人事を尽くして天命を待つ
「棚からぼた餅」という言葉があります。何ら努力をしていないのに成果を得るというほどの意味です。しかしそれは極めてまれなことです。ほぼありえないと言っても過言ではないでしょう。ところが、往々にして私たちはそうした成功体験ばかりに心奪われ、ぼた餅を待つようになりがちです。そんな都合のいいことはないと知りつつも、期待してしまうのは人間の情というものかもしれません。
やはりそれ相応の創意工夫、地道な努力を重ねてこそ、思い望んだ成果なり成功を勝ち得ることができるのです。まずは力を尽くして頑張ることが強く求められます。
松下幸之助は次のように述べています。
「これだけのことをつくしたから、これだけの結果があたえられるという、そんな計算の成り立つものではない。まして、私心多くなすべき人事もつくさずに、いたずらに都合よき成果のみを期待するのは、天命を知らざることはなはだしいといわねばなるまい」
たしかに何事かを成し遂げようと思えば努力は欠かせません。とはいえ、努力すれば必ず思い通りの結果が得られるとも限りません。この世の中、そう簡単なものではない。努力しても天運、天命かがなければ、思うようにはならない。いや、むしろ思うようにならないことのほうが多いかもしれないのではないでしょうか。なるほど松下幸之助の指摘する通りです。
「『人事をつくして天命を待つ』ということばがある。まことに味わい深いことばである。私心にとらわれることなく、人としてなしうるかぎりの力をつくして、そのうえで、静かに起こってくる事態を待つ。それは期待どおりのことであるかもしれないし、期待にそむくことであるかもしれない。しかしいずれにしても、それはわが力を越えたものであり、人事をつくしたかぎりにおいては、うろたえず、あわてず、心静かにその事態を迎えねばならない。そのなかからまた次の新しい道がひらけてくるであろう」
できうる限りの手を打ち、力を尽くしたのに、結局運次第というのではやりがいがない、頑張った甲斐がないと思われるかもしれません。しかし一方で、“ここまでよくやった”と自分自身を認めることができれば、“あとは野となれ山となれ、天の決めることだ”と気楽に構えられるようになるのではないでしょうか。天の定めることで自分には責任がないのですから、心軽やかに過ごせると言えるでしょう。
もちろん、よきにつけ悪しきにつけ何らかの結果が出ればそれには適切に対処しなければなりません。しかしそれは事後のことです。いま気に病むことではないでしょう。
真に人事を尽くして天命を待つ心境になれば、おおらかに心軽やかに歩んでいくことができるのではないでしょうか。