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真実のウォーレン・バフェット<Part 1>その奇跡はオマハから始まった

短期集中連載/翻訳・執筆:島田亮司

2015年03月03日 公開 2024年12月16日 更新

《隔月刊誌『PHP松下幸之助塾』2015年3・4月号Vol.22 より》

 

株式投資や会社経営で成功を収め、現在も現役で米国財界を牽引〈けんいん〉するウォーレン・バフェット。その奇跡的な成功の陰にあった、知られざる物語とは。全4回のシリーズでバフェットの素顔に迫る。

本シリーズはブルームバーグ(米国金融情報サービス会社)で2012年5月3日に初放送されたインタビュー映像Warren Buffett Revealed: Bloomberg Game Changersの音声を翻訳し、加筆、編集して作成した<翻訳・執筆:島田亮司/写真提供:Bloomberg>

 

 米経済誌『フォーブス』が毎年公表している米国長者番付の2014年版で、ウォーレン・バフェットは前年に引き続き2位をキープした。その資産額はおよそ670億ドル。トップはマイクロソフト創業者のビル・ゲイツで、資産額はおよそ810億ドルに上る。

 実は、この両雄は長年の友人で、2006年にバフェットがゲイツの運営する世界最大の慈善基金団体「ビル&メリンダ・ゲイツ財団」に資産の約8割を寄付することを表明し、世間の耳目を集めた。さらに2010年には自分が生きているあいだ、または死亡時に資産の99パーセント以上を慈善活動に寄付することを誓約、ゲイツとともに他のスーパーリッチ(超富裕層)にも積極的に寄付するよう呼びかけている。

 しかし、2人の富豪には決定的な違いがある。59歳のゲイツはすでに経営の一線から退いたが、84歳のバフェットは今でもCEOとして経営の指揮を執る。

 80歳を超えて今なお経営の第一線で奮闘するバフェットを動かすものは何か。本人や関係者のインタビューをもとにウォーレン・バフェットの素顔に迫る。

<主な登場人物>
ウォーレン・バフェット 
スージー・バフェット(バフェットの長女) 
ビル・ゲイツ(マイクロソフト創業者) 
アリス・シュローダー(バフェット公認の自伝『The Snowball』の著者) 
ロジャー・ローウェンスタイン(ジャーナリストでベストセラー『Buffett: The Making of an American Capitalist』の著者) 
チャールズ・ピーターソン(大学のルームメイト)

 

大金持ちになるという確信

 1929年、ニューヨーク証券取引所での株の大暴落をきっかけに、世界大恐慌が始まった。その翌年の8月、ウォーレン・バフェットは米国ネブラスカ州東部にある同州最大の都市オマハで産声を上げる。

 そんな歴史に残る国内外の経済不況の真っただ中で幼少期を過ごしたバフェットは、今や「オマハの神使」、また「ネブラスカの賢人」と崇められるようになった。しかし彼は小さいときすでに、将来そうなることに薄々気づいていたのかもしれない。

 「私は10歳のとき、自分が長生きすることができれば、大金持ちになると確信していました」

 その予想は見事に的中し、70年後、彼は世界で有数のリッチで偉大な男となっていた。それも、ロックスターのようなオーラをまとった巨商となったのである。

 はたして、バフェットに巨万の富をもたらしたものとは何だったのだろうか。バフェットの長女スージーによると、それは信念以外にないという。バフェットはだれよりも確固とした信念と明確な目的を持っていた。常にベストを尽くす人でありたいと強く願い、努力を惜しまなかったのである。そのベストを尽くしたものが、たまたまお金を稼ぐことであったにすぎない。

 「ウォーレンはとても若々しくエネルギッシュで、今起こっていることに、すさまじいほどの関心を持っている」

 そう評するのは、バフェットと同じく巨万の富を手に入れたビル・ゲイツである。彼は自分より2回り以上も年上ながら矍鑠〈かくしゃく〉として事業に邁進するバフェットに敬意を表しており、その姿勢から多くのことを学ばされると語っている。

 

数字に夢中になる

 一方、ウォール街の元アナリストで、バフェット伝『The Snowball』(邦訳『スノーボール』日本経済新聞出版社)を著したアリス・シュローダーは、バフェットが生まれ育った時代と土地に着目する。シュローダーによれば、バフェットは「オマハの特産物」のような人物であるという。オマハでは謙遜、倹約、正直な言動が美徳とされ、バフェットが育った時代は特にその傾向が強い。バフェットはそれを地で行く人だったのだ。

 実際、バフェットは青年期の一時期を除いて、生まれてからずっとオマハに住み続けており、この地を仕事と暮らしの拠点とした。まさにこのオマハでバフェットは金融に目覚め、その飽くなき挑戦が始まったのである。

 「私は、ハッと気づいたのです。ちょうど子どもが急にピアノに興味を持ったときとか、何かに取りつかれるようにあることに夢中になるのに似ています。私は常に数字が好きでした。そして将来死ぬまで株に興味を持ち続けるだろうと思いました。まだ8歳か9歳ぐらいのときです。そのころにはすべての銘柄の株価を追いかけていました。叔母が『世界年鑑』をくれたときには、都市のサイズにかかわらず、すべての都市の人口を暗記しました。とにかく数字が好きだったのです。ビジネスに関係なくてもです」

 バフェットは単に数字を覚えるのが得意なだけでなく、ある数字が全体の中でどのような働きをしているのか的確に把握する特異な能力を持っていた。これはのちのサクセスストーリーの根幹ともいうべき重要な才能だった。

☆本サイトの記事は、雑誌掲載記事の冒頭部分を抜粋したものです。

 

<掲載誌紹介>

PHP松下幸之助塾
2015年3・4月号Vol.22

特集「一流の決断とは」では、5人の方に登場いただきます。
特にシドニー五輪金メダリストの高橋尚子氏には小出義雄監督の門を叩いた決断と独立した決断、大きな試合で勝つための決断、 引退後の人生を支える決断などを、千本倖生氏にはイー・アクセスや第二電電などの創業や経営における決断を、 パナソニック客員の土方宥二氏にはみずからが運営に携わった「熱海会談」における松下幸之助の決断の姿を、それぞれ語っていただいています。
また、今号から短期集中連載「真実のウォーレン・バフェット」が始まります。ぜひご一読ください。

 

 

 

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