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「細川藤孝の師、登場」と「放映日12月6日」には深い意味が?…『麒麟がくる』の楽しみ方

前田慶次(名古屋おもてなし武将隊)

2020年12月12日 公開 2022年06月30日 更新

 

親族対決が勃発! 大政所こと秀吉の母「なか」が初登場。

初登場にして視聴者も「成程。確かに秀吉の母上だ」と感じる強烈な登場であった! たった数分で1話分(45分)の内容をべらべらとしゃべってしまう姿は、秀吉の血筋を感じざるをえない。

秀吉はなかを大変大切にした。1573年長浜城城主となり「羽柴秀吉」と改名してから身近においた。後の大坂城でも共に暮らす。今回の登場はちと早かったとも思うが、光秀の親族対秀吉の親族という面白い構図を見事作り上げた!

 

"新・本圀寺の変"で注目の摂津春門が退場

本圀寺の変は覚えておるか?ドラマでも描かれた、1569年に三好勢が将軍義昭を襲撃した事件。明智光秀が奮戦し活躍した戦で、ドラマでは義昭を穴蔵(地下)へと誘導した。

戦国期ではよくある暗殺。此度、ドラマオリジナルとして本圀寺で光秀が摂津の策で暗殺されかけた。故にここでは「新・本圀寺の変」と名付けよう!

面白いのは、これを原因として摂津春門を政所から退陣させたこと。本来の退陣理由とは異なるが、時代の変化を示す。古きものを捨て去り、新たな時代を迎える!光秀の確固たる決意を見た。

「我ら武士は将軍をお守りせねば」この場面を見て本能寺の変のきっかけを示唆した。「信長様が道を誤れば討つ」と表現したのはドラマ35回までで初めてのことであった。

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「細川藤孝の師匠」三条西実澄の登場と放映日の12月6日には意味がある…?

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