著書『ビッグチャンス』(PHP研究所)で、新しい「和魂洋才」の精神によって創造的な経営を再構築していけば日本企業は再び世界の覇者になれると指摘した冨山和彦氏。そのための具体的なアプローチとして冨山氏が指摘しているのは、グローバル時代でも通用するエリート層の育成だ。その場合、真のエリートたるにふさわしい人間力とは、いったいどのような資質を言うのであろう。
さまざまな企業における組織と人材のマッチングを検討し、その成否を見極めてきた冨山氏だからこそ明快に説く、「人間力」養成のヒントとは――。(写真撮影:長谷川博一/取材・構成:加賀谷貢樹)
※本稿は『PHP松下幸之助塾(2015年1・2月号Vol.21)』掲載されたものを抜粋・編集したものです。
見過ごされがちな政治力
企業のリーダーや組織経営者に求められる人間力とは何かを考えると、1つは企業体や組織を正しい方向に導いていく判断能力や状況分析力、合理的な思考能力、将来を見通す洞察力などが挙げられる。これらは一般によく言われるような、リーダーに求められる能力だが、ここでわりと欠けがちな議論が、そもそも組織の構成員たちはリーダーについてこないものだということだ。
リーダーがリーダーとして存在するには、何らかの権力的な基盤があり、自分が力を持っていることを皆が認めてくれることが不可欠である。そのため、リーダーが組織を引っ張っていこうとするときに、自分を権力者たらしめている背景とのあいだに軋轢が生じることが少なくない。とくにリーダーが大事な仕事をしなければならないときほど、変化に抵抗する性質である慣性を持つ、従来のやり方や方向性を変えなければいけない。
リーダーがそれを変えようとすると、会社の幹部や従業員、あるいはOBの思いや期待とは違うことをやることになる。その結果、自分の権力の座が危うくなり、それで失敗することもありうる。こういう危機を乗り切るための人間力として、矛盾したことに折り合いをつけながら組織をマネージする政治力が必要になるが、この部分が意外と語られていない。
そもそも、全社的視点から合理的に見て正しいと思われることが、実は組織の構成員にとって必ずしも喜ばしいものではないことは多々ある。したがって、組織のリーダーにとって、抵抗がないほうがおかしい。組織の全構成員が賞賛するような改革は、絶対にありえない。つまり、改革を試みて抵抗がなかったということは、本質的には何もやっていないことと同じなのだ。
実際に組織の改革を進めると、多くの人に不都合なことが起き、その中で改革についてこれそうな人と、ついてこれなさそうな人が出てくる。改革の舵を切るスピードが速いほど、ついてこられる人の数も減るから、そんなときでもついてこられる人を味方にしておかなければ、自分の権力基盤は危うくなってしまう。
そこでリーダーが「人間オンチ」では足元をすくわれてしまう。だから、よく考えて、説得できる人とできない人を選別していくしかない。
また状況によって幹部や従業員の立場は変化する。したがって、「この人は自分の味方についたな」「この人はまだだな」「この人は最後まで抵抗するな」ということを常に計算しながら、票読みをしていく必要がある。
その一方で、改革によって、あとには戻れない不可逆的な変化が起きるとすれば、先の長い若い世代の人たちほど、それに適応しようとするものだ。だから一般論で言えば、若い世代を味方につけたほうが、リーダーの権力基盤は揺らぎにくくなると言える。
経験則にとらわれず事実を直視せよ
結論から言えば、組織のリーダーに必要な人間力とは、合理的に物事を考え判断する能力と、現状の組織を動かしていく政治力の2つである。
前者は、事実を認識し分析する能力で、ビジネススクールで教えられているものと大差はない。おそらくここで唯一むずかしいのは、私たちが「フィルター」をはずしてものを見ることがなかなかできないということだ。
だれもが、長年培ってきた経験則や成功体験という色眼鏡をかけているので、それをどこまではずし、白地でファクトを見つめられるかが、組織のリーダーにとって最大のチャレンジである。人間は「自分の見たい現実」を見たがる動物だから、自分がこれまで手がけてきた事業をはじめ、立場も含めてすべてを忘れて、ありのままに現実を見ることは非常にむずかしい。経験「則」という以上、自分自身の経験を規範化しているので、その色眼鏡をはずしてファクトを静観するのはむずかしく、強い意志が必要である。
もちろん、自分の見識に自信を持つのはいい。しかし、ファクトは見識とは異なる。要は、雨が降っているときには、雨が降っているという現実を前提にして物事を考えること。雨が降っているのに「今は晴れているはずだ」とがんばってもムダなのである。
でも実は、意外とそこでつまずくことが多いのだ。たとえば「顧客第一主義」という考え方自体は正しい。だが、「値段を安くしてほしい」という要求を含めて、何でもかんでもお客様の言うとおりにやっていたら、会社はつぶれてしまう。
逆に言えば、どんなお客様にも対応できるというのは、ある意味で驕りであり、自分を冷静に見つめる目を失っていると言っても過言ではない。ところが、そうした規範的な判断をはずして、ありのままの自分や、ありのままの市場、ありのままの競争相手を見つめ、理解することが案外できないものなのである。
ファクトを冷静に認識したうえで、そこから何が言えるのか、すなわち「SOWHAT?」(だから何?)を抽出するフレームワークや戦略論は世の中に数多く存在する。でも、フレームワークの前提となる事実認識にバイアスがかかっていたら、「5フォース分析」や「SWOT分析」も役に立たない。
その意味で、企業体に関わるファクトをもっとも客観的に、一義的に認識する手段は簿記会計である。たとえば会社に元気があるかないか、現場のモチベーションが高いか低いかといった計測できない事柄は、人によって見解が変わるので、松下幸之助さんのようなすぐれた経営者は経理を大事にしたのである。世の中におけるファクトを最終的に把握する手段は数字であるのと同様に、会社におけるファクトをもっとも客観化できるのは会計経理。したがって、リーダーは簿記会計に強くなければいけない。