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両親の不仲、いじめ、貧困…心を閉ざした子どもに希望を与えた「受験勉強」

古宮昇(心理学博士)

2020年06月19日 公開

 

冷たい都会の不仲な家庭生活

でも私が五歳のとき、両親がやって来て、妹と私は再び両親に引き取られました。

それまでのどかな田舎の大きな一軒家でおじいちゃん、おばあちゃんに育てられていた暮らしはその日から一変。冷たい都会のぼろい安アパートでの生活が突然はじまりました。

両親は不仲で、けんかが絶えませんでした。両親はよくお金のことでケンカをしました。

私は、「お金さえあれば、こんなみじめな思いをしなくて済むのに……」と悲しかったことを覚えています。やがて父が家を出てゆきます。

「ぼくって不幸な子どもだ……」

みじめな気持ちでひとりで泣いていたことを覚えています。

母はシングルマザーになり、いっそう不安とイライラを募らせるようになりました。

私は「バカ!」「アホ!」「この弱虫!」と怒鳴られ、顔をバシっとひっぱたかれたりしました。そのときの母の目は憎しみに満ちていました。

そうして私は、臆病で萎縮した子どもになりました。ガリガリで病弱で、小学校に入るとしょっちゅう授業を抜け出し、保健室に行って横になるような子どもでした。

神経質に爪を嚙むクセがついたのもそのころだったと思います。

 

通知表に「何を考えているかわからない」と書かれた生徒を変えた受験勉強

そんな私は学校でも、いつもびくびくしている子どもになりました。自信がなく臆病で、小学校でも中学校でもいじめの格好の餌食になりました。

みんなの前であざけり笑われたり、校内暴力の嵐が吹き荒れる公立学校で理由もなく蹴られたり……。とても辛い思いをして過ごしました。

当時の私は、「目立つと危険だ」と心の奥で信じていたことが今ではわかります。ですからおとなしくしてあまり人目につかないようにしよう、周りに合わせよう、としていました。

そのため無表情で感情を出さないし、自分の考えも言えません。中学校の通知表には、担任の先生から「何を考えているかわからない」と書かれました。

そんな境遇で育った私は、あまり感謝の気持ちをもつことができませんでした。

「幸せになりたい」

私は感謝の思いはあまりありませんでしたが、「幸せになりたい」という思いは、胸の奥にしっかりもっていたように思います。消極的な生徒でしたが、それでも公立高校受験の前には「幸せになるには学歴だ」と思って勉強しました。

高校に進学したあと成績はそれほどよくありませんでしたが、大学受験が近づくとやっぱり、学歴しか幸せになれる道具が見えなかったので、必死で受験勉強に打ち込みました。

第一志望の大学には落ちたので不本意な進学先でしたが、それでも「与えられたこの学校で精一杯やろう」と思ったことを覚えています。

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幸せな人と不幸な人を分けるもの

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