完全無欠はない
「完全無欠をのぞむのは、人間の一つの理想でもあり、またねがいでもある。だからおたがいにそれを求め合うのもやむを得ないけれども、求めてなお求め得られぬままに、知らず知らずのうちに、他をも苦しめ、みずからも悩むことがしばしばある。だがしかし、人間に完全無欠ということが本来あるのであろうか」
完全無欠な人はいないと松下幸之助は言います。自分自身はもとより多くの社員、人々と出会ってきた松下から見てそう思えるのですから、事実そうなのでしょう。誰しも長所があれば短所もあります。どんなに賢いといっても、上には上がいます。美人だイケメンだといっても、これまた好みの問題で万人に好まれる顔はないように思えます。スポーツも勉強もできるのに今一つ愛嬌がなく人づきあいがへたいうこともありえるでしょう。
たとえば、一つの職人の仕事に絞って考えても完全無欠ということはありません。むしろ人間国宝と認められ尊敬を集めている人ほど、もっとよいものを作りたいと懸命な努力を重ねています。それは、どれほど多くの人から素晴らしい作品であると評価されたとしても、いずれも完璧ではなくもっと優れたものがあると考えているからではないでしょうか。私たちには思いが及ばない世界です。
そこで松下幸之助は次のように述べます。
「おたがいそれぞれに完全無欠でなくとも、それぞれの適性のなかで、精いっぱいその本領を生かすことを心がければ、大きな調和のもとに自他ともの幸福が生み出されてくる。この素直な理解があれば、おのずから謙虚な気持ちも生まれてくるし、人をゆるす心も生まれてくる。そして、たがいに足らざるを補い合うという協力の姿も生まれてくるであろう」
完全無欠である必要はないのです。お互いの適性に応じて精いっぱいの力を尽くしていれば、それぞれの足らざるところを補い合って豊かで幸せな社会ができてきます。毎日を心軽やかにすごすことができるわけです。
お互い神ならぬ身の人間です。常に心軽やかに過ごすのは無理な話です。機嫌が悪くなることがあって当然です。また事に当たって憂鬱になり、思い悩み、心が沈むときがあるほうがごく自然でしょう。しかしそうした心が折れそうな事柄の中には、考え方ものの見方一つである程度解消できるものが少なくないように思えます。
悩んではいけないということではありません。悩んで結構です。ただ、むやみに何でもすべて悩みの種にする必要はないということです。悩むべきはしっかり悩む。悩まなくてもいいことまで悩まない。そうした考え方を持つようにすることで、私たちはもっと伸び伸びと自由に大らかに楽しく暮らしていけるはずです。おそらく人生はたいへん素晴らしいものだと思います。それをしつかり味わうことができるかどうかは、お互いの心がけ次第ではないでしようか。
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