ミュオグラフィとは――歴史の謎を解き明かす透視技術
2016年02月16日 公開 2024年12月16日 更新
最新科学と歴史学・考古学―なぜミュオグラフィなのか?
人体を透視することの多いレントゲンを知っている我々には理解しやすいのだが、火山内部は人体にたとえることができる。つまり骨や肉に相当するマグマやマグマ流路が、火山という身体のなかに存在していると考えるのである。もし
火山の麓に観測装置を置くことができれば、火山の内部構造に応じた濃淡が現れるはずなのである。そして2006年、ついに浅間山山頂部の透視画像が、ミュオグラフィによって世界で初めて得られた(Tanaka et al., 2009)。浅間山の火口の底で冷えて固まってしまったマグマ部分は、その周囲よりも密度が高いことがわかったのである。
さらにその下にマグマ流路の上端と考えられる密度の低い部分がイメージング(図像化)された。つまり、浅間山のマグマ流路が固まったマグマによってふさがれた状態がミュオンの濃淡という形で可視化されたことになる。
その際に使われたのが、原子核写真乾板と呼ばれる特殊なミュオン記録フィルムである。
通常の写真撮影の場合の、写真フィルムに相当するものである。原子核写真乾板はミュオンの飛跡を焼き付けることができる写真乾板(フィルム)なので、撮影対象に向けて露光(露ミュオンとでも呼ぶべきだろうが)しておけば、写真は撮れる。ただし、ミュオンの数は薄暗いところにある光子の数よりもはるかに少ないので、非常に長時間露光させておかなければいけない。2006年の浅間山の観測時の露光時間はおよそ2か月であった。
このことは今までよくわからなかった火山噴火のメカニズムを明らかにする可能性を大いに持っている。たとえば流路を上がってきたマグマは、ビール瓶の蓋を開けたときのように泡立つが、その際流路をふさぐマグマはビール瓶の蓋の役割を果たすのか否かがわかるのである。そして2008年からミュオグラフィを用いて浅間山の継続観測を行ない、ついにその様子を捉えることに成功したのだ。原子核写真乾板を用いる観測の場合、十分な時間ミュオンの飛跡を乾板に焼き付けた後、暗室に持ち帰って現像しなければいけない。つまり、露光期間の平均的な画像が撮影されるということである(このようなタイプの検出器を積分型検出器と呼ぶ)。
一方、この時期、ミュオン飛跡の実時間読み出し技術が開発され、この技術と、ミュオンが通ると光を発するシンチレーション検出器(詳しくは第六章参照)との組み合わせでフィルムを持ち帰って現像することなく、実時間でミュオグラフィデータを遠方へ転送することができるようになった。当時、浅間山では流路が蓋をされており、はじけた泡が逃れる場所がなかった。ミュオグラフィはこの流路の蓋が吹き飛ぶ前後を捉えた(Tanaka et al., 2009)。
これこそが2009年2月2日に起った浅間山の噴火であったのだ。同日の様子を毎日新聞と朝日新聞は次のように伝えている。
「気象庁は2日、浅間山(群馬・長野県境、標高2568メートル)で午前1時51 分ごろに小規模な噴火が発生したと発表した。08年8月のごく小規模な噴火以来、半年ぶり。噴煙の高さは火口上約2000メートルに達し、噴石が火口の北約1キロまで飛んだ。降灰は関東南部にも及んだが、農作物などの被害は確認されていない。東京都心でも04年9月以来の降灰が確認された。」(2月2日毎日新聞夕刊)
「長野、群馬県境の浅間山(2568メートル)の2日の噴火で噴出した火山灰の量が10万トン規模だったことが産業技術総合研究所などの調査でわかった。04年9月の噴火と同程度だったという。埼玉県秩父市では1平方メートルあたり40グラム、東京都国立市では10グラム程度積もった。火山灰が降った地域は火口から南東方向に細長く広がっており、房総半島の南部まで達していた。」(2月6日朝日新聞朝刊)
浅間山の噴火の直前と直後のミュオグラフィ画像を比較することにより、火口底に溜まったマグマの北側部分が欠損していることがわかったのである。そしてその後の調査で、噴火の際に飛び出した噴出物(火山灰・火山弾)の性質が火口の底に溜まっていたマグマと同一であることがわかった。このことは噴火でマグマが流路の蓋を吹き飛ばしたことを意味している。この成果は世界中を駆け抜け、ミュオグラフィは瞬く間に世界中に広まって行ったのである。
今後、それらの考察から、地震や火山噴火現象の理解、またこれにともなう災害への対応策を検討するための重要な情報が得られるだろう。もしミュオグラフィを歴史学的に重要な巨大構造物内部のイメージングに応用できれば、それは歴史学という古代より伝わる伝統的アカデミズムに新たなる扉を開ける鍵の1つとなるはずだ。