」という感想に対し、コミュニケーションの活発な女性同士だからこそ共同生活が楽しいのであって、男性の感想は異なるのではないか、とみる向きもあるだろう。そこで、2008(平成20)年入社の百瀬拓史さん(社長室広報部広報課)にきいた。
朝倉課長によると、慎独寮では年に数回「部屋替え」をする。「いろいろなキャラクターの人と腹を割った関係性をつくれるよう、意図的にシャッフルしています」とのこと。仕事というのは多くの場合、1人だけでなく、さまざまな人間関係の中で協同して進めるものだ。とくに東急電鉄の場合、他部門やグループ他社との連携が非常に重要になることから、どんなタイプの人とも仕事をやっていける社会性を、若いときから養うようにしているのだろう。
伝統の「木曜講座」
経営層との交流も
楽しい寮生活とは対照的に、寮の名前はいかにも厳格な「慎独寮」。五十嵐さんのように、寮生活の実際を知らない知人から「たいへんだね」と言われてしまうのも分かる。しかし、この寮名にはきちんとした由来がある。
慎独寮は、戦前に東急電鉄を大企業に築き上げ、五島美術館の設立も構想した、かの五島慶太の私財によって建てられた。その目的は、五島が平素から心がけていた「慎独」の理念にもとづく社員の人間修養。「慎独」とは、中国古典の『中庸』にある「君子ハ其ノ独ヲ慎ム」からきており、「他人の目がない自分一人のときでも、行いを慎み雑念が起こらないようにすること」である。つまり、自己を律することのできる人になるよう、その精神鍛錬の場として寮が設けられたのだ。この寮設立の精神は今にいたるまで受け継がれ、寮名として残っている。
☆本サイトの記事は、雑誌掲載記事の冒頭部分を抜粋したものです。