「ウソの経済常識」を信じ込んでいませんか?
2016年01月21日 公開 2024年12月16日 更新
PHP新書『戦後経済史は嘘ばかり』より
日本の未来を読み解く正しい視点
日本は第2次世界大戦で敗戦したあとの厳しい状況から雄々しく立ち上がり、世界から「奇跡」と称された高度経済成長を成し遂げて、現在の経済大国の地位を築き上げました。
一方、平成に入るとバブルの崩壊から「失われた20年」といわれるほどのデフレ不況に落ち込んでしまいました。
なぜ日本は高度成長に成功したのでしょうか。そして、どうして「失われた20年」という失敗をしてしまったのでしょうか。
当たり前のことですが、実は、その要因をきちんと理解していなければ、これから先の経済を見通すことも、正しい道を選ぶこともできません。
しかし、現在の日本では、そのような戦後から平成に至る経済の歩みについての「間違った経済常識」や「単なる思い込み」が、驚くほど広範に流布しています。
みなさんは、次のようなことを信じていないでしょうか。
(1)高度成長は通産省の指導のおかげ
(2)1ドル=360円時代は為替に介入していない
(3)狂乱物価の原因は石油ショックだった
(4)「プラザ合意」以降、アメリカの圧力で政府が円高誘導するようになった
(5)バブル期はものすごいインフレ状態だった
これらはいずれも間違いです。詳細については、この度、PHP新書から刊行された『戦後経済史は噓ばかり』で述べていますが、ここでは簡単に触れておきます。
「高度成長は通産省の指導のおかげ」というウソ
日本の戦後の高度経済成長は、通商産業省(通産省→現在の経済産業省〈経産省〉)が適切な産業政策を行ったからだ、と信じている人が多くいます。「通産省が日本株式会社の司令塔だ」という声もありますし、城山三郎の小説『官僚たちの夏』は、そんな英雄的な官僚像を高らかにうたいあげました。
しかし、これはあくまで「伝説」にすぎません。実際には、産業政策が効果を上げたことなどほとんどなく、通産省の業界指導は役に立たなかったのです。むしろ、通産省に逆らって四輪車に参入した本田技研工業のような企業が戦後日本の発展を支えてきました。ホンダも含めて、戦後の日本産業を引っ張ったとされるトヨタ、パナソニック(松下電器産業)、ソニーなどが通産省の指導で伸びたと思っている人は、いないのではないでしょうか。
高度成長を支えたのは主に為替要因です。1ドル=360円の圧倒的に有利な為替レートが輸出産業と高度成長を支えました。
「1ドル=360円時代は為替に介入していない」というウソ
現在、為替は変動相場制になっていますが、昔は1ドル=360円の固定相場制でした。
誤解している人が多いのですが、固定相場制とは、放っておいても為替レートが維持される制度ではありません。どんなに世界中が「1ドル=360円」だと認めていて、日本政府が「その相場で固定する」と宣言したところで、自動的に為替が「1ドル=360円」になるわけではないのです。
では、どうしていたか。
実は、1ドルが360円から前後しそうになったときには、日本政府が猛烈に為替介入をしていたのです。決められた為替レートを維持するために介入し続けるのが固定相場制です。多くの場合、円高に振れないようにドル買い介入が行われました。
そして、そのために円を刷る必要があり、その結果として、日本国内はインフレ基調になっていたのです。