厚木航空通信隊長として何をしたのか
初めて部隊指揮官となった厚木航空通信隊長時代、大きな問題が起きたことがあります。
当時の私は40歳そこそこで、部下とはいえ10歳も年上の隊員たちがおり、当初は私の前で整列しても"フン、小娘に何ができる"といったふうに顔をはすに向けているような印象でした。
男尊女卑などまだ当たり前だった時代です。その隊では、定年前の人が隊長をするのが慣例となっていましたので、隊員の士気も上がらないだろうからと、私が自ら手を挙げて隊長にしてもらったのです。
さて、その問題というのは、着任して一年も経たない頃、一人の隊員がいなくなり、部隊に帰って来ないという事態が起きたのです。
「どうしますか?」と、困り果てた他の隊員たちから問われた私は、「絶対に大丈夫。私が責任を取るから」と答え、上の司令部には報告をせず、彼の帰りを待つことにしました。
上に報告をすれば彼は懲罰の対象となり、彼のキャリアに傷をつけることになってしまいます。ですが、私はただ単にその彼に温情をかけたのではありません。
実は彼が個人的な事情を抱えているのを知っていて、日頃からそのことで面談を何回もして人となりを理解していましたので、必ず帰って来ると確信を抱いていたのです。
結果、彼は無事に帰って来て、休暇処理をして済ませました。
そのことがあってから、年上の隊員たちの態度も変わり、私の言うことを聞いてくれるようになりました。
もちろん規則にのっとって上層部に報告する指揮官もいるかと思います。それが普通かもしれません。でもそれでは、いったい何のために指揮官がいるのかということにもなります。
部下を守ることもリーダーの大きな役割であって、それによって信頼関係を築き、組織の結束を強くするといったことも重要であろうかと私は考えるのです。
ベトナム戦争では2割の士官が部下から撃たれていた
先のベトナム戦争では、銃撃で亡くなった士官のうちおよそ2割の米軍若手士官が、後ろから部下に撃たれて亡くなっているという信じ難い、衝撃的なデータがあります。
この人といたら自分は死んでしまう、と判断したのでしょう。兵士一人ひとりが指揮官に命を預けて戦う以上、日頃からの信頼関係の構築はとても重要でありますが、究極的に危機的な局面ともなれば、それは本当に難しいという証でもあるのです。
ともあれ、自分自身が正しいと思える根拠があるなら、責任を取る覚悟を持って実行する勇気、気概を持ち、従う人間たちには説得を試み、納得してもらわなければなりません。
つまり、"絶対的に正しいことをやる"というのは感情論などではなく、冷静に分析をした裏づけがあって初めて成り立つともいえると考えます。