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静かなる天才、ティム・クック…「世界初の1兆ドル企業のCEO」の知られざる実力

リーアンダー・ケイニー(堤沙織 訳)

2019年09月13日 公開 2023年01月18日 更新

IBM、コンパックで業界を学び、昇進も転職も、快進撃のように成功

1980年代初め、コンピューター業界は人生初のPCを買おうとしている顧客の心をどのように惹きつけるかを競い合っていた。そしてIBMはこの熱の中心にいた。最初のPCを発売する前から、すでに企業や政府向けの大型コンピューターの製造販売で有名になっていた。

そしてIBM初のPCは、商業的な大ヒットを飛ばし、その名称である「パーソナル・コンピューター」は、以後、小さくて安価なコンピューターの総称として使われるようになった。

クックはこの企業にオペレーターとして入社し、後にアップルで働くに足りる実績を積み重ねていくことになる。クックが最初に従事していた工場のPC製造ラインにおけるオペレーションは、正確さと根気強さが常に求められ、1つの些細なミスが大きな問題に発展する重大な仕事だった。

クックはそれをうまくこなし続けたため、高い才能とポテンシャルを持つ人物だと認められるようになった。12年間IBMで働いた後、デンバーにあるIntelligent Electronics社に移り、コンピューターのリセール部門で最高業務執行責任者(COO)の座についた。

その後、コンパックに引き抜かれ、ここでアップルの複雑な製造プロセスを見直すために最適な人物を探していたスティーブ・ジョブズの目に留まることとなる。

 

廃業目前だったアップルに入社し、いきなり大成功を収める

クックはコンパックでの仕事に満足していたが、ジョブズに会い、彼の戦略と将来への展望を聞くうちに、自分がそこで価値ある貢献ができることに確信が持てたという。

そしてこの話を断ることは、何か特別なものの一部になれるチャンスを永遠に失うことのように感じられた。こうしてまだ若かったクックは、心の声に従い、安定したコンパックを出て、先行きの見えないアップルへと入社したのだった。

クックが入社した1998年のアップルは、多くの人が働きたいと感じるような場所ではなかった。企業は倒産寸前で、社員の士気は低かった。1995年にマイクロソフト社がWindows 95をリリースすると、瞬く間にPC業界を席巻した。

歴史的な大損害を被ったアップルは、追放したジョブズを呼び戻していた。復帰したジョブズは暫時CEOの座についていた。

クックは彼のもとで、すでに始まっていた製造工程のアウトソーシングをさらに加速させ、在庫管理にかかっていた莫大なコストを削減することに成功した。

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クックがジョブズの右腕となるまで

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