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生き方

末期ガンの写真家が今、幼い息子に伝えておきたい「孤独の味わい」【幡野広志】

幡野広志(写真家)

2018年10月11日 公開 2018年12月04日 更新

「みんなと同じ」写真を撮る旅から、自分だけの経験は得られるのか?

僕は旅先で写真を撮るが、いくら見返してもそのときの感動は蘇らない。
風の音、匂い、温度や湿度、すべての感覚を写すには、写真は不完全なツールだ。

写真は五感のうちの視覚だけを使うものだし、それすらフル活用していない。人間の視野は180度くらいあるが、写真にするとかなり狭くなってしまう。

写真を見ただけではわからないことばかりで、だから旅という経験が大切なのだ。

それなのに、たくさんの人が「みんなと同じ写真」を撮って旅をしたつもりになるのは残念だ。世界1周の一人旅をして、ボリビアのウユニ塩湖でジャンプする写真を撮ったところで、それはディズニーランドで遊ぶのと変わらない。僕たちはなぜ、「みんなと同じ」という呪いにかかってしまうのだろう?

それはたぶん、人の目を気にするから。それはたぶん、自分に自信がないから。

僕がそう気づいたのは、インドに旅したときのことだ。

 

ラグ・ライから教えられた 「自分がよく知っているものを、自分の目で撮る」ということ

初めての海外はインドで、1カ月の一人旅。日本しか知らない僕にとって、人間の死体が川原に転がっているのも衝撃だったし、その死体から内臓を引き摺り出して、野犬が食べているのも唖然とした。

日本なら大ニュースになるだろうが、輪廻転生が根底にあるインド人は、死をさほど悲しまない。笑ったりものを食べたり仕事をしたりする日常生活に、死がぽんとある感覚に、びっくりした。

IT大国と言われているけれど、多くのインド人は貧しくて、ボロボロの古いパソコンに古いOSのウインドウズがせいぜいだ。カメラを持っている人もほとんどいない。そんなことも知り、ぼったくられたり、騙されたり、知らない価値観にふれて、単純に世界が広がった。

だが、もっと驚いたのは、ふらっと入った本屋さんで見つけた写真集だ。
ガンジス川や死体など、いかにもインドらしい作品はなく、どれも普通の生活を撮っているのに、ものすごい写真だと思った。

たとえば僕が誰かの写真を撮ろうとしたら、多少なりとも相手を緊張させてしまう。被写体と僕の間に、カメラという異物が挟まってしまうのだ。

ところがその写真は、まるで透明なカメラで撮られたような、肉眼でその人を見ているような、なまなましくて不思議な写真だった。それは世界的にも著名なインド人写真家、ラグ・ライの作品集だった。

彼の作品を見て、僕は「日本を撮ろう」と思った。

若い僕は、「日本人が行ったことのない海外で写真を撮れば、すごいものができて、簡単に発表できるんじゃないか」という安直な考えでシャッターを押していた。ウユニ塩湖でジャンプ並みのベタさで恥ずかしいが、インドで死体の写真も撮っていた。

インドの写真はインド人が撮ったほうがいいし、日本の写真は日本人が撮ったほうがいい。自分がよく知っているものを、自分の目で撮ってこそ、人に伝わる。

こんな当たり前のことを、僕はインドの写真から教わったのだ。

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テクニックだけで撮った写真は人の心を打たない

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