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あさのあつこ「雫井脩介のフィギア小説『銀色の絆』には心身が震えた」

あさのあつこ(作家)

2014年12月15日 公開 2024年12月16日 更新

 

フィギアスケートの世界を舞台に親と娘の絆を描く長編小説『銀色の絆』《上》《下》

   ――『犯人に告ぐ』『クローズド・ノート』の著者・雫井脩介が新境地に挑んだ渾身の一作、待望の文庫化!

<内容紹介>

《上巻》 「あの日から、母は変わった――」
 夫の浮気が原因で離婚し、娘の小織とともに名古屋へと転居して無気力な日々を送る藤里梨津子だったが、フィギュアスケートの名コーチ・上村美濤先生に才能を見出された娘を支えることに、生きがいを感じ始める。
 「藤里小織の最大の伸びしろは、あなたにあると思ってます」とのコーチの言葉に、娘のためにすべてを懸ける決意をする梨津子。
 クラブ内の異様な慣習、元夫からの養育費の途絶、練習方針を巡るコーチとの軋轢――フィギュアスケートにのめり込む梨津子の思いに、小織は戸惑いながらも成績を上げていくのだが……。

《下巻》
 コーチの上村美濤先生が日本を離れることを知った梨律子は、小織の可能性をさらに引き出してくれる指導者を求めてクラブを移ったが、指導方針の違いに戸惑いを隠せない。
 そんな中、怪我のため、小織がトリプルジャンプも跳べなくなってしまう……。
 元夫からの養育費の支払いも再開せず、経済的に追い込まれるも、フィギュアスケートにすべてを懸ける梨津子。
 葛藤を乗り越えていく母と娘の感動のクライマックス!

 

解説 ― 大袈裟でなく心身が震えた/あさのあつこ(作家)

 心のあちこちにひっかかる物語だ。ひっかかり、波打たせる。

 これは何だろうか?

 この懐かしさは、この未知の世界は、この疼きは、この甘やかさは、この爽快感は、この喪失感はいったい何だろう。

 本を読むという行為は多くの場合、快楽を伴う。感情の深部にまで届いてくるものも、その表層を掠っただけで終わるものもある。

 人と本の関係は人と人との関わり合いと同じだ。個対個、一対一。どれほどのベストセラーであっても、向かい合ってどうにも好きになれない一冊がある。さほど話題にもならなかった新人のデビュー作が、震えるような出逢いの喜びを与えてくれることがある。

 そういう、経験を積んで、わたしは生きてきた。いや、本を読む人の全てがそんな経験をしてきたはずだ。なのに、戸惑う。

 『銀色の絆』。この作品は、そう簡単に正体を見せない。一見、単純で明快な様相と思わせながら、読み進めるうちに実に多様、多彩な姿を見せてくるのだ。心のあちこちにひっかかる。その度に、わたしはさまざまな感情をかき立てられ、小さく唸るのだ。

 フィギュアスケートの世界を舞台に、毋と娘の絆を描く。と、単行本の帯にはあった。とすれば、この一冊はスポーツ小説なのかとわたしでなくとも思うだろう(たぶん)。そして、強く興味を引かれるのではないか。

 へえ、あの雫井さんがスポーツ小説を、と。

 少なくとも、わたしは強く興味を引かれた。ひどく好奇心が疼いたと言い換えてもいい。むろん、雫井さんは『栄光一途』では柔道界の、『白銀を踏み荒らせ』ではアルペンスキー界の、それぞれの闇とそこに生きる人間の深部を描いてみせている。しかし……。

 わたしが、雫井作品にふれたのは、ご多分にもれず(?)『犯人に告ぐ』であった。おもしろかった。おもしろくて、せつなくて、普段めったに口にすることのできない最高級の和菓子を堪能したような気分になれた(和菓子好きなもので)。

 最初の一口があまりに極上であったものだから、雫井脩介という作家は犯罪と、そこに纏わってくる人間の心理、あるいは真理をえがき続ける方なのだろうと思い込んでしまった。わたしは、周りからよく「あさのは、思い込みと思い付きだけで生きてる」と言われる者だが(本人としてはおおいに異議あり)、こればかりは決してとんちんかんな一人勝手な思い込みではないはずだ。いや、でも、よくよく冷静になれば『クローズド・ノート』だって凛とした美しい恋愛小説だった。うう……『犯人に告ぐ』にあまりにはまりすぎて、周りが見えていないのか、わたし。

 そうか、雫井脩介という作家は、そう簡単にジャンル分けできるほどヤワな相手ではなかったのだ。でも、それでも(しつこい)スポーツ小説、しかも少女の世界、あの華麗なフィギュアの世界を舞台に作品を1つ生み出すなんて、雫井さんにとっても大胆な挑戦ではなかったのか。と、ここまで書いてきて思い出した。

 もう何年前になるのか。大の本好きで、優れた読み人である知り合いが「雫井脩介って、ぞっとするような女を書くよなあ」と呟いたのだ。「それも、その女がすごい美人とかじゃのうて、ごく普通なんよな。それなのに、ぞっとする」。正確ではないが、ほぼそんな内容のことを、知り合いは岡山弁で語った。

 買い物途中の立ち話だったので、そのまま別れたが、『銀色の絆』についての想いを書こうとして、その一言二言がよみがえってきた。

 ぞっとするような女。

 なるほど、確かにそうだ。

 『銀色の絆』は、スポーツ小説などではなかった。フィギュアスケートに全てをかける少女の物語でもない。だから、むろん、青春小説でもなかった。では、母と娘の関わりがテーマの底流なのかと問われれば、やはり否と答えるしかない。

 『銀色の絆』は、ぞっとする女の物語なのだ。

 スポーツも、青春も、母娘関係も全て内包している。内包しながら、浮かび上がってくるのは、一人の女の露な姿だった。

 一読、主人公とも思える娘の小織のことではない。母親の梨津子のことだ。

 冒頭で登場する梨津子は、セレブな奥さまで、しっかり者ではあるけれど世間知らずの、日々の暮らしにも世の中の出来事にもほどほどの関心しか抱かないような女性だった。個性というものをほとんど感じさせない。平凡とか普通とかという言葉が、没個性と等号で結ばれるものならば(時と場合によるだろうけれど)、梨津子に個性はなく、その言葉に重みも味もない。浮つきさえ感じる。それを一概に悪いと決めつけるのもどうかと思うけれど、小説のヒロインに納まるだけの魅力にも迫力にも乏しい。

 それが、どうだろう。

 

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