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「細川藤孝の師、登場」と「放映日12月6日」には深い意味が?…『麒麟がくる』の楽しみ方

前田慶次(名古屋おもてなし武将隊)

2020年12月12日 公開 2024年12月16日 更新

《全国にその名を轟かせる「名古屋おもてなし武将隊」。名古屋城に詰め、観光客をもてなす武将と足軽の10人組で、10年以上にわたり活躍を続けている。

そのうちの一人、前田慶次氏は名古屋城検定に検定過去最高点で合格し同検定の名誉顧問を務め、日本城郭検定にも合格するなど歴史への造詣も深い。

前田慶次氏が自身のYouTubeチャンネル「前田慶次5分で戦国時代チャンネル」にてNHK大河ドラマ『麒麟がくる』を徹底解説している。本稿ではその一部を紹介する》

※本稿はYouTubeチャンネル「前田慶次5分で戦国時代チャンネル」にて配信された内容を再構成したものです

 

見えてきた坂本城の全貌…!

大河ドラマ『麒麟がくる』、此度の35回「義昭、まよいの中で」では名城・坂本城の全貌が明らかとなったが、ここでの制作陣営の力の入れようが伝わる回であった。

また伏魔殿編の強敵摂津春門が政所を改易となった。実際の歴史ではこれ以前に政所を去ったと言われている。しかしながら、ドラマを盛り立てるべく「光秀襲撃」という物語を作り上げた。

これを踏まえ、今後、光秀が幕府とどのように距離をとっていくのかも気になる回となった。従来とは視点を変えてくる「麒麟がくる」の描き方で気になった所を此度も解説していく。

 

光秀の居城、坂本城。細部にこだわった指図


琵琶湖のほとりにある現在の坂本城址(滋賀県大津市)

明智光秀の居城、坂本城。東に琵琶湖、西に延暦寺を覗かせる城で交通の要所に築城された。1571年に築城を開始し、翌年には安土城より先行して大小の天守閣と瓦葺(かわらぶき)をそなえた名城となった。本能寺の変の後に焼失した為、現在はその姿を正確に確認する術がない。

ルイスフロイスは、坂本城を安土城に匹敵する絢爛な城郭であったと表現している。

ドラマの中で、光秀が坂本城築城の為に指図(図面)と睨めっこをしていた。注目すべきは、この図面である。実に事細かに天守閣の情報が記載されていた。

先ず、天守閣ではなく天主の表記。戦国時代は天主、天守と申した。天守閣は明治以降の呼び方である。

信長が「天の主は自分だ」と言わしめるかのような呼び方が天主である。通常、天主は住む場所ではなく、籠城して戦う場所であったが、信長は安土城の天主に住んでいた。見晴らしの良い天高き場所は、世を我が物とする望みがあったからこそ「天主」と呼んでいたのであろう。

ドラマで登場した図面は、天主を四階五重と明記され五重目には高欄(現世のベランダ)を設けていた。瓦葺、火灯窓、破風、壁は黒漆、天守台石垣は3間の表記が確認できた。

天主は現存する多くの城郭に匹敵する大きさで、望楼型天主であった。時代の先端を行く城郭の作りであったことが、指図から分かる。ドラマで完成した坂本城を目にできるか分からぬが、想像はできる。名城坂本城を想像して楽しもうではないか。

以前の放送回で、叔父明智光安の「再び城を持つ身になってもらいたい」という台詞があった。齢40過ぎの光秀は、明智家大願の夢を織田に仕えて僅か3年で成し遂げた。

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親族対決が勃発! 大政所こと秀吉の母「なか」が初登場。

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