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弁護士仕分け人が語る「事業仕分けこぼれ話」~その2「なぜ『事業仕分け』という面倒な取り組みが必要なのか」(1)

水上貴央(弁護士)

2011年01月05日 公開 2022年12月21日 更新

「行政の効率化を進めていくことが必要だとしても、事業仕分けという仰々しいプロセスをあえて実施する必要はどこにあるのか」「結局政権浮揚のための政治ショーではないのか」……。

 私の周りでも、こういうご意見の方は多くいます。

 政治主導というのなら、なぜ政治の側が強いリーダーシップを発揮し、官僚に「行政に事業の効率化をせよ」と指示しただけでは、行政の費用対効果が改善しないのでしょうか。そのことを考えるにあたっては、まず事業仕分けの対象になる事業がどういう行動原理に従ってつくられているのか、について整理する必要があります。

民間の行動原理は行政に通用しない

大学時代からの付き合いで、現在ベンチャー企業の社長をしている友人から、事業仕分けをテレビで見た感想として、「事業仕分けなんてやっているより、現場に具体的な権限を付与し、リーダーは全体戦略だけを示して、スピーディな意思決定ができるスリムな仕組みにしたほうが、国のためには結局よいのではないか」という感想をもらったことがあります。

 この感覚は、彼が、民間企業それもベンチャー企業の社長という立場であることからすれば、きわめて自然なものです。意思決定のスピードを重視し、間接部門から現場に意思決定をなるべく委ねる“スリムな経営体質”を確立することは、高い成長性を示す企業の多くが有する特性であり、多くのベンチャー経営者に共通の感覚でしょう。

『Voice』本誌でも述べたとおり、多くの民間企業は「(1)収益最大化を目的として、(2)経営上の全体最適をつねにめざし、(3)有限な経営資源をより投資対効果・費用対効果の高い分野に集中し、(4)スリムで変化に対応しやすい事業構造を実現」しようと競争環境で切磋琢磨しています。

 そのため、私たちはどうしても、公共セクターの事業であっても、基本的にはこの考え方、すなわち「収益最大化にむけた合理的思考プロセス」に沿って構築されていると考えがちです。

 この価値観や行動原理が、事業を実施している主管省庁とのあいだでも共有されているのであれば、「もっと事業を効率化せよ」「事業全体に横串をさす見直しを実施せよ」といった指示が政治主導でなされるだけで、行政事業の改善は進む可能性があります。しかし、私自身が参加した過去3回の国の事業仕分け、および行政事業レビューでの経験に照らせば、残念ながらこの考え方は誤りです。

 行政事業は「収益最大化にむけた合理的思考プロセス」という多くの民間企業の行動原理とは異なった行動原理によって構築されています。われわれ民間仕分け人が、「何でこんな不合理な事業が存在するのか」「何でこんな非効率なやり方をしているのか」と疑問に思う事業であっても、実際にその事業を実施している担当省庁・担当部局にとっては、彼らの行動原理に沿って、合理的に構築されているのです。

 したがって、政治主導で「全面的に横串を指して事業を見直すべし」との指示をしたとしても、根本的な行動原理・事業に対する問題意識が共有できていませんから、実効的なかたちで内部見直しは進みません。事業官庁が自ら進んで事業の横串を通す全面的な見直しをすることはありえないというのが現時点の私の結論です。リーダーが方向性を示して、あとは現場に任せるという方法では、行政の効率化は進まないのです。

 当該事業を事業仕分けの対象とした場合でも、民と官の行動原理の違いに起因する問題は、やはり生じることになります。民間仕分け人が事業の不合理さを指摘しても、官と民間仕分け人の議論の土俵、すなわちそれぞれが寄って立つ行動原理が違うために、ときとして噛み合わない議論になってしまいがちなのです。

 この場合、選択肢は2つあります。1つは、民間の常識的感覚を絶対視して、民間仕分け人が存在意義を理解できないような事業は原則廃止すべきという考え方です。このやり方ならば、一方的判断で結論が出せますから、事業仕分けの場では、多くの事業を次々廃止にするという大鉈を振るうことが可能となります。

 しかし、現在行政が実施している事業には、その事業を実施している受託者や、その事業から便益を得ている受益者が数多く存在していますし、前回述べたように、民主主義プロセスのなかで、廃止しにくい仕掛けが組み込まれています。そのため、民間仕分け人が理解できないから廃止といった乱暴な結論の出し方では、担当者や受益者、傍聴者を十分に説得することはできず、結局“政治的判断”で一部見直しのうえ継続という不十分な見直しにとどまることが想定されます。

 そこで、もう1つの方法として、仕分け人の側が、官の行動原理を理解するように努め、そのうえで事業の構造問題を詳らかにして是正を求める丁寧な議論をしていくことが考えられます。この方法は、議論を進めるために多くの手間がかかり、一度にたくさんの事業を検証できないという問題がありますが、長い期間をかけて強固に構築されてきた現在の行政事業の構造を変えていこうとすれば、私はこちらの方法をめざすべきと考えています。

行政の事業構造を読み解くには、「官の4つの行動原理」の理解が必要

 ここでいう官の行動原理とは、「(1)収益最大化よりも費用最大化を目指し、(2)全体最適よりも恣意的分配を指向し、(3)費用対効果の検証なくして大義名分の立つ事業に予算をつけ、(4)ストックや基金を形成することにより予算執行を自動化することで硬直的な事業継続を図る」(拙著『弁護士仕分け人が語る「事業仕分け」の方法論』〔日本評論社〕)という“ちょうど民間の行動原理とほぼ真逆のものだ”というのが現時点の私の理解です。

 なかでも、「費用最大化をめざす」という行動原理は、にわかには理解しがたいのではないかと思います。個人の日常生活でも節約は美徳ですし、企業活動でも費用を圧縮することが利益を挙げるためのきわめて重要な要素だからです。

 しかし、行政事業においては、その事業が黒字になることにメリットがありません。必死に予算を節約したからといって、いまの公務員人事制度ではとくに積極的な評価につながるわけではありませんし、予算が余れば次年度の予算査定で減らされかねません。また、行政にとっての費用は、受託者たる民間法人等の売上げとなる場合が多いので、とくに不況下では、行政の費用は、若干無駄遣いが含まれるとしても“一種の景気対策”としての意義があるという意識の担当者も複数存在するようです。

「行政の費用が拡大することは悪か?」という問いは、その意味で、難しい問題をはらんでいます。私の認識は必ずしも仕分け人を代表していませんが、私自身は「費用拡大が直ちに悪ではないが、恣意的な分配となっている費用や、費用対効果の低い費用は是正する必要がある」と考えています。

 行政の使う費用は、その原資が国民の税金ですから、特定の政府系公益法人や企業に対する恣意的な分配が疑われる支出は、公平・公正の観点から許されません。費用対効果の問題以前に、恣意的分配による不公正は、社会正義の問題として許されないのです。加えて、ファミリー法人等への恣意的な分配では、競争原理がはたらかないことから、一般にその事業の費用対効果も低く留まることが多くなります。

 有限な国の税金を“費用対効果”が低い事業に使ってしまうと、全体としての行政サービス水準が低く抑えられることになります。国民の支払った税金が、国民の直接的な受益につながらないかたちで天下り人件費に中抜きされてしまうと、「生きた金の流れ」にならないのです。とくに民間でも実施できるような事業を、国が税金を用いて民間が実施するより低い費用対効果で実施する場合には、民業圧迫と無駄遣いの両面から問題となります。

 これは、公共事業のような国家的な事業投資の“投資対効果”の問題でも同様です。「公共事業がつねに悪」ということはありませんが、最低限資金調達コストを上回る投資対効果が見込まれなければ「生きた金」とはいえません。

 すなわち「行政の無駄遣い」とは、当該行政事業費の多寡よりむしろ、税金が、国民の受益に直結しない費用や、十分な経済活動の活性化につながらない投資などの「死に金」として使われていないかという問題なのです。

 とくに、緊急経済対策の補正予算のように、短期間で多額のお金をとにかく使うということに力点が置かれがちな場合には、国民の税金が「死に金」になっていないかを注意深く確認する必要があります。

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