本の未来、出版界のこれから
2015年01月14日 公開 2024年12月16日 更新
《『本の力 われら、いま何をなすべきか』より》
■グローバル化こそ出版界の成長戦略
「世界」という新たな選択肢
現在、日本の出版界は、内にも外にも様々な課題を抱えています。私たちはそれらを乗り越え、出版界のあるべき未来を切り開いていかなくてはなりません。
しかし、出版社、取次、書店の動きを見ていると、それぞれの思惑が複雑に絡み合う中で、課題に対して個別に対応しているだけのように感じます。出版に携わる誰もが“危機感”を抱いているはずですが、個々人の感覚にはまだ大きな乖離があるのかもしれません。
大局的な視点で状況を俯瞰し、出版に携わる人が一丸となって対策を考え、課題に立ち向かわなければならない――いまこそ、こうしたことが必要であるはずなのに。
グローバル企業を相手に勝負をする時、狭い視野で物事を考えていては、ありたい未来を描き出すことはできないでしょう。その意味でも、縮小しつつある国内市場に固執するのではなく、これからの日本の出版界が目指すべき先は「海外」にあると、私は考えています。
明治以降、日本が急激な近代化を果たした理由の1つは、欧米の進んだ文化を積極的に取り入れたからだ、と言われます。しかし、先人は、海外の文化を単純に真似したのではありません。それらを、繊細さや緻密さに優れる日本の文化と上手に融合し、全く新しい独自の文化を生み出したのです。翻って、巨大資本を持つグローバル企業が日本の「本」の文化を飲み込もうとしているいま、私たちは先人のように、グローバル企業の優れた点を取り込み、そこに日本出版界の強みを融合することで、新しい道も切り開いていく必要があります。
グローバル化か進む現代においては、国際社会の中で日本の存在意義を高めていくためにも、日本の文化、特にその根底をなす「本」の文化を積極的に発信していくことが大切になると感じています。たとえば、私たちが翻訳本を通じて海外の様々な文化を知ろうと思うように、海外の方々もまた、本を通じて日本文化を知りたい、学びたいと考えているはずだからです。
私は年に数回、海外出張し、取引先でもあるカリフォルニア大学バークレー校、ハーバード大学やイェール大学、スタンフォード大学など、アメリカの著名な大学を訪れることもありますが、そこでは日本文化を学ぶ学生をたくさん見かけます。紀伊國屋書店としても、こうした学生や日本文化を教える先生方に、歴史・美術・経済など、様々な分野の専門書をご提供することで、微力ながらも文化の橋渡し役を担っています。
日本はこれまで、海外の文化を「受信」することは得意としていましたが、「発信」は苦手としてきました。その大きな障壁となっているのが、独特の特徴を持つ日本文化の存在です。
日本は四方を海に囲まれた島国であり、人種的にも文化的にも同質性が高いため、以心伝心、阿吽の呼吸など、非言語的なコミュニケーションを好みます。また、和を尊ぶ文化により、自らの意思をはっきり主張することや、対立することを避ける傾向が強く、外国との交渉事も苦手としています。
さらに、日本語そのものも、簡単に理解できるほど単純ではありません。たとえば、一人称では「私」「僕」「俺」など様々な表現があり、これらは場面に応じて使い分けがなされています。色彩ひとつを表すにも、たとえば緑なら「萌葱色」「常盤色」「花緑青」など、言葉も実に多様であり、擬音語・擬態語のように、微妙なニュアンスを表現する言葉もたくさんあります。独特のコミュニケーション方法や言語の細やかさは、日本文化の大きな特長ともいえますが、これらを、英語のみならず多言語に翻訳する際の難しさが、「本」の文化を海外に発信する上で大きな障壁となっていたのです。
とはいえ、この障壁を乗り越えなければ、世界に飛び出していくことはできません。たとえば、従来はアウトソーシングしていた翻訳作業を、販売先の国の文化を考慮しながら自社の翻訳部門で行い、出版社としての翻訳力・表現力を高め、独自性を打ち出していく。あるいは、日本語で書かれた小説などは、従来、翻訳権を海外出版社に販売し、一定の利益を得た時点でビジネスが終わっていましたが、自社で翻訳を行い、その後はオンデマンドで世界に向けて配信する、もしくは、海外にある日本文化に関心の高い地域の書店で販売してもらう。
このような努力を積み重ねていくことができれば、少しずつ発信力は高まっていくと思います。
マンガを日本文化の伝道師に
海外において日本文化の代表といえば、古くはサムライ、ゲイシャ、フジヤマでした。その後は自動車やウォークマンに代表される「メイド・イン・ジャパン」製品となり、現在はマンガやアニメ、ゲーム、音楽などを中心としたホップカルチャーが高い注目を集めています。
ここ数年は、出版各社でもマンガを中心とした海外イベントを数多く行っています。たとえば、2014年7月から9月にかけて台湾で開催された「ONE PIECE」展には、25万人以上が訪れたといいます。また、2013年11月に開催された「アニメフェスティバルin シンガポール」には、3日間で延べ8万人以上が来場しています。
『ONE PIECE』を筆頭に、『進撃の巨人』『NARUTO』などの人気作は、紀伊國屋書店の海外店舗でも爆発的に売れています。ただ、少々残念なことは、海外での販売価格が割高であることです。
日本では定価400円のところ、英語版は900~1000円程度で販売されています。これは、一例ですが、出版社がアメリカに設立した会社が現地で翻訳・印刷・製本し、そこから各国に配本しているからです。そのため、どうしても流通コストがかさんでしまい、販売価格が高く、タイムラグも生じてしまうのです。
世界中でニーズがあることが分かっているのですから、たとえば映画の配給と同じように、「世界同時発売」を実現するべきだと私は思います。印刷会社も物流会社も、いまや世界のどこからでも手配することができます。できないことはないはずです。マーケティングについても、グローバル視点で戦略的に工夫すれば、数千万冊という世界規模での大ヒットも夢ではないと思います。
いまや、マンガは世界に誇るべき日本の文化です。マンガという“伝道師”を通して、日本の文化を発信し、そこで上げた利益を日本の出版文化の底上げに活かすというのも、1つの有効な策ではないでしょうか。
日本の素晴らしい文化を見つめ直す
もう1つ、海外の出版事情を知る者としてお伝えしたいのは、出版社は自らが保有するコンテンツに自信を持ち、積極的に世界へ飛び出してほしい、ということです。いま一度、皆さんが培ってきた文化、育ててきた文化の素晴らしさを見つめ直してほしいのです。「自分の魅力は、自分ではなかなか分からない」とよく言われますが、日本の文化は私たちが思っている以上に、海外で高く評価されています。
たとえば、アメリカやフランス、ドイツなどで開催される日本文化を紹介するイベントでは、ポップカルチャーだけでなく、料理や音楽、文学、自然、神社仏閣、伝統工芸など、多様な形で日本文化が紹介されており、いずれのイベントも多くの来場者を集めています。
こうしたことから分かるのは、日本と親交の深い国は、すでに日本文化を受け入れる土壌を持っている、ということです。そうした国で日本の「本」を出版することは、それほど難しいことではないと思うのです。
「本」ということでは、ノーベル文学賞を受賞した川端康成をはじめ、夏目漱石や芥川龍之介、三島由紀夫など、日本人独特の感性が世界でも広く通用し、受け入れられることは以前から証明されています。
たとえば、村上春樹の『1Q84』などは、日本国だけでも400万冊近いヒットを飛ばしましたが、世界的なベストセラーになれば、1000万冊を超えるかもしれません。実際に、紀伊國屋書店の海外店舗における日本語翻訳書のベストテンでも、村上春樹の作品は軒並み上位を占めています。現代作家では、東野圭吾や、桐野夏生も非常に売れています。それだけでなく、『源氏物語』に関連する本も人気が高いと言えば、皆さんは少々驚かれるかもしれません。
こうしたことと同じことは文学以外、ビジネスや医療、人文科学・社会科学・自然科学といった多様な分野でも、実現可能だと思います。独自の特徴を持つ日本文化を理解する上では、四季に根ざした気候風土、社会構造の歴史的な変遷など、文化の背景を知ることが大切です。こうしたものは、海外の方々にも非常に興味深く読んでいただけるのではないでしょうか。
ビジネス書では、たとえば、近江商人の心得として有名な「三方良し」(売り手良し、買い手良し、世間良し)は、企業の社会的責任や環境配慮が重視される現代において、世界中の企業にとって参考となる概念と言えるでしょう。また、高機能・高品質のモノづくりを支えてきた「トヨタ生産方式」に代表されるマネジメント技法も、世界に発信する価値があるでしょう。
さらに、日本は優れた経営者も数多く輩出しています。日本資本主義の父と呼ばれる渋沢栄一氏をはじめ、松下幸之助氏、本田宗一郎氏など、枚挙にいとまがありません。昨今、日本では主にアメリカから入ってきた新たなビジネス手法や概念が注目を集めていますが、発展途上にある国々では、明治維新や戦後といった激動の時代を生きた経営者の言葉や考え方が大きな参考となるはずです。
実際に、中国で行われた稲盛和夫氏の講演には、数万人もの聴講者が詰めかけたといいます。日本の名経営者が発した数々の言葉は、いずれもビジネスの真髄を鋭く突いたものであり、それは世界に発信するだけの普遍的価値を持っていると思います。
(たかい・まさし)
〔株〕紀伊國屋書店代表取締役社長
1947年、東京都生まれ。成蹊大学法学部卒業。1971年、株式会社紀伊國屋書店入社。各地の営業所長などを経て、1993年収締役、1999年常務、2004年専務、2008年代表取締役社長就任。社外役員として財団法人出版文化産業振興財団常務理事、財団法人図書館振興財団理事、束京都書店商業組合特任理事なども務める。