あさのあつこ「雫井脩介のフィギア小説『銀色の絆』には心身が震えた」
2014年12月15日 公開 2023年01月23日 更新
物語が進むにつれて、梨津子は徐々に変貌していく。外見ではなく、内側が変わっていくのだ。ある部分は崩れ落ち、ある部分は増殖し、おもむろにしかし確かに変化していく。その過程に嘘はない。作り物めいたところもない。実に、リアルでそのくせドラマチックだ。どんなドラマより、わくわくさせてくれる。
そうか、人はこんな風に変わっていくのか。変わっていけるのか。
そう納得できたとき、わたしは不覚にも泣きそうになった。わたしにも、娘がいる。くしくも、同じサオリという名前だ。わたしの娘にはスケートはおろか、どんな目立った才能もなかったが、それでも母と娘には違いない。
ときには寄り添い、ときには諍い、その幸せをいのり、その存在をありがたくも疎ましくも感じ合ってきた。
母と娘。その関係の中で、良くも悪くも変わっていくのは若い娘の方。そもそも、周囲の影響や経験によって、変化し成長していくのは、10代の特権だと信じていた。わたしの凝り固まった卑小な思い込みを梨津子がひっくり返してくれた。
母親だって変われるのだ。母親だから変われるのだ。それは、フィギュアスケートの技術を習得し、ついには4回転ジャンプにチャレンジしていく小織と同等の、あるいはそれ以上の変化、成長ではないだろうか。
物語の終盤、スケートから引退した小織を前にコーチの美濤先生が言う。
「私があなたを教えていて一番驚いたのはね……あなたのお母さんの成長です」
この科白とそのあとに続く美濤先生の深い言葉に出会ったとき、大袈裟でなく心身が震えた。 母親だって変われるのだ。母親だから変われるのだ。母親のままで変われるのだ。これまで、わたしたち母親は女の自立を促されてきた。子どもが独立したとき空の巣症候群に陥らないために、母親としての役目だけを背負ってしまう不幸について、女、妻、母親さまざまな顔を持っていて初めて大人の女と言える、ママでないプライベートを楽しもう等々……。母親という殼を脱ぎ捨てて初めて、手に入れられるもの、前に進めることについて、たくさんたくさん煽られてきた。それが全部間違いだとは決して言い切れない。母親であることに閉じ込められ、あるいは自分から閉じこもり苦しむ女たちは大勢いる。そういう人たちに、ひとまず母親の殼を脱げ、楽になるからと伝えることは。ときに大切だろう。
でも、そう伝えるより、この本「銀色の絆」を苦しむ人にそっと手渡す方が何倍も有効ではないだろうか
娘のためにプライドさえ捨てる。必死に生きる。それができるのは母親だけだ。母親であることで、人は変わりうるのだ。梨津子の生き方が支えになる。目を開いてくれる。全てを受け入れてくれる。己の脱皮を助けてくれる。
注意の散漫な練習をして小織とぶつかった天才スケーターの希和を、梨津子は叱りとばす。自分の娘とぶつかったからではない。気のない滑りをした選手を叱責したのだ。
「あなたが怪我してたかもしれないのよ。ちゃんと気をつけなさい!」と。
なんて素敵な人だろう。こんな風に公平に堂々と相手に向き合えるなんて……とても、真似できない。このとき、わたしは梨津子に憧れさえ覚えてしまった。
小織は才能を伸ばし切れなかった。ある意味、不完全燃焼のままスケート人生を終えた。悔いを劣等感を挫折感を抱えた小織がそれでも、私はこれからと前を向くことができたのは、梨津子がいたからだ。母親として娘を支え切った存在を知っているからだ。
とすれば、『銀色の絆』は誰より幸福な娘の物語でもあるのかもしれない。
それにしても、こんなすごい女の物語を男の身で書ききるとは……。うーん、やはり雫井脩介という書き手は、ミステリーだ。
(『銀色の絆』下巻<解説>より)
雫井脩介(しずくい・しゅうすけ)
1968年、愛知県生まれ。専修大学卒。2000年に第4回新潮ミステリー倶楽部部受賞作『栄光一途』でデビュー。2005年に『犯人に告ぐ』で第7回大藪春彦賞を受賞。
主な著書に『クローズド・ノート』『犯罪小説家』『殺気!』『ビター・ブラッド』『つばさものがたり』『検察側の罪人』『仮面同窓会』などがある。