1. PHPオンライン
  2. 社会
  3. 立命館の「すごい卒業生」 1.5万人採用の大阪IRを率いるオリックス常務の経歴

社会

立命館の「すごい卒業生」 1.5万人採用の大阪IRを率いるオリックス常務の経歴

西山昭彦(立命館大学客員教授)

2026年10月19日 公開

渡辺 展希(わたなべ のぶき)
オリックス株式会社常務執行役 大阪IR事業管掌、MGM大阪株式会社代表取締役会長

大学の成功は、卒業生の活躍によって判断できる。オリックスで投資・買収業務に従事し、日本初となるIR(統合型リゾート)を通じて世界に誇る都市・大阪のさらなる飛躍に貢献する卒業生に、現在までの歩みを聞いた。

※本稿は、西山昭彦著『立命館の快進撃』(PHP研究所)を一部抜粋・編集したものです。

 

飾らない言葉で振り返る青春

渡辺さんは、大阪市内の中学、高校に通った。自分は普通の学生だった、と強調する。

「自分でいうのもなんですが、空気のような存在で、いてもいなくてもわからない、あまり目立たない人間でした。中学校では水泳部、高校はサッカー部に入りましたが、高2の夏に辞めて、中学2年生から習っていた日本拳法を継続し、大学卒業まで続けました」

大学進学のときは、どういう選択をしたのだろうか。

「産業社会学部は何でもできそうな学部だったので、勉強しやすいと思って受験しました。正直、行きたい大学・学部で、合格したのは産業社会学部だけだったので、進学しました」

通常、高校生は大学の価値のほか、都会へのあこがれなどが合わさって進路を決めていると思うが、インタビューではそれに触れず、理由を話してくれることが多い。渡辺さんはストレートに進学理由について話し、飾らない人柄がここでもう出ている。

「大学時代も、褒められたようなことはあまりしていません。アルバイトをして、稼いだお金を車や飲み代に使っていました。有志で学園祭にうどん屋を出店したことや、1人旅をしたことが良き思い出です。最後の年はタイに約3週間バックパック旅行をしました」

1つ驚いたのは、大学時代に自分の車を買ったことだ。しかも親のお金でなく、自費だ。

「大学時代に車を1回乗り換えました。車の維持コストも全部自分で賄わなければならないので、いろいろアルバイトをしました。ライブハウスのバーテンダー、家庭教師、コンビニエンスストアの店員。建設作業員やゴルフ練習場の球拾いといった屋外での仕事も経験しました」

 

就活の苦戦から掴んだ道

就職活動のときには、大学のキャリアセンターの人たちにお世話になった。

「大した志もなく、就職試験には落ち続けました。キャリアセンターの方々に『それでは駄目だ。志望動機や自己分析を突き詰めて考え、きちんとアウトプットしないと』と指導をいただきました。当時から立命館は就職支援に力を入れていたので、最大限、恩恵を受けたと思います。ありがたかったですね。当時のキャリアセンターの方々とは今でも交流があります」

最初に大手証券会社に入ったのは、OBの影響が大きかった。

「大手証券会社の立命館OBのリクルーターの方から電話がかかってきて、会いに行きました。話を聞いて『この人たちは会社の看板じゃなく、自分の力量で仕事をして成果を出している』と学生ながらに感銘を受け、こういう社会人になれたらいいな、と思いました。そこから証券会社を目指すようになり、入社しました」

最初の配属は、東京の自由が丘支店だった。そこでいわゆる支店営業を担当した。

「個人の富裕者の方々、地域の法人に対して資産運用の営業を研修期間も含めて3年ほど担当しました。営業成績はお客様や上司、先輩社員に恵まれたおかげで比較的よく、上位に入っていたと思います。思い出に残るエピソードは、担当のお客さまがある日、支店に高級車で乗り付けて、現金をドーンと私の前に置き、『好きにやっていいよ』といわれたことです。さすがに『それはできません』とお断りしました(笑)」

 

第2新卒での再出発

2001年8月、オリックスに転職した。今のような転職自由時代ではないので、何か特別な理由があったに違いない。

「証券会社で働く中で、M&A(合併・買収)や公開引受業務など投資銀行の仕事をしたいと思いました。私の入社2年目に、証券会社の投資銀行部門が分社化され、銀行との合弁会社となりました。投資銀行部門への異動希望を出していましたが、分社化されたこともあり、いつ異動希望が叶うかわからない不安がありました。

第2新卒として採用してもらえる投資銀行の仕事があれば、と思い人材紹介会社に登録しました。紹介を受けた会社の1つがオリックスでした。当時はまだ投資ビジネス黎明期で、第2新卒でも構わない、ということで採用してくれました」

入社当時、同社の投資銀行本部で同じグループに所属するメンバーは10名程度だった。今ではグループの核となる部門へと成長を続けている。

投資銀行本部プリンシパル・インベストメントという部署に所属し、オリックスの自己資金による企業買収と投資後のバリューアップ、最後には売却してイグジット(投資回収)する仕事を担当しました。今では一般的になりましたが、当時は他のPE(プライベート・エクイティ)ファンドも黎明期で、今では有名な外資系PEファンドもまだ日本に参入していませんでした」

 

「不夜城」と呼ばれたビルの激闘記

「なかなか投資実行するまでの案件に出会えなかったというのが、正直なところです。その間に日系PEファンドとの共同投資案件はありましたが、あとは検討しては見送ったり、入札に負けたり、交渉で折り合わなかったり。大きかったのは、入社4年目に手掛けた大京への出資ですね」

大京への出資にはプロジェクトメンバーとして参画し、投資後は出向して大変な仕事を担当する。

「同社の経営企画部の担当課長として出向し、グループ再編を担当しました。マンション管理会社、不動産仲介会社を株式交換で完全子会社化し、逆にリゾート開発・管理など不採算事業を売却しました。グループ全体で余分なコストもかかっていたので、外部のコンサルティングファームを起用して業務改革プロジェクトも行いました」

スポンサー企業から30歳の若造が担当課長として派遣されてきたので、プロパー社員の方々は「どれだけ仕事をやれるのか?」と見定めていたと思われる。その分、今では考えられないほど働いたという。

「今は御法度ですが、真夜中まで会社で仕事をしていました。それから近くの居酒屋で飲み、2〜3時くらいに帰宅し、8時に起きて9時半にまた出社。買収案件が入ってきたら大体そのようなかたちで、当時オリックスが入居していた世界貿易センタービルは不夜城といわれていました。

大京出向中はオフィスの電気を最後に消し、土日も会社へ行くことが多かったですね。労働時間が長く、たびたび産業医に呼ばれて『また、あなたですか』という反応をされていました。幸い、1度だけ点滴を打ったくらいで大して病気もせず、同じような生活を5年ほど続けていました」

大京への投資は成功したのだろうか。

「大京へは総額1000億円以上を投資して、完全子会社化しました。今では、オリックスグループの不動産事業部門で住宅事業を担っていて、成功した事例の1つです」

あえて、失敗案件を聞いてみた。

「明らかに失敗したのは、大手不動産会社への投資です。多額の損失を出しました。私たちが投資の契約を締結したすぐ後にリーマン・ショックが起こり当社にとっては最悪のタイミングで、その後は当然、地獄です。

不動産デベロッパーの場合、建物が完成してテナント誘致を行い、不動産としての価値を高めたうえで売却します。ところがまず、建築費が払えない。資金繰りが立ち行かなくなり、会社更生法を申し立てました。

当該の大手不動産会社には、経営企画室次長として私も出向していました。関係会社を売却して従業員のリストラ、給与の1割カットも行いました。土日はマンションのモデルルームに行き、午前中にお客さまのご案内をして午後から本社に戻り、再建計画や裁判所に提出する資料をつくる、という日々でした。

法的整理をするにも費用がかかるので、お金の確保もしなければいけない。債権者集会では、入り口で立って頭を下げながら、債権者の方々を案内、誘導していました。完全な負けはそれぐらいで、事業投資の案件全体では10勝1敗ほどでしょうか」

 

渡辺さんが率いる「MGM大阪」の全貌

渡辺さんが管掌している大阪IR(統合型リゾート)は現在、オリックス62年の歴史上最大のプロジェクトである。公表している投資額は4280億円だ。運営企業MGM大阪の代表取締役会長も兼務している。

「IR事業の立ち上げに100%、専念しています」

事業規模はとても大きいが、進捗はどうなっているのか。

「スケジュールに関しては予定通り、2030年秋の開業に向けて進んでいます。懸念は工事費の上昇と人材確保。今回のIR施設は、単一の施設として世界トップレベルの規模です。世界的に有名なシンガポールのマリナーベイ・サンズに匹敵する規模で、最終的に約1万5000人を雇用する予定です」

夢洲の土地自体は大阪市の所有で、IR整備法(特定複合観光施設区域整備法)に則って進める許認可事業は国内初の試みである。行政との協議・調整は頻繁にあるという。

「大阪府・市とも連携し協力しあっています。万博の成功後、『次はMGM大阪(大阪IR)』という機運があり、私たちも『頑張ってください』という声をいただきます」

来場予定数は、どのくらいだろう。

「初年度はやや控えめに見ており、巡航期に入る開業3年目には来場者約2000万人、海外からの来場者は3割を見込んでいます」

米国MGMが日本MGMリゾーツという合同会社を国内に設立し、アメリカとのやりとりも多いという。

「オリックスは日本の金融サービス、彼らはアメリカのゲーミングエンターテインメントの会社なので、業種の違いや考え方、文化の違いはあります。事業のスピード感、1つの事象にどれだけ細部までこだわるかを意識しながら、MGM大阪(大阪IR)の成功に向けて毎日のように話し合っています」

 

謙虚さと下積みが作る「人柄の力」

昨今は働き方改革で、かつてのような過酷な労働はできなくなっている。この点については、

「自分の若い頃のような働き方は望みませんし、自慢話のように語ることもしません。とはいえ、20代から30代前半に下積みでがむしゃらに仕事をした経験が無駄だったかといえば、やはり今に生きているところがあります。

現在は部下の報告を判断する立場で、昔、無我夢中に仕事をしたからこそ、相手の立場や気持ちがわかる部分がある。たとえば報告書や資料を見て『この部分は本当だけど、この部分はちょっとごまかしているな』とか『この数字は不自然でおかしい』とか、自分が多くの下積み経験をしたからこそわかる。彼らの仕事に対して、なるべく担当者目線でコメントをして、気づきを与えるようにしています」

部下の方に、役員としての渡辺像を聞いてみた。

「話しやすい雰囲気があります。『これを伝えると怒られるからやめよう』というブレーキがないので、いいことも悪いこともお伝えできます。常務という自覚が、よい意味でも悪い意味でも薄い(笑)。

役員クラスは移動時に車を使いますが、渡辺さんは『電車で行くからいいよ』『歩いていくから大丈夫』とか(笑)。謙虚だな、と感じます」

その点について、当人に聞いたら、
「とにかく、偉そうに振る舞えないんですよ。足を組みながら話すとか、やりたくてもできない。偉そうにしている自分が何か滑稽に思えて、『いやお前、学生時代や若手時代ダメ人間だったよな』と、自分にツッコミを入れて笑ってしまうんです。

私、スーツを2着しかもってないんです。昔から専門チェーンのスーツを着て、スーツも靴もワイシャツもポイントカードを使って買っている。上から『渡辺さんも服装を変えないと、働いている人の夢も希望もなくなるよ』といわれて反省するんですが。学生時代好きだった車も20年以上買い換えていません。社会人になって、物欲がなくなってしまいました(笑)」

激務をこなし地位も高いのに、気取らない性格で、誠実さ、質素さがあふれた方である。

著者紹介

西山昭彦(にしやま・あきひこ)

立命館大学客員教授

関連記事