ミュオグラフィとは――歴史の謎を解き明かす透視技術
2016年02月16日 公開 2024年12月16日 更新
PHP新書『歴史の謎は透視技術「ミュオグラフィ」で解ける』より
ミュオグラフィとピラミッドとの出会い
ミュオグラフィについてご存じの方は少ないであろう。しかし我々が毎年健康診断の際にお世話になるあのレントゲンと原理は同じであると言えば、ミュオグラフィに対するイメージは取っつき易いものとなり、容易に理解できるものとなるかもしれない。親近感さえ湧く人も出てくるであろう。ただし、ミュオグラフィは人工の放射線を用いるX線レントゲン写真撮影とは異なり、46億年前の地球誕生時から変わらず降り注いでいる素粒子を利用する。
X線レントゲン写真は、X線の透過力がおおよそ人体のサイズ程度であることを利用している。つまり、X線を人体に照射するとあるものは通り抜け、またあるものは透過できない。通り抜けられるか抜けられないかは、X線のエネルギーと通過する物質(密度)の違いによっている。例えば、骨は周囲に比べて密度が高いためX線の透過量が少なくなる。そのためX線フィルムにはX線が多く透過してきたところとあまり透過してこなかったところに応じて濃淡が写るのだ。
1895年にX線を発見したドイツの物理学者ヴィルヘルム・レントゲンは、発見後すぐに夫人の手を透かし撮ってX線写真撮影技術(X線フォトグラフィ)を実証することで世界を震撼させた。その後X線フォトグラフィは瞬く間に世界に広まり、今日では誰もが知っているように医学診断で常識的に使われるまでになっている。
1967年、ある人物が1つの大きな謎を解くためにエジプトに向かった。彼の名はルイ・ウォルター・アルヴァレ、ノーベル物理学賞(1968年)の受賞者である。この物理学者の前に立ちはだかったのは、人間が造り上げたとはとうてい思えないほど巨大な石造建造物であった。古来「世界の7不思議」に欠かせないその建造物こそ、古代エジプト文明の象徴ともいえるピラミッドであったのである。そしてアルヴァレが挑んだのが、エジプトのギザ台地に聳え立つ、3大ピラミッドの真ん中のカフラー王のピラミッドであった。カフラー王の生きた時代である古代エジプトの古王国時代第四王朝は、「ピラミッド時代」という異名を持ち、エジプトで100基ほど建造されたピラミッドのうち巨大なもののほとんどはこの時期に年代づけられている。カフラー王のものは、ピラミッドの最盛期に建造された最大のピラミッドの1つであった。紀元前5世紀の歴史家ヘロドトスが述べているように、クフ王のピラミッドより12メートルほど低かったが、クフ王のピラミッドに次ぐ第2の規模であった(現在はクフ王のピラミッドの頂上部が崩壊しており、カフラー王のピラミッドの方が高くなっている)。これがピラミッドとミュオグラフィとのファースト・コンタクトとなったのである。
アルヴァレの武器はミュオグラフィであった。ミュオグラフィは上空から降り注ぐ素粒子ミュオンを利用することにより、非破壊で建造物の内部を透視できるという、当時開発されたばかりの新しい技術であった(ミュオグラフィの元となる理論自体は、生れてから70年以上になる)。そのミュオグラフィを用いて、彼は巨大なカフラー王のピラミッド内部に未発見の秘密の部屋を発見することを目指したのだ。
アルヴァレはクフ王のピラミッドとカフラー王のピラミッドの内部構造(当時わかっていた限りの)を比較し、前者に比べて後者が極端に簡素であることに注目した。そして必ず未知の空間がピラミッド内部に存在すると考えたのである。
なぜ彼はミュオグラフィを使用したのであろうか。慣れ親しんだレントゲン=X線では駄目であったのであろうか。何かを透視しようと思えば、第一の候補として思い浮かぶのはX線であるはずだ。しかしながら、X線ではピラミッドに対処できなかったのだ。X線が人体の透視撮影に使用できるのは、X線の透過力が人体の大きさと密度に適しているからに他ならない。
対象が大きすぎてX線がまったく通り抜けられないと、フィルムには何も写らないのである。つまり、X線ではピラミッドの透視を行なうことができないということになる。
それではX線の代わりに何を使えばよいのであろうか。答えは素粒子ミュオンである。ミュオンの透過力はピラミッドのサイズにちょうど合うのだ。もしX線フォトグラフィと同じようにミュオンフィルム(ミュオン検出器と呼ばれる)をピラミッドの下に設置できれば、ミュオンが透過できる、できないに応じてピラミッドの内部構造の様子が写るはずである(この技術をミュオン撮影技術、すなわちミュオグラフィと呼ぶ)。ゆえにアルヴァレはX線ではなくミュオグラフィを使用したのである。
もう少しだけミュオグラフィについて説明させてほしい。X線がフォトグラフィでミュオンがミュオグラフィである理由を知ればさらに理解が深まるかもしれない。まずX線と可視光とは、波長は異なるが実は同じ光の仲間であるということを知っておかねばならない。正確にはどちらも電磁波(フォトン)と呼ばれているものである。両用語に共通する「グラフィ」は、ギリシア語の「描く」を意味する言葉に由来する。
中学校で習ったグラフを思い出していただきたい。グラフとは簡単に言うと「一見わかりにくい数字のデータを紙の表面に図示することにより、一目でその傾向がわかるようにしたもの」である。つまり、フォトグラフィはフォトンを使って紙の上に物体を描き出すことを意味しているのだ。我々がよく知っている日本語では「写真」のことだ。一方のミュオンは光の仲間ではない。そのため、ミュオンフォトグラフィとはならず、フォトンの代わりにミュオンを使う撮影術はミュオグラフィと呼ばれているのだ。
ミュオンは100万分の2秒で崩壊してしまう非常に不安定な粒子であるにもかかわらず、重さは電子の200倍もあり、X線と比較すると桁違いに高い透過力を持っている。この、我々の眼では決して見ることが叶わない極めて小さな物体は、1000万年かけて銀河を旅してきた陽子という素粒子が、地球の大気と反応してできるものである。そのため、常に地表に雨あられのごとく降り注いでいるにもかかわらず、我々がその存在に気づくことはないのだ。たとえ皮膚に衝突したとしても通り抜けてしまい何も感じない。一晩寝ている間に、実に100万個のミュオンが私たちの身体を通り抜けているにもかかわらずである。
アルヴァレの試みは当時世界的な注目を浴びた。しかし結果は期待したほどではなかった。数か月に及んだ測定の結果、カフラー王のピラミッド内部に2メートル以上の大きさの空間が存在することを確認することはできなかったのである。もしアルヴァレの調査によりピラミッド内部に新たな空間が発見されていたら、ピラミッドを研究対象としていた他分野の研究者、たとえばエジプト学者・考古学者・歴史学者が研究に使用できるようなツールに進歩していたかもしれない。しかしながら、彼による調査は中東戦争の影響もあり、以降エジプトにおいて継続されることはなかったのである。ミュオグラフィが世界遺産に指定されているような謎多き巨大石造建造物などの文化財に対して活躍するには、まだ時間を要したのだ。
ミュオグラフィの技術的発展はいったん小康状態に入ったが、90年代に入り火山を対象に研究が再開され、2006年、我が国が、世界に先駆けて火山の透視に成功した。この成果は物理学の世界の枠組みを越えて、瞬く間に世界中に広がることとなった。そのとき以降、ミュオグラフィはそれ自体が他分野との融合を求めはじめたのだ。そのような世界的潮流のなか、ミュオグラフィは文化財保全にも活用されはじめていることが報告されている。例えば、世界遺産の組積造建造物(石、レンガ、コンクリートなどを積み重ねて造られた建造物)の耐震構造モデリングである。ミュオグラフィはこれまで別々の道を歩んできた物理学と歴史学とを繋ぐキーファクターになるかもしれない。そしてそれは新たな文理融合に発展する可能性を秘めている。