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「怒らない経営」は合理性追求の必然――宅配寿司「銀のさら」成長の秘密

江見朗(ライドオン・エクスプレス社長兼CEO)

2014年03月17日 公開 2023年01月30日 更新

《『PHPビジネスレビュー松下幸之助塾』 2014年3・4月号Vol.16 [特集]人間大事の経営 より》

 

宅配寿司「銀のさら」や宅配釜めし「釜寅」を展開し、宅配寿司業界では44%のシェアを有するライドオン・エクスプレス。それ以外にもカレーやトンカツなど多くの宅配ビジネスを展開し、FCを含めた総店舗数は550店を超す。前身のサンドイッチ店を岐阜市に創業したのが1992年、数年後にやってきた倒産の危機から約20年貫いてきた経営手法はただひとつ、「怒らないこと」。「人間はみな平等だと分かっていることが、どんな経営手法を学ぶより大事」という江見朗社長の、人間大事の経営とは。
<取材構成:齋藤麻紀子/写真撮影:永井浩>

 

アメリカで目標を見失い全財産1万円で帰国

 

 実は小さいころの私は、怒るどころかチンドン屋が来るだけでおびえるほど気が小さい少年でした。スポーツも勉強もできるほうではなく、駆けっこもビリばかり。家庭教師をつけてもらったおかげで高校は進学校に進むことができましたが、優等生ばかりの環境になじめず、すぐに落ちこぼれになりました。受験勉強が幸せにつながるとも思えず、高校卒業後は進学せずアメリカに渡りました。周囲は、私をドロップアウト組と見ていたでしょう。

 若いころは、とにかく一所懸命でした。本誌の読者の方にも、若いころ何かに打ち込んだ経験のある方は多いでしょう。勉強で1番をめざす人もいれば、スポーツに精を出す人もいる。私も一所懸命な人間でしたが、当時は一所懸命になるべき矛先が分かりませんでした。勉強でもなければ、スポーツでもない。アメリカに渡ったのも、その矛先を見いだすためだったかもしれません。

 アメリカでの7年にわたる生活のなかで、「飲食店を経営する」という目標が見つかりました。日本人が経営する寿司屋で働き、刺激を受けたからです。が、実はあっさりと挫折し、ボロ雑巾のような状態で帰国しました。30歳になっていた私の全財産は、財布に入っていた1万円だけでした。

 それでも、店を持つ夢は捨てず、心の片隅にありました。帰国後、母の勧めで、懐石料理屋さんで働きましたが、仕事後に通っていたショットバーでお客さんやオーナーと話をするうちに心が前向きになり、夢が再燃しました。可能性を感じたのが、アメリカで人気だったサブマリン・サンドイッチです。細長いパンに切れ目を入れ、ハムや野菜を挟みます。形が潜水艦(サブマリン)に似ていることから、その名がつきました。サンドイッチ専門店「サブウェイ」の商品と似ていますが、当時「サブウェイ」は日本進出したばかりで私は知りませんでした。

 サブマリン・サンドイッチは、思ったようには売れませんでした。商品開発を続け、売上は徐々に上がりつつあったものの、かけたコストに見合うほどではなく、赤字は積み上がる一方。待っていてもらちがあかないと始めた移動販売は好評でしたが、持ち出しになる月は相変わらず多く、年老いた親の家を担保に入れて借金もしました。

 借金がふくらみ、にっちもさっちもいかなくなったある日、注文したハムを業者さんが届けにやってきました。そのとき、私は店の調理場で物思いにふけっていました。「もう終わりだ」とギリギリの精神状態だったせいでしょうか、ごく自然に「ありがとうございます」という言葉が出たのです。

 お恥ずかしい話ですが、当時の私にとって“感謝の心”とは、何かをしてもらったあとに発生するものでした。「ギブ・アンド・テイク」のように、「もらったら返す」もの。業者さんには「買ってあげている」という思いがあったため、「ありがとう」なんて思ったことはありません。通常は「そこに置いておいて」で終わっていたように思います。

 しかし、借金がふくらみ、背水の陣に追い込まれたときに気づいたのでした。自分には、相手の気持ちを思いやる優しさがなかった。それでも社員はついてきてくれたし、業者さんもきちんと納品してくれた。自分は彼らに対して何かできているだろうか、と。そう考えたとき、心の底から感謝の気持ちが湧き上がってきたのです。そこから、経営状態が改善し始めました。だれかから資金援助をいただいたわけでも、銀行から追加融資を受けたわけでもないのに。

 商品がサンドイッチから寿司に変わったのは、それからほどなくしてのことです。宅配寿司が関東や関西で広がっていることを知り、当時岐阜で店をしていた私は、名古屋や東京に行ってチラシを集めました。世帯数の多いマンションに行き、郵便受けの脇にあるゴミ箱から拾い集めたのです。

 集めたチラシはどれも欠点だらけで、チャンスがあると感じました。さらに私はアメリカ時代、日本人が経営する寿司屋で働いていたため、寿司を握る技術もあったのです。サンドイッチ屋の片隅で寿司をつくり、宅配するビジネスを始めました。これが、現在の宅配寿司「銀のさら」の原型です。集めたチラシの欠点を踏まえ、「美味しそう」と思えるチラシをつくったら、徐々に注文が入り始めました。

 宅配寿司を始めた直後は、私自身も宅配をしていました。その過程で、宅配ビジネスの要諦は”一瞬”にあると思うようになりました。

 あるお宅に配達したときのこと、インターホンを鳴らして、奥様がドアを開けてくださり中に入ると、奥のほうからお子さんがやってきて「わあ、お寿司だ!」と喜んでくれたのです。お母さんは笑顔で桶を受け取り、私も笑顔になりました。

 帰りがけも、バイクを運転しながらワクワクした気持ちになりました。

 「いま、ラップを外して食べているころかなあ」

 「5、6人前のものを注文したということは、おじいちゃんやおばあちゃんもいるのかな」

 一方で次の瞬間、責任の重大さにも気づきました。なぜなら、「このお寿司、美味しくない」なんてことになったら、食卓の雰囲気が一気に暗くなります。私がしている仕事は、お寿司を届けることではなく、家族の団らんを届けていることなのだと分かりました。

 それに必要なのは、一瞬の積み重ねです。たとえば店長が店で「何、やってんだ!」とどなったとします。すると店の雰囲気は悪くなり、注文の電話に出る声もぶっきらぼうになるかもしれません。配達担当者は乱れた心で運転しますから、運んでいるお寿司も乱れ、お客さまに対しても笑顔はないかもしれません。お客さまは敏感ですから、たとえつくり笑顔ができていたとしても、そこに真心がないことはすぐに分かります。

 お客さまは、電話での注文のとき、配達のとき、食べているとき……と、一瞬の積み重ねで「銀のさら」を評価します。一瞬とはいえ、気持ちが乱れたスタッフと接したお客さまは、2度と注文しないかもしれません。地元・岐阜からスタートし、名古屋、大阪、そして東京とエリアを広げた「銀のさら」ですが、”よい一瞬”をつくることが経営者や店長の役割だと思いました。それが「怒らない経営」の原点でもあります。おかげさまでFC(フランチャイズ・チェーン)店さんにもご好評をいただき、いまや宅配寿司業界では、国内シェアを44パーセント有するダントツのトップ企業に成長できました。

 

☆本サイトの記事は、雑誌掲載記事の冒頭部分を抜粋したものです。以下、「『怒らない経営』は最も儲かる経営手法」「ステージに合った立ち居ふるまいを」などの内容が続きます。記事全文につきましては、下記本誌をご覧ください。(WEB編集担当)

 

<掲載誌紹介>

2014年3・4月号 Vol.16

3・4月号の特集は「人間大事の経営」。
 松下幸之助は生前、人を何よりも大事にし、社員を育て上げていくことに全力を注いだ。「ものをつくる前に人をつくる」という考え方は、人間大事の経営をすすめた松下の特徴の一つである。また、取引先との共存共栄に腐心したのも、人間大事の一つのあらわれといえよう。
 本特集では、国籍・経営規模・業界を問わず、現代において「人間大事の経営」を追求している経営者たちそれぞれのアプローチを紹介する。
 そのほか、人気モデル押切もえさんが松下幸之助について語るインタビューは見どころ。今回から始まる新連載「家電ブラザーズ――小説・井植歳男と松下幸之助」も、ぜひお読みいただきたい。

 

 

著者紹介

江見 朗(えみ・あきら)

ライドオン・エクスプレス社長兼CEO

1960年、大阪府出身。岐阜県下一の進学校に進むが、卒業後に単身渡米。寿司職人として7年半を過ごして帰国後、1998年に創業した宅配寿司専門店(のちの「銀のさら」)を、「凡事徹底」(だれでもできることをだれもできないくらい徹底してやる)をモットーに国内シェアトップの大企業に成長させた。その原動力となった、怒りを「感情のロス」として排除する「怒らない経営」が、注目を浴びている。2013年12月東京証券取引所マザーズに上場。

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