なぜマインドフルネスは悩みや苦しみを解決できるのか
2017年07月04日 公開 2022年03月04日 更新
呼吸を意識する―代表的な瞑想法
菱田 仏教の八正道の一つに「しっかりと気づきましょう」(正念)というのがあるのですが、それがいわゆる「マインドフルネス」のベースになっているものですよね。
牧野 そうですね。
菱田 苦をつぶすことをしっかりとやるために、知識や方法論を提示しているのが八正道で、そのやり方の一つが「マインドフルネス」のベースとなっている瞑想方法です。代表的なものに「呼吸」を意識する方法がありますが、それは「今ここに集中」するための手段なんです。私は修行が足りないので、「今ここにいて気づきなさいよ」という話をしながらも、「今晩何を食べようかな」などといろいろと考えてしまいます。
牧野 気が散じる、つまり、心の中のおしゃべりに付き合ってしまっているんですね。
菱田 その夕食へと流れた思考を止め、呼吸に集中することで、「今の呼吸」に戻す。たとえば、「お腹が膨らんだ」「お腹がへっこんだ」と意識して腹式呼吸をしながら、今の呼吸」に意識を戻すことが大切なんですよね。
最初は私もすぐに思考が、ふらふらふらふらと「今の呼吸」とは違う方向に流れていきました。こんなことして意味があるのかなとも思っていました。しかし、しばらく経って、だんだん戻れるようになると、たとえば怒った瞬間(怒ったという認識を入れた瞬間)に、その先に進んではダメだということができるようになるわけです。そうすると一瞬は怒るんですが、怒りが続かなくなりましたね。
牧野 すばらしい!
菱田 あと、思考が流れることを止めているうちに、集中力も鍛えられますね。また、怒りだけでなく、いろいろな妄想を自分で価値判断する前に今の自分に戻ってくるというのを続けるわけですから、「物事の本質がわかりやすくなる」という効果もあります。客観視できるようになるということなんでしょうか?
牧野 そうですね。価値判断を入れないでモノを見るということは主観が排除されているということですから、ありのままの事実が見えてきます。
たとえば、「怒り」と思った瞬間「怒り」に気づくようにするというのが最初にすべき練習です。つまり、「怒り」に気づいた瞬間に「今の呼吸」やなんらかの対象に戻る練習。
それがだんだんできるようになったら、次は、じゃあ、怒った原因は何なのだろう。なぜこんなことで怒っているんだろうということについて、主観が入らない視点で細かく見て分析していきます。すると、因果関係とか、人間関係とか、相対的な自分の位置とかがだんだんわかるようになってきます。たとえば、怒らなくても自分の位置は変わらないとか、変わるとか。
そして、そのレベルをだんだん上げていって、「主観がない透明な私」が「私という客体」と「その周りにある客体」を見ている状態にする。ここまでたどり着くにはかなり練習しなければなりません。そして、実は仏教はそこで終わりではなく、その先に進んでいきます。主観とか客体とかは、自分の心がつくりだしている幻想でしかないことを理解する。
菱田 なるほど。ただ、その話をし出すと、唯識論とかそういう話になって難解な哲学の話になるので別の機会にしましょう。そこまでは行かないにしても、これをどんどんどんどん突き詰めていくと認識力は確実に上がります。
それが「マインドフルネス」というプログラムの中身の一つ、ヴィパサナーという瞑想法なんです。これをやっているうちに、注意力とか集中力の増強とか、ストレスの適正化が生まれてくると考えられています。今の自分がどうなっているのかがわかれば、ストレスの原因がわかるわけで、そこから逃れるなり、相手にどいてもらうなり、アクションを起こせばいいわけです。
牧野 菱田さんが「ギャップを埋めるための方法論」として説明されたのが、マインドフルネスの技法であり、仏教の瞑想という方法です。この方法の最大のポイントは「認識」にあります。自分に対する認識、外に対する認識、そういった認識をいかに保ち続けられるかが仏教の瞑想であり、認識を保つ、意識で満たすというのがまさにマインドフルネスということなのです。
※本記事は、菱田哲也、牧野宗永著『働く人のマインドフルネス』より、その一部を抜粋編集したものです。