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雷除けの「くわばら、くわばら」の由来は?

平川陽一(作家)

2018年12月27日 公開 2024年12月16日 更新


 

ほんとうは怖い天神様

苦しいときの神頼み……とよくいわれるが、受験生にとっての強い味方といえば「学問の神様」と呼ばれる菅原道真を祀った天満宮だろう。受験シーズンが近づくと、全国の天満宮は多くの受験生やその関係者たちでにぎわいをみせる。

だが、現代の受験生にとってはありがたい天神様も、平安時代の京の人々にとっては恐るべき存在だった。

藤原氏の権勢に対抗すべく、道真を右大臣として重用したのは宇多天皇だった。しかし、31歳で譲位し、上皇となる。

これに代わって皇位についたのが醍醐天皇だが、この「政権交代劇」で朝廷の勢力地図が大きく塗り変えられる。道真が宇多天皇という後ろ盾を失うとともに、藤原氏が俄然、勢力を盛り返すのだ。

道真は藤原時平が仕掛けた罠にはまり、大宰府に左遷される。いわば中央政府のトップにいた官僚が、地方の役所に飛ばされたようなものだ。

どん底に突き落とされた道真は、大宰府に赴任したものの体調を崩し、わずか2年ほどで、失意のうちに59年の生涯を閉じた。

だが、これで時平は安泰の身となったわけではない。それどころか、藤原氏は次々と不幸にみまわれることになるのだ。

恐怖の舞台となったのは、道真が長年暮らしていた平安京で、道真の死後にたびたび落雷があり、人々を恐怖に陥れた。

そして、時平は39歳という若さで突然の死を迎える。さらに、時平の肝いりでその座についた醍醐天皇の皇太子が21歳の若さで急死。その跡を継ぐと目された次の皇太子までも、5歳で亡くなる。こうなると、京の人たちが「道真の祟り」と恐れおののいたのも無理のない話だ。

その5年後、人々はさらに恐ろしい光景を目にする。都の上空に突如として黒雲がわき、空をおおいつくした。そして、雷鳴が轟いたかと思うと、平安京の内裏のひとつ清涼殿に落雷し、大火事となったのだ。逃げ惑う官僚たちに火が燃え移り、それはまるで地獄絵図のようだったという。

その年、体調を崩した醍醐天皇は譲位、わずか数日後にはこの世を去っている。

さすがの藤原氏も恐れをなし、すでに亡き菅原道真を右大臣として名誉を回復させ、道真を祀ったとされ、これが現在の北野天満宮になっている。

ところで、「くわばら、くわばら」という雷除けの呪文がある。これは、京の町中に何度も雷が落ちたが、一ヵ所だけ落雷のなかった桑原という地名に由来する。

中京区桑原町は、菅原道真の屋敷があったと伝えられるところだが、現在は住む人はなく、御所と京都地裁の間にある、道路のみの地名となっている。

『広辞苑』によると、農夫が雷神から「桑の木が嫌いなので、桑原桑原と唱えるならば落ちない」と聞いたという伝承があるという。古来、「雷除けには桑の木」と考えられた。家を建てる際には、桑の木を棟木に打ちつけたり、家の周囲に桑の木を植えれば雷は落ちないとされた。雷に遭ったら桑畑や桑の原に逃げ込んだり、桑の枝を頭に差しかけたが、桑がないときには「くわばら、くわばら」と唱えたのだという。

※本稿は、平川陽一著『本当は怖い! 日本のしきたり―秘められた深い意味99』より一部を抜粋編集したものです。

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