若いリーダー層に任せて築く。「物件」ではなく「人」にフォーカスした不動産事業
2019年04月26日 公開
急成長後に味わった倒産の危機
――いまおっしゃった社風は、創業当時から長年にわたり、育まれてきたものですか?
堀口 前身の不動産会社を創業した当初は、明確な方針やビジネスモデルも形作られていませんでした。結果として、その後もしばらくは売上もアップダウンが続き、なかなか突破口が見出せなかったのです。
しかし37歳のとき、京セラ創業者の稲盛和夫氏との出会いが、大きく変わるきっかけとなります。稲盛氏から経営者や人間としてのあり方を学ぶ「盛和塾」に入塾。稲盛塾長の教えを夏の砂浜にまいた水のように強烈な勢いで吸収し、それをわが社の経営の現場で、どんどん実践していったのです。
「企業は社長の器以上にならない」との言葉のとおりに、ただ一途に自分で決められる領域である「自身の考え方を高めること」に拘り、毎週1回、社長から社員へのメッセージとして3,000字の「社長講話」を書きはじめます。社員との理念の共有、教育という要素もありましたが、何よりこれが私自身の成長を形作ることになったのです。
――社員だけではなく、社長ご自身の成長につながったとは……。
堀口 書くことで、自分自身の思考が深くなりました。一方で、なかなか書けないときには、自分の未熟な部分に気づく。そしてそれを改善する過程で、成長していけたのです。
その後、私自身の成長の実感を社員の皆にも同じように体験してもらいたくて、「自らの気づき」をレポートしてもらうようにしました。それによって社員の皆が「心を整える」状態になってもらいたいと願って。
――堀口社長と社員の皆さんの「人間的成長」に伴って、会社が大きくなったのですね。
堀口 そうですね。会社創立5年で売上高50億円、経常利益8億円になり、JASDAQに上場することができました。さらに東証一部上場と、勢いが増していきますが、ここで、稲盛塾長に「無理するな」「いい気になるな」と苦言を呈されました。それに対して「まだ勢いがあるから大丈夫だろう」と思っていましたが、やはり、そうは問屋が卸しませんでした。
――何か、大きなトラブルに巻き込まれたのですか?
堀口 2008年、リーマン・ショックの到来です。不動産業界全体が大きな痛手を蒙りましたが、わが社でも、一抹の不安を抱きながら仕入れた不動産が大暴落したのです。その結果、09年3月期は経常損失177億円、翌10年3月期も同37億円という大幅赤字で、倒産の危機に瀕しました。当時、東証一部において株価の下落率が日本一になりました。
しかし、全社員の頑張りによって何とか踏みとどまり、11年3月期に黒字転換、以降は増収増益を続けてきています。